第26話 エナの努力

「了解しました。えっと……、ハンス様、抱き着いても良いですか?」


 黒いローブの者は言う。


「埃塗れのローブを外したら、いいよ」


 ハンスは両手を広げ、言う。


「は、はいっ!」


 埃塗れのローブを着ていた者は黒いローブを外した。すると虎耳の獣族が現れる。こげ茶色の短い髪。整った顔立ちにも拘らず、顔に入った大きな傷。現れた太めの長い尻尾はうねり、満面の笑みを浮かべながらハンスに飛びついた。




「トラス、お仕事お疲れ様。いつもいつもありがとうね。大好きだよ。また今度、一緒に寝よう」


「はい……、ハンス様とならいくらでも……。私の体、好きなだけお使いください……」


 ハンスは虎族の雌を撫で、彼女の機嫌を良くした。虎族の雌はローブを羽織り直し、エナに聞く。


「今日からお前に教育を施す。泣き言は無しだ。逃げ出したら死ぬと思え。耐えきったらハンス様のしもべになれる。ハンス様に捨てられないよう精進するんだな」


「え、えっと……。私は別にハンスさんの下につきたいわけじゃなくて……」


「いずれわかる。ハンス様の偉大さ寛大さ、器の広さ。なにもかも崇拝にあたい……」


 ハンスは虎族に熱いキスをした。虎族は内ももを震わせ、腰を抜かす。


「トラス、仕事以外の余計な話しはしない。次やったらお仕置きだからね」


「しゅ、しゅみません……、は、はんせいしましゅ」


 虎族は頭を振り、エナの手を持つ。


「私の名前はトラス。お前はこれからエナだ。家名はいらない。わかったな」


「…………家族はもういませんから、もう、名前だけでも構いません」


「馬鹿野郎! 私達は家族だ! エナは今この瞬間に私達の家族になったんだよ!」


 トラスはエナを抱きしめた。エナは目を丸くしながら何が起こっているのか戸惑っていた。


「まあ、トラスが言うことも一理ある。俺達は家族だ。たとえエナが死にたがっていたとしても俺達は見捨てたりしない。じゃあ、トラス。エナの教育は三カ月の間に頼む。失敗したらお仕置きだ。全裸でしばりつけて全身を鳥の羽で八時間擽ってやる」


