3:時東はるか 11月19日7時5分 ②
「悪夢? あれだけ酒飲んで大はしゃぎしたと思ったら、寝たら悪夢かよ。大忙しだな」
「ごめんなさい」
「べつにいいけど。美人局とかに引っかかって、妙な写真、撮られねぇようにしろよ、芸能人」
「しないから。というか、なんなの、その南さんの妙に偏った知識」
若干、昨日の酒が残っている。頭の芯が重い。座卓に肘をついて項垂れていると、全く酒の残ってなさそうな声が落ちてきた。
「飯食うか? 吐くか?」
「その二択止めてあげて、南さん」
折角おいしくいただいたものを吐き出したくはない。
「でも、気持ち悪くはないから大丈夫。ちょっと頭が痛いだけ」
「そらあれだけ飲んだら、そうもなるだろ」
「南さんはなってないじゃない」
「俺はな」
強いですからと言わんばかりだ。俺も、もう少し強くなりたい。時東はそのまま座卓に撃沈した。ついでにもう少しだけでいいから休みたい。
座卓の冷たさが心地いい。頬を押し付けて目を閉じていると、なにかが座卓にとんと置かれる音がした。薄っすらと目を開けると、鈍色の湯呑。
「蜂蜜柚子」
湯呑に手を伸ばすと、じんわりとした温かさが染み渡った。
「蜂蜜は二日酔いにいいらしいぞ。体感したことはねぇけど」
二日酔いの経験とかないんだろうなぁ、この人、と時東は思った。それはちょっと羨ましい。そして、嬉しい。心の底から。
「マジありがとう、南さん」
珍しく計算のない笑みを浮かべた時東の鼻先に、鍵がぶら下がった。キーホルダーもなにもついていない剥き出しのそれである。
「俺、もう店出るから。おまえ、酔い醒めるまで休んでろ。バイク乗るのはそれからな」
「え? 鍵は?」
「郵便受けにでも入れといて」
鍵を受け取ったまま瞳を瞬かせる時東を一瞥し、南は居間を出ていく。ガシャンという玄関の戸を閉める音に、時東はようやく口を開いた。
「行ってらっしゃい」
当然のごとく返事はなかったものの、気分の問題だ。しかし、それにしてもなんて雑さだ。おかげで、取扱いに困るものを預かってしまったではないか。
すすっと鍵を机の端に置いて、とりあえずと湯呑に口を付ける。
――郵便受けに鍵、って。どこの田舎の昭和ドラマだよ。いや、まぁ、南さんも平成生まれだと思うけど。
なんとなく、ザ・昭和なイメージがあるけれども、だ。たぶん、そこまで年は離れていないだろう。年上であることに間違いはないと思うが。
――でも、なんか、見たことある気もするんだよなぁ。
そう思ったところで、時東は苦笑を浮かべた。昨夜覚えた懐かしさといい、自分はなにをどこまで南に投影するつもりなのか。
もう一口、ごくりと蜂蜜柚子を飲む。
「甘い……」
胃に広がったやわらかな甘さに、なぜか、幸せだな、と思った。
朝の陽ざしが入ってくる、誰かの気配が残る部屋で、ひとり。時東の手には自分のために淹れられた味のわかる飲み物がある。この空間は、間違いなく優しさに満ちている。
収録が長引いた苛々、だとか。いつまで経っても新しいフレーズを生み出せない行き詰り、だとか。そういったものが、飲み物と一緒に流れ落ちていく感じがした。
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