第6話 バブル崩壊を経験した聖女様


「スズ様の前にいらっしゃった聖女様は、チエ様というお名前で、当時はスズ様より少し年下くらいの女性でした」


(チエさん。失礼だけど、昭和生まれって感じのお名前だな)


「ずいぶんと過酷な状況の最中さなかに、こちらにいらっしゃいました。バブル崩壊後、チエ様がお勤めだった不動産会社が倒産。お父上が営んでいた会社も倒産し、お父上はそのまま行方知れずに。そして、しばらくしてから、お母上も過労とストレスから儚くなられて……。チエ様と交際していた男性も音信不通になってしまったのだそうです」


「え、それじゃあ、チエさんがこっちに来たきっかけって、まさか……」


 アリアの心拍数が急激に上がった。


「あぁ。いえ、自死ではございませんよ。『死にたい』と、自暴自棄にはなっておられましたが。そのため生活が疎かになり、冷蔵庫の中のミルクの消費期限を確認せずに口にし、食中毒で朦朧としながら、こちらにいらっしゃったようです。そして、城内で倒れているチエ様をリカードが発見し、宮廷医が急いで治療して一命を取り留めた、という経緯です」


(たしかに過酷な人生。でも、助かって良かった。消費期限切れの牛乳は怖いから……)


 チエが助かったと聞いて、アリアは詰めていた息を吐き出した。

 しかし、すぐに違和感が生じた。


(いや、チエさんのお母さんが過労とストレスで亡くなったって認識してるなら、それを聖女の立場にも置き換えられるでしょ……)


 今度は安堵ではなく、王族の思考はやはり残念だという溜め息が漏れた。

 しかし、アリアは頭を切り替えて質問を続ける。


「チエさんも転移してきたということは、聖女の素質があったということですよね?」


「はい。歴代の聖女様の中でも、とても強い力をお持ちでした。そして、これは私見なのですが……。異世界に転移される方は、元の世界で何かしらから逃げたい、現実を捨て去りたいと思うことがあるように感じます。また、その内容が重いほど、比例するように聖なる力が強くなるのではないかと――」


「もし……、その推測が当たってるなら、私の場合は両親との関係かな」


 黙って話を聞いていたスズが小さく呟いた。


 アリアとアルフォンスは、それに対して深く追求せず「そうなんですね」と、ただ静かに頷いた。


 アリアにも「逃げたいと思うもの」の心当たりはあるが、現実世界を捨てたいほどか、と問われたら答えはノーだ。

 そうだとすれば、アリアが召喚された理由がますますわからなくなる。


(アルフォンス様の読みは、何となく当たってる気がする。スズさんと同じく、歴代の聖女がそうだったとしたら……。私は例外? 特殊なケース? それとも自分が気づいてないだけで、思ってるよりも闇が深いってこと? あぁ、でもスズさんやチエさんは自然に転移したけど、私は召喚されてここに来たから、そもそものスタートが違うのか……)


 黙りこくったアリアを気遣うように、アルフォンスがパンッと軽く手を鳴らした。


「失礼いたしました。息子のリカードの話をしなければいけませんね」


 何から話せば良いか、とアルフォンスは宙を見上げる。


「あぁ、そうだ。チエ様が現在、ベーカリーの女将をなさっているのは、こちらの世界にいらしてから数年後……、まだ二十代の頃に今の店主と恋愛結婚をしたからです」


「それは何となく察しがつきました。ただ、聖女が一般家庭に嫁ぐことを許された、という点については少し驚いてます」


 スズもその内容について、興味津々というように前のめりで頷いた。

 その様子にアルフォンスが苦笑する。


「実は、聖女様が恋をすると……。つまり、守りたいと思う特定の存在ができると聖女の力が消失する、もしくは微弱になるのです。ただし、王家の人間と婚姻を結ぶ場合は力が衰えることはありません」


 さすがに、その仕組みにはアリアもスズも驚いた。そして、それならば、王家の人間と無理矢理に結婚させられた聖女もいるのでは? という考えが浮かんで背筋が寒くなった。


「それで? 力が消えた後はどうなるの?」


 スズは続きが聞きたくて、椅子から落ちそうなほど前のめりになっている。


「聖女の力が消失したのであれば、王宮に留めておくのは酷なことです。国にとっても聖女様にとっても利になりません。そのため、聖女様がこの国で望む生活ができるように、全面的にお手伝いいたします」


(ふーん、人道的なところもあるのね)


「ただ、チエ様の場合は……。少し問題があったのです」


 語りにくそうにするアルフォンスを見ながら、アリアは眉根を寄せた。

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