9:時東はるか 12月17日10時18分 ①

 師走の街にイルミネーションが灯るころ、テレビ番組における時東の需要は格段に跳ね上がる。音楽番組のクリスマス特番、年末年始生放送、その他バラエティー番組のスペシャル放送、などなど。

 いや、おまえ、バラエティーばっかり出てるじゃねぇかよ、と言われると否定しづらい昨今であるものの、この時期は別である。

 ヒット曲を出したことがあり、それなりに顔の知れているミュージシャンであるところの時東はるかにはバンバンお声がかかるのだ。たとえ、今年まだ一枚もCDを出していなくとも。




[9:時東はるか 12月17日10時18分]




「お疲れさまでーす、はるかさん」


 チャイムに応じてドアを開けると、人畜無害でございと言った笑顔の岩見が立っていた。コートの上からぐるぐると巻かれたマフラーに外気温の低さを悟る。

 そういえば、朝のニュースで都心も初雪の可能性と言っていたような。ぼんやりと思い返しつつ、時東は鍵を閉めた。これから夜までフルスケジュールだ。

 怒涛の過密日程を南の家から通いでこなすことは土台無理なので、先週から都内の自宅に戻っている。


「朝からテンション高いね、岩見ちゃん」


 欠伸を噛み殺しながら言えば、岩見がにこにこと喋りかけてくる。


「はるかさんこそ、なんか眠そうですね。昨夜は遅かったんですか? あ、曲作りですか? もしかして」

「そうやって、ちょいちょいジャブ入れるの、やめてくれるかな」


 一軒家の南の家よりずっと暖かいはずのマンションが、なぜか底冷えしててしかたがなかったというだけである。

 端的に言ってしまえば、寝不足の理由はそれに尽きるわけだが、さすがに口にすることは憚られた。

 なんというか、よろしくないなぁ、と思う。たった一週間程度の滞在で、住み慣れた自宅よりも、他人の家の居心地のほうが良くなっているとか。おまけに、向こうのほうが圧倒的に寝つきも良いとか。

 どう考えてもおかしい。


 ――まぁ、考えてもしかたないしなぁ。


 南と一緒のときだけ食べ物の味がわかるという時点で、意味がわからないくらいなのだ。だから、まぁ、なんだ。そういうこともあるのだろう。

 眠い頭で言い訳を練り上げつつ、岩見に続いて地下の駐車場に向かう。売れ始めたころにストーカーのようなファンに辟易して移り住んだ、芸能人向けのマンションである。


「そりゃ、ジャブも入れますって。わかってます? はるかさん。本来だったら、今のこのタイミングでアルバムの告知したかったんですよ?」

「そりゃ、そうだろうね」


 それは、まぁ、音楽番組が多いこの時期にお披露目をしたかったことだろう。だがしかし、できなかったものはしかたがない。延期を許してもらっていることは、ありがたいと思っているが。

 南さんの家に行ってみれば変わるかなぁ、なんて。甘いことを考えていたものの、そうは問屋が卸さなかったということだ。

 しれっと応じた時東に、小さく溜息を吐いた岩見が静かにアクセルを踏んだ。


「最近、またご機嫌斜めなんですか? ちょっと前までやたらご機嫌だったのに。嫌だな、はるかさん。情緒不安定な女優さんみたいに生放送で泣かないでくださいよ」

「いや、しないし。というか、俺のこと何才だと思ってるの、岩見ちゃん」

「そうでした、そうでした。僕とひとつしか変わらないんでしたね、忘れてました」


 嫌味だ。べつに、まぁ、いいのだけれど。

 無言のまま窓の外へ視線を流す。厚手のコートを着込んだ人たちが足早に通り過ぎていくさまは、いかにも師走という感じがした。

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