第8話 熊族の店員

 ハンスは金貨を革製の袋に入れ、銀貨一枚で食事と礼儀作法(エチケット)を終える。



「さてー、今の時間は午後七時かー。ちょっと早いかな。あと二時間、眠るか」


 ハンスは静かな酒場に入った。品の中でもっと安い銅貨五枚の水だけを頼み、テーブル席で堂々と眠る。外で寝ていたら強盗に合う可能性があり、室内の方が安全だからだ。


「はぁ、ハンスが店内でまた居眠りしてやがる……。ルーナ、ハンスに毛布を掛けてやれ」


「はいっ! 了解しました店長!」


 鼓膜を突き破らんとする大きな声が耳から入ってきた。


「うう……、ルーナ、うるさい」


「あ、ごめんなさい、ハンスさん。ついついいつもの癖で……」


 熊耳が生え、乳と図体が大きな女性がハンスの肩に毛布を掛け、肩をすぼめる。そのせいで、酒場の仕事服である、メイド風の衣装の胸元がさらに大きくなり、ハンスを誘惑した。


「はぁー、ルーナ。今日もいい具合に汗を掻いてるんだねー。ほんとかぐわしい……」


 ハンスは近くに寄ってきた熊耳女性の肩を抱き、大きな胸に顔を埋める。


「もう……、私なんかにお触りしてくるのはハンスさんだけですよー」


 身長が二○○センチメートルを超えている大柄な熊族のルーナはハンスの小さな頭を抱き、優しく摩った。


「なんでさー、皆はルーナの可愛さがわからないのかなー。ルーナはこんなに優しくてエッチぃのに」


 ハンスは顔を上げ、ルーナの顔を見る。丸っこい顏に大きな黒い瞳。黒髪の短髪で少し低めの鼻。母親のような包容力のあるスイカ級の胸に大きなお尻。抱き着くだけでも癒らされるくらい、大きな体。――ああ、癒される。


