第40話 シトラの秘密

 医療班が国内から送り込まれてくることは無く、エナや他の黒ローブが怪我人の応急処置を行っていた。




 ハンスは戦いから一日経った頃、リジンに弄ばれていた少女がいる病室に来た。


「あぁ……。あぅあぁ……」


 少女は未だに心が壊れているのか、人らしからぬ声を出す。


「君と君のお父さんの仇はとった。お母さんはもともといないのかな。俺に出来ることはこのくらいだ。あと、支援もする。心を直したあと、孤児院で勉強して幸せになるんだ」


 ハンスは少女の手を握り。青色のペンダントを緑色に光らせる。少女の曇った瞳が、少し透き通り、大粒の雫がボロボロと零れ落ちる。


「もう、大丈夫だから」


 ハンスは少女の手を布団の中に戻し、病室を出る。


「リジンを倒しても、まだゴミ山の一部か……。先は長いな」


 ハンスは病院の廊下を歩き、シトラがいる病室に向かった。


 シトラは『女神の慈愛』により全身の損傷は回復し、疲労だけが蓄積した状態なので、寝ていれば治る。他の者も同じ状態だ。


「うう……。ハンスさん、やっと説明する気になりましたか……」


 シトラはベッドで横たわりながら、視線だけをハンスに向け、呟いた。


「シトラ、無事でよかった。大好きだよ」


「話す気ゼロじゃないですか……」


 シトラの頬は少々赤くなっており、尻尾が揺れている。


「えっと、話す気ゼロじゃなくて、話せないんだ。だから、俺は悪い奴を懲らしめた者って認識にしておいてくれないかな」


「あんな化け物に勝ってしまうなんて、ハンスさんが何者か全くわかりません。でも、ゴブリンに負けてるハンスさんと同一人物であっていますよね?」


「うん。俺は魔物のゴブリンすら倒せない男だよ。シトラの後ろをついて行って大きなお尻を見ながら、荷物持ちをしているただの放浪人。悪い奴が相手だとちょっと戦えるようになる人間なんだよ」


「はぁ……。あんな化け物に勝てるのに低級の魔物に勝てないなんて、訳がわかりません。その剣のせいですか?」


「えっとこの剣は人間の悪意に反応して鞘から抜けるらしい。俺も最近まで気づかなかったよ。何年もの間、人とばかり戦っていたからさ」


「あんな動きが魔物相手でも出来れば、白金級冒険者にだってなれるのに、もったいないですね。しゃばばばって動いてずしゃ、どが、ぼっがんって」


 シトラは状況説明が苦手らしい。


「な、なにを言っているのかよくわからないけど、とりあえず、俺のことを理解してもらえたかな。普通はこのままお別れと言いたいんだけど……、俺、シトラのこと、本当に好きになってしまったんだ。いつか、平和になったこの国で、俺と結婚してほしい」


「なに、いきなり求婚しているんですか。バカなんですか? 何も教えてくれない秘密主義の男と結婚できるわけないじゃないですか。そもそも、付き合ってすらいませんよ。結婚と言うのはですね、告白して付き合ってから、互いのことを知り、本当に好き合ってからじゃないとしちゃいけないんですよ」


 シトラは結婚に対する敷居が高いようだ。


「じゃあ、俺と付き合って」


「嫌です。なんですか、その適当な感じ。そんな遊び人みたいな告白のされ方じゃ、全く靡きませんよー」


 シトラは舌をチロリと出し、憎たらしい表情をする。


「うん、やっぱり、シトラは良い女だ。ますます好きになったよ」


「私は淑女ですからね。良い女に決まってます。ま、付き合うのは無理にしても友達くらいなら、なってあげても良いですけど」


 シトラは視線を背けながら呟いた。


「本当? じゃあ、結婚を前提に友達からってことで」


「そんな前提は困ります! ただの友達に決まっているじゃないですか。ま、私、友達なんていませんでしたから、どんなのが友達かはっきりわかりませんけど」


「俺も友達なんていない。つまり俺とシトラは友達童貞と友達処女を卒業したと言うことだな!」


 ハンスはシトラの手を握りながら、愛想よく言う。


「な、なんでそうなるんですか。ま、まあ、良いです。とりあえず、私とハンスさんは友達になった。と言うことで、えっと友達からのお願いは絶対ですからね」


「え? いやいやさすがに言い過ぎだよ。でも、シトラのお願いなら、出来るだけ聞くよ」


「じゃあ……。お願いします……。借金の返済、手伝ってくださぃー!」


 シトラは泣きながら言った。


「私、教会に馬鹿みたいな多額の借金を背負わされて、生活するのも苦しいんです。毎日毎日働いても返せる見込みがありません。ハンスさん、友達なら一緒に借金を返してくれますよね?」