「な、なんてむごいお仕置き……。じゅるり……。はっ! いかんいかん」


 トラスは口もとをぬぐい、エナを抱きかかえ、床を蹴った。そのまま天井裏に入る。


「エナ、また会いに行くから、勉強を頑張って」


 ハンスはエナに手を振る。


「な、なにがなんだかよくわからないんですけど! うわあっ!」


 エナはトラスに連れていかれた。


 ――これでエナも仕事に困らないだろう。ゴミ処理は生き物がいる間、半永久的に終わらないからな。


 ハンスはエナが眠っていたと思われるベッドに寝ころび、枕を嗅いだ。


「んー、体調が悪いから発情の周期が予測できないな。もう成熟しているし、放っておいたら危険だ。発散してあげないとな」


 ハンスはベッドから出て、机に置いてある食事を平らげる。そのまま部屋を出て『獣好き屋』に向かった。その途中……。


「ちょっ! やっと見つけた! どうせここに来ると思ってたわよ!」


「そうですそうです! 私達をほっぽってどこかに行くなんてひどいですよ!」


 風俗街の入り口付近で牛族のモクルと、馬族のマインが大声で怒鳴って来た。


「こ、こんばんわ……。いやー、今日の朝、予定があってさ。二人共気持ちよさそうに眠っていたし、起こすのも悪いなーと思って。で、気分はどう?」


「もう! 最高よ! 清々しいぐらいにね!」


 モクルは仁王立ちをしながら言う。


「はいっ! ずっとつっかえていた杭が抜かれたくらいすっきりして体調万全です!」


 マインは両手を持ち上げながら飛び跳ねていた。両者共に絶好調のようだ。


「よかったよかった。じゃあ、俺は今から新しい子を味見しに行くからー、またねー」


 ハンスは口角を緩めながら両者の間を通り過ぎようとする。


「……」


 モクルとマインはハンスの腕を掴み、進行を妨げた。そのままずるずる引っ張り、居酒屋に連行する。


 ハンスは居酒屋に連行されたあげく、酒を飲まされる羽目になった。酔っぱらった二名に休みたいとねだられ、二日連続三人で一夜を過ごすことになる。



 ドルトを掃除してから二ヶ月後。ハンスはエナが宿泊している部屋にいた。


「エナ、毎日よく頑張ってるね。偉い偉い。ほんと、エナは頑張り屋さんだな」


 ハンスは椅子に座り、黙々と勉強しているエナの頭を撫でる。


「えへへ。私、いっぱい勉強したんです。ハンス様に褒められたくて毎日夜遅くまで勉強してるんです!」


 エナはハンスに撫でられ、尻尾を大きく振りながら微笑んだ。


「ほんと、エナはお利口で勉強熱心だね。そんなエナだから、俺は沢山褒めたくなるんだ。頑張れば頑張るだけ、自分の力になる。でも、無理は禁物だよ」


 ハンスはエナを優しく包み込むように腕を回し、耳もとで囁きながら頭を撫でる。


「はわわ……。は、ハンス様に褒められると、なんでこんなにうれしいんだろう……」


「そりゃあ、誰だって褒められたらうれしくなるよ。エナの頑張りは俺がしっかりと見てるから。どんなに辛くても、苦しくても、俺が支えてあげる。あと一ヶ月、頑張るんだよ」


「は、はい! 頑張りますっ!」


 エナは大きな声を上げ、勉強を再開した。


「エナ、体調はもう戻ったかな?」


 ハンスはエナが使っている枕の匂いを嗅ぐ。


「はい。もうすっかり元気になりました。えっと、そうしたら色々戻ってきちゃって……」


 エナは内ももを擦り、呟く。


「じゃあ、一ヶ月間。毎日自分で自分をいさめるんだ。もちろん勉強をした後にだからね。これ、俺の脱ぎたてパンツ。おかずに使うといいよ」


 ハンスはウエストポーチからパンツを取り出し、エナの前に差し出した。


「は、はわわ……。は、ハンス様のおパンツ……。きゅぅーっ!」


 エナはパンツを鼻に押し当て尻尾をブンブン振った。雌なので雄の匂いにやはり弱い。


「エナ。一ヶ月後、新しい一生が始まる。過去がどれだけ辛かったかなんて関係ない。これから幸せになればいい。でも俺はまだまだしなければならないことがある。だから、エナの力を俺に貸してほしい。これから、俺について来てくれるかい?」


「はい! 私、ハンス様に一生ついて行きます! どこまでもお供します!」


 エナは満面の笑みになり、耳と尻尾を動かしながらハンスに抱き着いた。


「ありがとう、エナ。大好きだよ」


 ハンスはエナを抱きしめ頬にキスしながら言った。


「わ、私も……、大好きです……。ハンス様、無理はしないでくださいね」


「うん。エナも、体調管理には気を付けるんだよ」


 ハンスはエナがいる部屋から出た。


 すると宿の廊下に虎耳の獣族が立っていた。


「トラス、エナの教育は順調みたいだね」


「もちろんです。ハンス様の言いつけを破るような真似はいたしません」


 トラスは胸を張り、ハキハキと声に出しながら言った。


「普段の仕事もあるのに、ありがとう。優秀な部下がいて俺は幸せ者だ」


 ハンスはトラスに抱き着き、耳の裏側を優しく掻きながら褒めた。


「は、ハンス様の部下たるもの……、こ、このくらい朝飯前ですよ……」


「いや、これはトラスだからできたことだ。ほんとトラスは凄い子だ。これからも体調管理に気を付けて仕事を頑張ってほしい。俺が出来るのはこれくらいだ」


 ハンスはトラスの顎に人差し指を置き、上に向けさせて口づけをする。そのまま顏の傷を撫で、言った。


「トラス、愛してるよ。例えどんなに大きな傷が顔にあったとしても、俺は構わない」


「は、ハンス様……」


 トラスの瞳は涙がにじみ出し照明を反射させているのか輝いていた。


「トラス、俺はこの国を変える。それが使命だと思ってる。だから俺に君の命をくれ」


「はい。いくらでも差し上げます。ハンス様の理想とする世界のために、私の命が使えると言うのなら、喜んで差し出します」


 トラスは胸に手を置き、言った。


「ありがとう。じゃあ、早速……お金貸してください!」


 ハンスはトラスに土下座した。


「はぁ……。全く、もう、お金が無くなっちゃったんですか」


 トラスはハンスの頭を踏む。


「すみません……。『獣好き屋』の女の子に一杯使っちゃいました……。最近、炭鉱のダンジョンで魔物が現れにくくなって金欠なんです……」


 ハンスは弱々しく言う。


「じゃあ、最近新しく現れた森のダンジョンにでも行ってきたらどうですか?」


「新たな情報感謝します……」


 ハンスは踏みにじられるのに快感を少々覚えながら言う。


 現在の時刻は午前七時。ハンスは炭鉱のダンジョンに向かい、シトラと合流する。


「シトラ、おはよう」


 ハンスは何事もなかったかのように入口で待っていた白に近い銀髪狼族に話し掛けた。

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