第47話 おまけ 四

「は、はい! 頑張ります!」


 エナは下半身を濡らした状態で立ち上がり、満面の笑みで走り去っていった。だが、腰が抜けた状態だったので、ずっこけ、お尻を突き出していた。




 ――任せても大丈夫だろうか……。


「いてて。もっと頑張ってハンス様に褒めてもらうぞ!」


 エナは立ち上がり走っていく。


 エナがいなくなり、ハンスともじもじしているトラスだけになった。


「トラス、どうしたの? そんなもの欲しそうな顔をして」


「い、いえ……。私はまだ成果を上げていないので」


 トラスは視線を下げながら呟いた。


「そう。じゃあ、いい仕事ができるように、おまじないを掛けよう」


 ハンスは立ち上がり、トラスに抱き着いて唇を奪った。


 トラスは腰を抜かし、ハンスに抱き着くしかなくなる。そのまま長い間、おまじないを行い、彼女は彼以外見えなくなっていた。


「はぁ、はぁ、はぁ……。す、すごい効きそうなおまじないですね……」


 トラスは虎茶色の瞳を潤わし、頬を紅色に染め、呟いた。


「そりゃあ効くよ。俺のおまじないだ。魔法くらい効果があるさ。仕事を上手くすれば好きなだけ腰を叩いてあげるから、死なない程度に頑張りな」


 ハンスはトラスの頭を撫でた後、左頬に付いている深い傷を撫でる。そのまま、傷に軽くキスをした。


「トラス、ものすごく綺麗だよ。昔よりも、ずっとずっと綺麗になった」


「う、うぅ……。ハンス様ぁ……」


 トラスは瞳に涙を浮かべながら、ハンスに抱き着く。


「例え、ハンス様が外道に足を踏み入れようとも、私はいつまでもあなたのおそばに仕えます。このちっぽけな命を持ってすらあなたにいただいた御恩を返せるとは思えません……。ですが、どうか私をいつまでもハンス様の傍でお仕えさせてください」


 トラスはハンスに抱き着きながら、傷口を目から溢れ出る液体で濡らすほどの忠誠を誓った。


「まったく。獣族の愛は皆、重いな。人族の嫉妬心と同じくらい強い気持ちだよね。突き放そうとしてもついてくるし、駒みたいに使うって言っても懐いてくる。ほんと、馬鹿ばかりだ。でも、そんな馬鹿が俺は大好きだ。俺も馬鹿だから、馬鹿の気持ちはよくわかる」


「でも、ハンス様は多くの者に聡明だと思われていますよ」


「俺が聡明? はははっ、何を言ってるの。俺は聡明じゃないよ。ただゴミだと思う者をかたっぱしから掃除しているだけだよ。ゴミだらけの道を掃除しきって皆が幸せに暮らせる国を作る。それがお爺様の夢だ。俺はその意思を受け継いだ。足を外道にとっくに踏み入れてるよ。でも、トラスは盲目になって俺に付いて来ている。それでいいさ。気づいたら世界は変わっている。逆にその時まで馬鹿でいてほしい。それだけで俺の力になる」


 ハンスはトラスに抱き着き、温もりを得た。虎茶色の髪から香る獣臭を嗅ぐと身が引き締まる。


「じゃあ、トラス、それぞれの仕事に取り掛かろうか」


「はいっ! ハンス様」

 

 トラスは黒いローブのフードを被り、濡れた床を掃除した後、煙のように消えた。


「さて、俺も仕事に行きますかーって、シトラがいなきゃ、仕事ができない」


 ハンスは荷物持ちの経験しかなかったため、一人だけでは仕事が出来なかった。


「あー、これじゃあ、仕方がないな。シトラを起こして仕事に行くしかないかー」


 ハンスは鼻の下を伸ばしながら振り返り、扉を開ける。


「シトラー、朝だよー。さあ、早く起きて俺の天使ちゃん! 起きないと悪戯しちゃうぞ」


 ハンスは両手をにぎにぎしながら、ベッドの上で眠るシトラのもとに近寄る。起こさなければ仕事ができないと言う理由があり、今の状況を突っ込まれても酒で酔ったあと、ここまで運び、介抱しただけだと説得も出来る。

 彼女の体に触れて起こしても何ら問題ない。どこに触れるのかが問題だ。何なら、今、目を覚まさないでほしいと思うほど、ハンスは興奮している。


「んっ……」


 シトラはハンスの手が胸に当たった瞬間に目を覚ました。


「あ……、え、えっと……。シトラがお酒に酔ってここまで介抱してきたんだけど、ほら、もう朝だから、起こさないとなーって思って、肩を持って起こそうとしたんだけど、手が滑っちゃってさー。いやー、まさか胸に木の板を仕込んでいるとは思わなかったよ。おかげで触っちゃったかと思ってひやひやした。胸が無いと木の板を体に仕組めて良いね! ぐおはっ!」