 シトラはこれ見よがしに目をウルウルと潤わせ、超可愛い顏でお願いしてくる。


「い、一応聞くけど……、い、いくら?」


「金貨九〇〇億枚……」


「……はは。国家予算かな?」


 ハンスが愛した女性は超絶多額の借金を抱えた者だった。


「うわぁぁぁぁぁぁぁん、嘘じゃありません、本当なんです」


 シトラは泣きながら、言う。


 ――普通に考えて彼女がこれほどの借金を抱えるなんてありえない。何かしら裏があるはずだ。金貨九〇〇億枚の借金を抱えているのに、パンは盛大に食べてたよな。なんなら、分けてくれてた。優しすぎないか。はたまた嘘か……。いや、今までのシトラを見てきたけど、嘘をつくような女性じゃない。


「私、孤児なんです。教会に捨てられて育てられました。教会で獣族を育てるのは罪らしくて、一五年間暮らして一年金貨六〇億枚。合計金貨九〇〇億枚なんです……」


「そんな法律あったかな……」


 ――親父が、新しく作った法律か? いや、一五年前ならお爺様は生きていた。なんなら、まだ国王だった。おかしいな。うん、ゴミのにおいがぷんぷんする。


「え? 法律……。えっと、えっと……。教会に来た正教会関係者が言って来たんですけど獣族強制罰金法みたいな名前の法律を言っていた気がするんですけど」


「なにそれ……。聞いたことがない法律だよ。あと、そんな多額の借金があるなら、弁護士に言った方が良い。いや、でもシトラは獣族だから、門前払いされるか。にしても、その借金の量はおかしい。えっと、他の獣族で同じことを言われていた子はいない?」


「わ、私が育った教会は私しか獣族がいませんでしたから、他の者がどうかとか、わかりません。マザーも何か抗議してましたけど、剣を突きつけられて黙らされていました」


「その借金はどうやって返済してるの?」


「稼いだ額の九割を教会に渡して返しています。まあ、一桁目すら返せていませんが……」


「シトラ、その借金、返さなくても良いよ。明らかにおかしいから」


「で、でも……。私が借金を返さないと、私が住んでいた教会の皆が殺されるって……」


「なるほどね。人質を取っているわけか。新手の詐欺集団か何かかな……。ほんと、ゴミは掃除してもたくさんたくさん湧き出てくるなー。もう、嫌になるほどだ」


 ハンスは椅子に座りながら、白い天井を見る。少々黒い染みがぽつぽつと見え、汚れを一個見つけると、また一つ、もう一つとわかってしまう。


「は、ハンスさん、何をするのかだいたいわかっちゃったけど、絶対独りでに動かないでください。私は他の孤児、マザーがどうなるかわからないので絶対の絶対、動かないでください!」


 シトラはハンスに念入りに声を掛ける。


「大丈夫。そんなすぐに動いたりしないよ。でも、いったん調べてみるから、安心して」


「うう……。ハンスさんの安心しては全然安心できません……」


「はは……、俺の信用度、全くないんだね」


 ハンスはシトラの頭を撫で、綺麗な琥珀色の瞳を見る。ふと立ち上がり、シトラの身動きが取れないのをいいことに、顎に親指の腹と刺し指の側面を当てる。


「ちょ、ちょちょ、な、何をしようとしているんですか! 合意もなく、そんなことをしたら確実に犯罪ですからね!」


 シトラは声を大にしながら言うが、ハンスは止まらない。シトラの薄く綺麗なピンク色の唇を見ながら、微笑み、ゆっくりと顔を近づけていく。


「な、ななな、だ、駄目ですって。ま、まだ……」


 シトラは抵抗しようにも体がお思うように動かず、金縛りにあっているような状態に陥っている。もう、何もできず、目をぎゅっと瞑る。


 ハンスはシトラの唇ではなくおでこに軽く唇を当て、離れた。


「どうしたの、シトラ。そんなに顔を赤くしちゃって。ドキドキしちゃったのかな。ほんと可愛い」


 ハンスは魔性の笑顔をシトラに見せた。


「は、はわわ……」


 シトラは気が抜け、全身が一気に脱力した。


「じゃあ、シトラ。またお見舞いに来るよ」


「うう……。も、もう結構です!」


 シトラはハンスから視線をそらした。


 ハンスはシトラがいた病室を出ると、モクルとマインがいる病室に入った。

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