「は、ハンスさんが特殊な性癖すぎるからなんじゃないですかね……。人族の方は私みたいな巨体の女性は好まないんですよ」


「えー、俺はルーナのこと、大好きだよー。優しくて可愛くてエッチな時も従順で……すっごく可愛い声で鳴くのにー」


「恥ずかしいこと言わないでくださいよ。あ、あれはハンスさんが上手すぎるから……」


「ねえねえ、ルーナ。俺、二時間くらい休みたいんだけどさ、裏メニューを注文してもいいかな?」


 ハンスははにかみながら、呟く。


「も、もう、仕方ないですね。店長! 裏メニューが入ったのでちょっと席を外します!」


「おう。ルーナがあんまり長くいなくなられると、馬鹿どもが騒ぎ出すから、さっさと終わらせて来い」


 酒場の店主がガラス製のグラスを布巾で拭きながら呟いた。


「りょ、了解です!」


 ルーナはハンスを抱き上げ、別室へと移動する。


 ルーナとハンスが別部屋に入ってから二時間後……。


「あ、ああ……。は、ハンスさん……。私、また飛ばされちゃっていたんですね……?」


 ルーナはベッドの上で目を覚まし、シーツを抱えるようにたくし上げる。顔はとても幸せそうで、はにかんでいた。


「そうだね。今回も、凄く楽しかったよ。ありがとう、ルーナ」


「ハンスさんに楽しんでいただけたのなら、よかったです。これでまた明日から元気に働けます。な、なんなら、明日も来ていただいても良いですからね」


「時間があったらね」


 ハンスは革袋から金貨一枚を取り出し、ルーナの胸に挟む。


「いつも、ありがとうございます。助かります」


「俺の方こそ、楽しい時間を過ごさせてもらっているんだからこれくらい普通だよ」


 ハンスは服を着ようとすると、ルーナがさっと動き、ハンスに着させる。


「ありがとう、ルーナ。別にそこまでしなくてもいいのに」


「いえいえ、ハンスさんに教えてもらったことですし、忘れていないと言う意思表示をしようと思いまして」


 ルーナはハンスが着ていた服や防具を全て取り付ける。


「いやー、ここまでしてくれる嬢は中々いないよ。やっぱり、ルーナが嬢を辞めちゃったのは惜しいなー」


 ハンスはルーナの大きなブラジャーを持ち、彼女に付ける。


「私が人間の相手をすると、どうしても怪我をさせてしまうので……」


「じゃあ、俺が人間じゃないってことー?」


「そ、そう言う意味じゃありません。ハンスさんはこんな私を引っ張ってくれるので、私は何もできず、傷つけずに済むんです。本当に、ありがとうございます」


 ルーナは涙目になりながら、ハンスにお礼を言う。


「ルーナ、めそめそしちゃ駄目だと教えたでしょ。ルーナの泣き顔は可愛いけど、多くの人は女に泣かれると心がどんよりするものなんだよ」


 ハンスはルーナの服を持ち、手渡す。


「すみません、嬢時代をふと昔を思い出してしまって……」


 ルーナは服を着て、呟く。


「全く。仕方ないな」


 ハンスはルーナの頭を胸に抱き、後頭部を優しく摩る。


「ルーナも本当は甘えたいんだよね。俺に、たくさん甘えてくれても良いから」


「ハンスさん……。うう……、ハンスさん、大好きです……。もう、好きすぎて……、どうにかなっちゃいそうです……」


 ルーナはハンスに上目遣いで呟いた。


「熊族の発情期はもう少し後だと思うんだけど。発情止めはちゃんと飲まないと駄目だよ」


 ハンスはルーナに軽い口づけをして、微笑む。


「もう……、そうやってすぐはぐらかすんですから……。ずるい人です……」


 ルーナは頬を膨らまし、ハンスに口づけを返す。


 ハンスとルーナが部屋に入ってから二時間が経った後、二名は部屋から出て、酒場に戻る。


「ふー、いやー、よかったよかった。やっぱり、裏メニューは良いねー」


「もう、ハンスさん、あんまり大きな声で言わないでくださいよ。恥ずかしいです……」


 ハンスとルーナが戻ってくると柄が悪そうな人族が酒場に入り浸り、悪酔いしていた。


「おい、店主! 酒が不味いんだよ! こんな酒で銀貨二枚取るってどういうことだ!」


 顔に深い傷がある男が、カウンターでグラスを磨いている店主に怒鳴る。


「はぁ……、ルーナ。お客さんが、お前と遊びたいようだ」


「はーっい! じゃあ、ハンスさん。私はお仕事に戻りますね」


 ルーナは声を上げ、ハンスの頬にキスをした後、顔に深い傷がある男の前に立つ。


「お、おお……。ルーナ、いたのか……」


 男はへっぴり腰になり、呟く。


「私と遊びたいなら、面に出ましょうか? お客様」


 ルーナは笑顔になり、握り拳を作る。


「お、俺は、遠慮しておくよ。て、店主、今日の酒も美味いね! いやー、銀貨二枚で飲めるなんて最高だ!」


 男は手の平返しを決め、店主を褒めた。


 ルーナは店員兼酒場の用心棒として雇われており、人族の男が彼女に勝つのは武器を使っても難しい。初速から六〇キロメートルで走り、拳の力は巨大な岩をも砕く。そんな化け物みたいな彼女に必ず勝つにはベッドの上で甘やかすしかないのだ。


「店主、頼みたいことがある」


 ハンスはカウンター席に座り、金貨一枚を差し出して呟く。


「……たく。面倒な仕事を押し付けられると、毛が薄くなるからやめてほしいんだがね」


 店主は金貨の上に真っ白な伝票と羽ペンを乗せる。ハンスは羽ペンを手に取り、伝票に書き込んだ。


「風俗店『愛の女神』の店長の素性。なるべく詳しく」


 ハンスは伝票を裏返し、前金、金貨一枚、後金、金貨三枚と書き記す。金貨の下に伝票を統べこませ、羽ペンを置いた。


「たく……。なんの為にしているのか知らねえが、あんまり深いところまで潜るなよ」


 店主は伝票と金貨を受け取り、小さめのグラスを手に取り、二個の氷を入れ、疲労に効く回復薬を注ぎ、ハンスに差し出した。


「ルーナの機嫌を取ってくれて感謝する。あいつが暴れたら手が付けられん」


「いえいえ、俺が好きでやっていることなので、逆に回復薬なんかいただいちゃって、感謝感激だ。じゃあ、二週間後にまた来る」


 ハンスはグラス一杯の回復薬を飲み、立ち上がる。そのまま、酒場の出口に向かった。


「あいつが、獣族の女を食っては捨ててを繰り返している物好きか。人族の女なら、ぶっ殺したくなるが、獣族の女なら、逆にすげーってなるよな」


「ああ。俺、猫族の嬢に抜いてもらった時、一回死にかけた覚えがあるぜ。体力がありすぎて俺の体が干からびるんだよ。あと、獣臭すぎ。ゴミみたいな体臭擦りつけてくんなって怒鳴ってやったよ。そしたら激怒して来てよ、もう、怖すぎて手を出せなくなっちまった」


「ほんとほんと、俺も金が無い時は獣族の嬢に相手してもらったが、ありゃ、人間が相手するもんじゃねえぜ。なんなら獣族の雄でも死にかけるって言うじゃねえか」


「獣族の性欲おそるべしってことだな……。あ、言っておくがな、春先から夏にかけて獣族の女冒険者には気を付けろよ。持ち帰られて死ぬ思いをするぜ」


 男達がテーブルを囲いながら、獣族について話をしていた。


 ――そんな怖い子達じゃ無いんだけどな。ちょっと愛が深すぎるだけなんだよな。多分。


「ハンスさん! また来てくださいね! 私、待ってますから!」


 ルーナはハンスの背後から抱き着き、微笑みながら言う。


「ああ。また来るよ。その時はまた裏メニューを頼んじゃうから、覚悟しておいてね」


 ハンスはルーナの頭を撫でながら振り返り、キスをねだる彼女の唇に人差し指を当てる。


「今日はもう、おあずけ。さっきのことを思い出しながら仕事をするといい。ルーナはこういうの、大好きでしょ」


 ハンスはルーナをしゃがませ、耳もとで優しく呟く。


「はうぅ……。は、ハンスさんのいじわる……。で、でも……、大好きです」


 ルーナは目を蕩けさせ、ペタンコ座りをしながら呟いた。丸っこい尻尾が振られ、喜んでいるとわかる。


「あ、あの巨兵ルーナを言葉だけで鎮圧しやがった……」


「や、やっぱりあいつ、ただもんじゃねえよ……」


「俺、ルーナにタックルされて盾を構えたのに肋骨六本に右腕の粉砕骨折を負ったんだぞ……。盾してなかったら即死だったらしい」


 酒場がざわつき始めたので、ハンスは早々に店を後にした。そのまま川辺に向って走る。さすがにルーナの匂いが体につきすぎた。体を洗い直し『獣好き屋』に移動する。

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