3:時東はるか 11月19日7時5分 ①

 ぷるぷると目の前で厚揚げが踊っている。でかい。そのでかさに時東は圧倒された。でかい。公称百八十センチの時東よりもはるかにでかい。倒れてきたら、たぶん、死ぬ。

 恐れおののく時東の耳に、今度はご機嫌な歌が届いた。どこに口があるのかは謎だが、発信源が厚揚げであることは間違いない。そうしていまさらながらに、もうひとつに気がついた。厚揚げの後ろでは、バックダンサーよろしくジャガイモと大根が飛び跳ねている。

 夢だ。間違いなく自分は夢を見ている。時東は断定した。同時に、そんなに昨夜のおでんが嬉しかったのだろうかと自分の浮かれぶりを内省もした。

 そのあいだにも夢は進み、新たな厚揚げが舞台の端から飛び出してきた。センターで踊っている厚揚げに、勢いそのままの体当たりをかましている。時東は生まれてはじめて、厚揚げが中身を飛び散らしながらぶつかり合う瞬間を目撃した。

 陽気な音楽から急転、もの悲しい音楽がかかり始める。割れかけの厚揚げが舞台の上で倒れ伏している。我が夢ながらシュールだ。


『なによ! なんなのよ!』


 どこから声が出ているのかは謎だが、体当たりした厚揚げが悲劇のヒロインよろしく嘆いている。


『あなた今までずっと私を食べるときは、辛子で食べてくれていたじゃない!』


 目もないはずなのに、恨みがましく見つめられている気分が半端ない。まるで修羅場だ。厚揚げなのに。


『なのになんで……!』


 厚揚げだけでなく、大根とジャガイモも自分を見ている気がして、ますます腰が引ける。自慢ではないが、そんな修羅場を経験したことはないのだ。


『昨日に限って、生姜醤油なのよ!』




[3:時東はるか 11月19日7時5分]




「おい、時東。いつまで寝てんだ」

「……南さん」


 肩を揺さぶられ、時東は目を覚ました。窓からは朝日が差し込んでいる。昨日の部屋だ。そうだった。ひさしぶりに酒の味がわかって、嬉しくてはしゃぎ過ぎた。そのテンションで飲み過ぎた。


「なんか、悪夢だった」


 毛布から抜け出して、時東はひとりごとの調子で呟いた。座卓の上は綺麗に片付いている。自分が潰れたあとに南が後始末をしてくれたのだろう。

 時東は自分が酒に弱いと思ったことはなかったが、南は遥かにその上を行っていた。ザルじゃない、あれはワクだ。

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