四   病室


 キトと父。医師に看護師。


 かちゃかちゃと機械的な音だけが響き通る四角な白い空間に、たった四人。向き合ったまま、静かな時を過ごす。


 もう覚悟したこと。

 分かっていたこと。

 今更聞いても動じない。

 涙は既に流したのだから。


 気遣う看護師に、ペコリと頭を下げた少年は、肩を震わせる父親に代わって医師の言葉を淡々と受け止める。


 ーーーー本人は治療を望んでいません。

 ーーーー自宅には帰らずホスピスでの療養を望んでいます。

 ーーーーいつどうなっても……



 むせび泣く父のために部屋を借り、次々と制度や手続きの説明をしに来る人に対応することで心を保つ。


ーードラマでなくても、こんな時間まで患者家族に親身になってくれるんだ。


 誠心誠意、気の毒な父子に付き合ってくれる医師らに感謝しつつ、時折、キトは暮れゆく空を見つめていた。

 

 ただぼんやりと。


 チカチカとリズムをとるようなイルミネーションが灯されると、キトのポケットに軽い感触。窓辺を自由に飛び回っていたエイラが戻ってきたのだ。


「キトー、すっごくきれい! 妖精がいっぱい踊っているみたい」

 寒さに喜び、光に喜び。機械がカチカチと鳴らす音にさえくるくると向きを変えて楽しむ。ひらひらと舞う薄水色のワンピースが、筋だけが白く浮かび上がる羽根が、それぞれが光を浴びて確かに美しい。空虚な瞳が小さな光を映し、少しずつ潤み始める。


 彼はまだ高校二年生。

 いや、だからこそだろう。だから父は崩れたのだ。昔から優男だった父がこうなることは分かっていた。母が予見した通り、キトは父を慰める。


 運転できぬほど憔悴した父を担いでタクシーを呼び、家に帰った時には午後八時を回っていた。

 

 四時間か……。


 医師との約束は四時。

 長く短い時間だった。たった四時間で僕らは母の残り時間を決めてしまった。長いのか短いのか、ただ一人の人生の終わり方を。良いも悪いもない。そうすることしか出来なかったのだから。やり切れない父の気持ち、行き場をなくした僕の気持ち。


 それでもお腹はすくのだとふふと笑い、冷凍庫の扉を開ける。

「キトー、それ、なにー?」


 ピリと袋を破り、電子レンジに放り込んだそれ。誰がいつ「チン」と言い始めたのか? ピーピー流れる出来上がりの音にクスと笑い、熱々のラーメンを取り出した。


 鞄からペットボトルを取り出して一口。熱々のスープに箸を入れる。


 ゴクリ!


 喉を鳴らしたのはキトではなくエイラ。


 コイツ、雪の妖精って言ってなかったっけ? 


 気づくと急に恐ろしくなって青ざめる。まさか?! 消える?!


 ラーメンスープに飛び込みそうな勢いの羽虫をすんでのところで捕まえると、常温であろうペットボトルのお茶を押し付けた。


「ーーっぶな! なに考えてんだ?! これ、めっちゃ熱いんだぞ」


 手の平で湯気を払い、せめてもの熱風を感じさせようとして笑われた。

「あはは、おっかしいの! ねぇ? 熱で溶けちゃうと思った? あたしのこと、死んじゃうって思った?」


 茶化された図星の思考に腹を立てたキトはラーメンを抱えて背を向け、勢いよくズルと吸い込む。

「アッチィ!」


 キョトンとしたアクアの瞳が優しく緩んだのは見間違いではない。

 スープが飛んだ頬に冷たい手をかざし、ふわりと金の粒を光らせたかと思うと、とびきり優しい顔で目を合わせ、チュッと音を立ててキスをした。


「大人になれた妖精はね、輪廻の波に飲まれているから。消える時が来たら消えるけど、そうじゃなかったら何をしたって消えないのよ」


 パタパタと楽しげに回った妖精は、箸に引っかかったままの麺を一本掴んだ。


 ズズズズズ、ゴゴゴゴ、スポン!

 顔いっぱいに汁を飛ばして、身体全部を使って飲み込んだラーメン。必死の顔に、満足気な様に、二人はブッと吹き出した。


「「 あは、はははは…… 」」


 もうひとりