第7話 王太子の恋わずらい


 アルフォンスはチエが王宮を出て、ベーカリーに嫁ぐまでの経緯を語り始めた。


「チエ様が転移された時、一人息子のリカードは十七歳を過ぎたばかりでした。見慣れぬ容姿に、朗らかで愛嬌のある少し年上の女性。リカードは、すぐに彼女に惹かれたようです」


(まぁ、わりとよくあるパターンよね。現実世界でも)


「リカードはチエ様へのアプローチとして、花束やこの国独自の菓子や小物、時には自ら作ったクッキーをプレゼントすることもありました。それに対して、チエ様も好意的に接してくださいましたが、やはり、リカードは弟のような存在でしかなかった」


(ちょっと年上の綺麗なお姉さん。憧れから恋人に進展するのは難しいだろうなぁ)


 まだ十七歳の少年だったリカードが、必死にチエに振り向いてもらおうとする健気な様子が鮮明に浮かぶ。


「――そのような日々を過ごしておられましたが、ある時からチエ様の聖女の力に変化が出始めたのです。それに一番早く気づいたのは、チエ様をいつも見つめていたリカードでした」


「ストーカー気質……」


 スズが渋い顔をしながら、二人に聞こえるかどうかというような声量で呟いた。


「チエ様は魔法で髪や瞳の色を変えて、お忍びで街歩きをされる日も多かったのです。聖女の力が薄れた理由が、それに関係しているのではないかと思ったリカードはこっそり後を付けました。王家の人間が、特別に頼んだわけではなかったのですけどね……」


 アルフォンスが、どこか遠くを眺めるようにしながら短い溜め息をついた。


「そして、ベーカリーの跡取り息子と仲睦まじく話すチエ様の姿をリカードは目撃してしまった。彼はチエ様が聖女様だといいうことを知らなかったようです。チエ様も『チセ』と名乗っておられていたようで……。チエ様は当時の店主や女将にも気に入られて、『うちに嫁に来ないか?』などと、冗談なのか本気なのか分からないような言葉まで出る関係に発展していたそうです」


(田舎とか、狭いコミュニティではよくある話だけどねぇ。チエさん、それで本当に嫁いじゃったんだ)


「すると瞬く間に、チエ様の聖女の力は弱まっていきました。そして、それに比例してリカードも抜け殻のように……。当時、リカードが何やら画策していたようですが、何とか思い留まったようで私共も安堵しました」


 嫌な予感しかしないため、思い留まってくれて良かったとアリアとスズも胸を撫で下ろした。


「チエ様の力が完全に消失する直前、リカードは『聖女の力で、チエ様に関する一切の記憶を自分の中から消して欲しい』と頼み込み、チエ様もそれを承諾されました。そして、チエ様は最後の一欠片まで力を使い、辺境までを含めた国全体に数十年はつであろう結界を施したあと、リカードの中からご自身の記憶を消して王宮を出られたのです」


「悲恋、ですね……」


 アリアは、それ以外の言葉が出てこなかった。

 『ストーカー気質』と蔑んでいたスズの瞳も、いつの間にか潤んでいる。


「だから陛下は、聖女に関する記憶や知識があやふやなんですね」


 それなら納得だ、というようにアリアは一人で完結させようとした。しかし、アルフォンスはそれをすぐに否定した。


「あぁ、いえ。そうなのですが……、厳密に言えばそうではないのですよ」


 回りくどい物言いに、アリアは眉をひそめながら首を傾げる。

 それに対して、アルフォンスは憂いを帯びた何とも言えない表情で微笑した。


「チエ様が消したのはご自身に関する記憶だけです。根本的な……、聖女様がどのような存在であるか、王族としてどのように対応するべきかというような知識は残してくださいました。ですので……、本来であれば、それは今も残っているはずでした。本来であれば…………」


 アルフォンスは自らの手を見つめるように下を向き、指先を何度か組み替えながら重い口を開いた。


「――チエ様が王宮を出られたあと、リカードは隣国の王女メリッサと婚約し、婚姻を結ぶのですが……。あ、その王女は現在の王妃でアーヴィンの実母です。それから、我が国の王族の男は一途な気性の傾向にありまして。リカードもそれに漏れず、現在も側妃や愛妾はおりません」


「へぇ……」


 アリアとスズは感嘆を表現する相づちを同時に打った。

 日本人女性の感覚からすると、一途であることや一夫一妻であることは好ましいと感じたようだ。


「周囲から見ても、メリッサに向けられたリカードの愛情は本物だと思います。婚約した時から現在まで変わらず。しかし、メリッサの愛情はさらに深かった。それ故にある事件……いえ、事故が起こってしまいました」


 話を聞きながら、室内の酸素が一気に薄くなったような息苦しさをアリアとスズは感じた。

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