三   三両目


 薄モヤが残る朝。

 ギリギリに目覚めたキトは顔を洗って着替えると荷物を持って、さっさと学校に行く。

 駅の自販機でお茶を買い、三両目の車両に乗り込む。まだ混雑には早い時間。流れる風景は相変わらず濃緑と茶枯れた木々ばかり。陽が昇ると共にモヤが晴れ、降りた霜がキラと輝いて溶けていく。この何気ない景色がキトは好きだ。

 急行で三つ目の大きい駅でバスに乗り換える。コンビニで昼食の弁当と軽いパンを買い、パンをかじりながら発車を待つ。


 いつもの席に座れば、いつもの友がふざけて笑わせてくれる。それが日常。だが今日は違う。突き刺さった心のよどみ。うまく笑えるだろうかと不安がぎる。


「だったら笑わなきゃいいのよ」


 不意にかけられた甲高い声。聞き覚えのあるその声にキトは仰け反った。

「ヒトって、こんなにゴチャゴチャと考える生き物なのね。そんなに考えたって輪廻の流れじゃ、なんの意味ももたないのに」

『輪廻』の言葉にどきりとした少年は、再び陰を背負ってうつむいた。

「ねぇ、それより、昨日の、お願い! また聴かせて」

「えぇ? トランペットをかい? いやぁ、ここじゃぁ無理だよ」


 当然だ。ここはバスの中。トランペットどころかエイラの姿を見られるのも不味いのに。キョロキョロと周囲を伺うと、いつもの奴が肩を叩いた。


「キト! 何やってんだよ、挙動不審か? ヒヒヒ。でさ、オレ、今日日。数学のノート見せて」

「ちょっと、挙動不振って失礼よ! あんたもヒトでしょう」

「…………、はぁ? えっ……? なん――ふぐっ」


 じゅんの目の前に飛び込んだ妖精。慌てて口を塞ぐキト。そしてエイラを掴むと急いでバスを降りる。


「キトーー? お前、学校どうすんだーー?」

「ぁあ、ああ、走ってく! 今日は走っていくよ!」


 えーーと叫ぶ友を置き去りにしてキトは走り出す。町といっても田舎町。あっという間に建物は消え、ゴツゴツとした岩や木々、エメラルドが美しい川に出て、三つほどのバス停を走りすぎる頃には、鍛えられていないゆるゆるの身体が悲鳴をあげ、息をするのも苦しくなった。


「痛い! 痛いよ、キト」

 途中、ペシペシと手を叩く小さな手に気づき、慌てて解放してやると、エイラはプンプンと頬を膨らませて見せた。


「ヒ、ヒトに見つかるじゃないか! 何考えてんだよ」

 憤るキトにはエイラは動じない。

「何がダメなの? キト、あんただってヒトでしょう?」


 アクアブルーの瞳が悪びれず少年を映す。

 ーーーーだって捕まったら、見せ物になるかも。

 ーーーー調べられて、珍獣だって解剖されて。

 ーーーーいや待てよ? もしかして、僕、有名になっちゃう? 高校生、妖精を発見、なーんて……


 不埒ふらちな思考にニンマリ笑うと、あからさまに狼狽えた銀髪がぶわりと逆立ちキトを睨んだ。


「ここならいい? それ! 聴かせてって言ったでしょう」

 トランペットケースを目掛けてブンブンする姿は甲虫のようだけど、流石にここでも不味いだろう。


「おとなしく隠れていてくれたら、学校で聴かせてやるよ」

「本当?!」


 あーあ、目の前に出てこなきゃ良かったのに。あのままバスに乗っていればもっと早く学校に着けたのに。

 ぶつぶつと文句を胸に抱えたキトは、黒いポケットに潜り込んでジワと身体を馴染ませる妖精を見た。僕の目には薄らと分かるけれど、きっとみんな気づかないそんな気配。


 ふふふ。

 誰も知らないことを知っている優越感。一人だけ、僕だけの特権。そんな不思議な思考に自然と笑みが漏れた。そして再びバスに乗り込んだキトは今度は仲間達にご機嫌だとからかわれるのだった。


 


 

 


 

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