第39話 王の証

「ハンスさん……」


 小さく、子供のような手がハンスに伸びる。


「ハンス……」


 ゴツゴツとした男のような腕だがしなやかな指が綺麗な手がハンスに向けられる。


「ハンスさん……」


 手の平が血豆だらけで痛々しいが触れれば柔らかい手がハンスの方向に動く。


「ハンス様……」


 がっしりとした手が地面を掻きながらハンスのもとに向かいたがる。


「ハンスさん……」


 最も大きな手が震えながらもハンスへと向く。


「このゴミたちは何をしているのやら、全く理解できませんね。心臓を貫いたんですよ。生きている訳が無いでしょう」


 リジンは首を振りながら、周りにいる獣族の行動の理解できなさに、疑問を持っていた。


『ハンス、男なら立ち上がれ。王ならば仲間を守れ。倒れて良いのは老衰した時だけだ』


「…………」


 ハンスの首に掛かっていた青色の結晶が、うっすらと緑色に光る。


「ん……?」


 リジンは何かしらの魔法の気配を察し、ハンスを見る。すると、あろうことか、立ち上がっていた。ハンスは右手をネックレスに当てる。


「『女神の慈愛』」


 ハンスはかすれた声で呟いた。すると、シラウス街全体を包むほどの緑色の光が広がる。


「な、なんだこれは! いったい、何が起きている!」


 リジンは辺りを見渡し、状況が理解できていないため、恐怖に苛まれていた。


「スゥ……。ハァ……。ほんと、王って大変だよな。やり残したことがあると死んでも死にきれねえんだ」


 ハンスの胸に空いた傷が急速に塞がっていく。腹部に空いた弾痕も同じように消えていく。


「あり得ない! 確実に心臓を潰したはずだ! なぜ、死んでいない!」


 リジンは叫び、緩んでいた目尻がつり上がり、怒りの表情をハンスに向ける。


「俺はこの国を背負って立たなければいけない人間だから……、だろうな」


「理由になっていない! その魔法はなんだ!」


「簡単に言えば……。『死ねない呪い』だ」


 ハンスは剣を両手で持ち、リジンのもとに駆ける。靴裏が地面に付く度、大きな振動が起こり、ルーナの体すら浮いた。


「くっ! 時間を稼げ、ゴミ共!」


 リジンは耳障りな大声を出し、まだ生き残っていたアンデッドを呼び寄せ、ハンスにぶつける。


「ルークス流剣術、マゼンタ撃斬!」


 ハンスはアンデッド一体一体に強烈な一撃を与えた。頭部から股まで真っ二つに割れる者、体がトマトのように潰れる者、ひき肉のようにバラバラになる者。即死の一撃がアンデッドを容赦なく消していく。


「ちっ! ゴミじゃ話になりませんね!」


 リジンは白衣の内側に隠し持っていた試験管を開け、液体を飲み干す。手からすっぽりと抜け落ちた試験管が地面に当たり、快音を鳴らすと、リジンの肉体が膨らみ始める。


「グははははははははッ! 素晴らしい、やはり、私は天才的だ……」


 リジンの声にドスが効き、しわがれた聞きにくい声に変わる。

 肉体は細身から、本物の化け物になり、全身真っ黒。頭部から生えている捩じれた二本の角が、魔人の進化形態とよく似ている。

 その姿は教書に出てくる邪神のようだ。


「本当に醜い……。お前を今から、ルークス王に変わり、掃除してやる!」


「ハハハハハハハハハハハハハハハッ! 出来るものなら、やってみろ!」


 リジンは体長五メートル近くになり、樹木のように太い腕を引き、大岩かと見間違えるほどの巨大な拳をハンス目掛けて打ち込む。


「ルークス流剣術、シアン流斬!」


 ハンスは剣身でリジンの巨大な拳を右後ろに流した。大砲が打ち込まれたような炸裂音が後方から響くも気にする素振りを見せず、太い腕に飛び乗り、駆ける。


「ちょこまかと! この羽虫が!」


 リジンは左手でハンスを潰そうと体を叩く。


「ルークス流剣術、フラーウス連斬!」


 チカチカと光が舞うと、リジンの左腕を弾け飛ぶ。


 ハンスはすでにリジンの目の前におり、剣を頭上に掲げ、月あかりに照らされていた。


「これで、終わりだ。マゼンタ撃斬!」


 ハンスは真っ赤に燃える剣身をリジンの頭部に打ち付ける。あまりの加重にリジンの体は地面に叩きつけられ、巨大なクレーターが生まれた。辺りの建物は吹き飛び、砂塵が衝撃波に乗ってシラウス街全体に広がっていく。