 ハンスはシトラの鉄拳を顔面に食らい、天井を突き破る。


「そんなわけあるかぁあああああああああああああああああああああああっ!」


 シトラは怒号を発し、ハンスは空のかなたに飛んで行った。あまりの威力でハンスは八〇キロメートル先にある牛糞の山に突き刺さった。


「う、うぐぅ……。ゴミを掃除する前に、自分がゴミ塗れになってしまった……。でも、運塗れってことで、運が良いのかも!」


 ハンスは糞まみれになるも、持ち前の前向きな姿勢で小一時間そのままでいた。



 一ヶ月後。ハンスとトラスはシトラに多額の借金を背負わせているドリミア教会の根城を突き止め、シラウス街から離れた森の中にある廃墟までやって来た。


「うわぁーん、捕まっちゃいましたぁ。助けてくださぁーい。だれかぁーっ! ふぐ、ふぐぐぐ……」


 ドリミア教会の根城を探るために動いていたエナは自分だけで手柄を立てようと根城にこっそりと潜入し、敵を待ち構えていた。だが、ここぞと言うところでドジを踏み、敵に捕まった。


「うるせっ! 黙りやがれ!」


 司祭服を身に着けた男がエナを下着姿のまま椅子に縛り付け、雑巾を噛ませ舌を噛めないようにした後、喋れないように口封じする。


 この状況を見ていた別の黒服がハンスとトラスにすぐさま連絡を取り、両者を呼んだのだ。


「ちっ、獣族の孤児がもっといりゃあ、金をたんまり奪えるんだがな。あのちんちくりんしかいねえのか。普通の人間に手を出したら俺の方がやべえし、どうしたものか」


 司祭服を着た男は椅子に座り、金貨の枚数を数え始める。


「うー、うぅー、ううぅうー」


 エナは頭を動かし、辺りを見渡した。


 ハンスは壁に設置されていた通気口用の窓から両手を出す。手話で銃の位置をエナに聞いた。

 エナは手首を縛られていたが指先は動かせたため、司祭服を着ている男の右腰と机の引き出し、棚の中の三カ所に指を刺す。


 ハンスは親指と人差し指の先をくっ付け、丸を作った。肩を外し、本来なら肩がつっかえて入れない窓枠をすり抜け、蛇のように音もなく室内に侵入。

 一部屋の平屋で、右奥に玄関があり、右手前に机、中央付近にテーブルと椅子、左奥の方に棚が置かれていた。

 ハンスは寝床に音もなく着地し、布団にくるまる。


 ――くっさ、牛糞よりもくせえ……。


「おい、帰ったぞ」


 何者かが扉を叩いた。


「ああ、今開ける」


 椅子に座って金貨を数えていた男は玄関に向かい、扉を開けた。


 立っていたのは似たような白い司祭服を着た男だった。


「隣街の教会に乗り込んだら、もう大量だ!」


 他の男が部屋の中に入り鼻をつまむ。


「うわ、くっさ……。おい、なんで獣族の雌なんて連れ込んでんだよ。どうせなら人間のガキにしろよな。あっちの方が後処理が楽なのによ」


「帰って来たら金貨を盗もうとしてやがったんだ。あと、この書類もな」


 男は正教会の者が書いたと思われる契約書を人差し指と中指で挟み、返って来た男に渡した。


「たく、これが盗まれていたら俺達は死んだも同然だ。だが、あの獣族が盗む必要性がわからねえな」


 男は右腕を引っ込め、司祭服の中に仕込んでいたと思われるリボルバーを右手に持ち、銃口をエナの眉間に付きつけた。


「おい、雌犬。なんで、この紙を奪おうとした。理由を吐かねえと死ぬぞ」


「うー、ううー、うぅうー」


 エナは口を縛られているため、言葉を発することができない。


「こいつ、ルークス語が喋れねえらしいぞ。ただのバカか?」


「そりゃあ、口を塞いでたら喋れねえだろ」


 男はエナの口封じを外す。


「はぁ、はぁ、はぁ……。あなた達、悪い人達ですよねっ! 掃除するための証拠を返してください!」


 エナはものの見事に正直に話した。


「掃除するための証拠? 何言ってんだ、この雌犬……。にしても、案外可愛いか?」


 リボルバーを持つ男はエナの顔を舐めるように見回し、左手で顎を持ち上げる。


「おいおい、雌犬に欲情するなんて、相当溜まってんじゃねえか。やめとけやめとけ。病気を移されて死ぬぞ」


 男は椅子に座り、金貨をまたもや数え直す。


「それもそうか。で、この雌犬はどうするんだ?」


「鉄首輪が付いてねえから、奴隷じゃねえだろ。他国にうりゃあ、良い金になるんじゃねえか? まあ、他国に連れていくだけで無駄な出費になるがな」


「たく、殺しても処理が面倒臭いし、死体に魔物が寄ってきやがるし、どうしたもんかね」


「鬱憤を晴らせばいいんじゃねえか。丁度良い具合に殴りやすい背丈だろ。目を瞑って胸を揉めば、人間の女と変わらねえ。案外いい考えだろ」


「お前も趣味が大分悪いな。だが、丁度イライラしていたところだ。憂さ晴らしには丁度良いだろう!」


 リボルバーを持っている男はテーブルに銃と契約書を置き、握り拳を作るとエナを殴った。顔をぼこすかと殴り、エナが座っていた椅子が倒れる。

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