「おらあああああああああああああああああああああああああ!」


 ハンスは雄叫びを上げながら、真っ赤な刀剣をリジンの頭部にめり込ませ、地面まで一気に切り裂く。切られた箇所は真っ赤に燃え、暗い夜道を照らした。


 巨大化したリジンは微塵も動かず、ハンスは靴裏から着地。


「ふ、ふはははははははははははっ! バカめっ! 『リフレクション』」


 切り割かれた傷口から魔人となったリジンの体が這い出てきて叫ぶ。


「…………あ、あれ? 魔法が、発動しない」


 リジンの呆気にとられた表情の先に胸もとが光るハンスの姿があった。


「ふっ、魔法を消せるのが、お前だけだとでも思ったか。俺は『解除(キャンセルアテント)』をすでに発動している」


 ハンスは剣を頭上に持ち上げ、呟いた。


「ば、馬鹿な! 詠唱をいつ言った。無詠唱なんてありえない! あの、ゴミにだけ手を差し伸べた最後の魔法使い、カイリ・バレンシュタイン・ルークスも使ってないはず!」


「三下が何を言っている。無詠唱が出来てこそ本物の魔法使いだろ。あとな……、世界最強の魔法使い(カイリ)を侮辱するな! 『ルークス流剣術奥義、ニガレウス撃流連斬』」


 ハンスは魔法が使えない空間の中、真っ白に発光している剣身を掲げる。そのまま、大地が割れるほどの踏み込み、激流のごとき脚運び、何本もの光の筋がリジンの前に浮かぶ。


「はは……。ハハハハハハハハハハハハハハッ!」


 リジンは何本もの光の斬撃により肉体が粒子になるほど分裂され暗夜の藻屑となり、甲高い声は空のかなたに消えていった。


 リジンの体だけではなく、危険薬物によって生み出された巨大な黒い塊はハンスの放った大量の斬撃により崩壊。破裂音と共に、手榴弾の如く弾け飛んだ。もう、砂と肉体の区別が付けられない。


「はぁ、はぁ、はぁ……。あ、危なかった……」


 ハンスは地面に膝をつき、息を整える。だが、膝を付けただけでは体を支えることが出来ず、両手を地面につけ、胃の内容物を吐き戻す。

 体の限界を完全に超え、痙攣が起こり始める。瞳孔が上下左右に動き、平衡感覚が完全に壊れていた。少しすると青色の宝石が緑色に光る。


「はぁ、はぁ、はぁ……。女神様ありがとうございます……。私の命はあなた様のために」


 ハンスは小さな声で呟き、首を垂れた。全身の震えが止まり、平衡感覚が戻ってくる。


「皆……」


 ハンスは立ち上がり、質素な剣を鞘に納め、皆が倒れていた場所までよたよたと歩いていく。

 皆が倒れているところに戻ってくると皆、仰向けになり寝ころんでいた。


「皆……、大丈夫?」


 ハンスは大怪我を負った者達に話し掛けていく。


「う、うう……。これが大丈夫に見えますか……」


 シトラは目をあけ、全く動けないのか、琥珀色の瞳だけをハンスに向け、話す。


「ああ……。全くその通りだ……」


 シトラと同じく全く動けないモクルは呟く。


「わ、私の腕が……」


 マインはいつの間にか治っている右手を見て唇を震わせる。


「ハンス様……。やはり、ハンス様は偉大なお方だったのですね……」


 フードが取れ、頬に傷が入った素顔が良く見えるトラスは微笑みながら言った。


「あーん、ハンスさん、動けませーん」


 ルーナは全身に蓄積した疲労により、身動きが取れないらしい。


 戦っていた五名は皆無事だった。


「う……。あ、あれ……。私……滅多撃ちにされたはずじゃ……」


 エナの腹部は何者かに治癒されており、服に五発の穴が開き、真っ赤に染まっているだけだった。エナは理解できず、自分のお腹を何度も触り、首をかしげる。


「くっ……。え……。なんで……」


 首の弾痕が消え、目を覚ましたミルは自分がなぜ生きているのか不思議に思い、自分が死んでいたかもしれないと思い出し、恐怖から吐き気を催した。

 そのまま、地面に胃液を吐き、怖気に襲われる。


「巻き込んでしまって申し訳ありません。あなたに危害を加える気は一切ありませんでした。癒しの精霊よ、汝のみ心を持って傷心せしかの者を癒せ『ヒーリング』」


 ハンスはミルのもとに向かい、手を握る。そのまま、詠唱を呟き、ミルの心を暖めた。


「はぁ、はぁ、はぁ……。い、息ができる……。え、えっと……」


 ミルは何かを言いたそうにしているが、口をつぐみ、何も言おうとしない。


 ハンスは口角を少しだけ上げ、ミルにぎゅっと抱き着いた。


「無事でよかった……。助けてくれてありがとう」


 ハンスは掛けられる言葉を紡ぎ、伝える。


「誰よりも幸せに……なるんだよ」


 ハンスは優しく呟き、そっと離れる。


 ミルはくしゃくしゃな顔をハンスに見せながら、無理やりにでも笑った。


 ハンスは動ける黒ローブたちと共に倒れている者達を病院のベッドに運んだ。アンデッド化した者の多くが医者や看護師であり、医療を行う者が不足している状態。加えて街の人々が甚大な被害を受けていた。

 だが、一瞬にして広がった緑色の光により、多くの者が命を取り留めていた。ハンスとごく一部の者しか、何が起こっていたのか理解しておらず、生きているのが不思議だと感じる者もいる。

 夢だったとすら錯覚する者がいるくらいだ。


 医療班が国内から送り込まれてくることは無く、エナや他の黒ローブが怪我人の応急処置を行っていた。

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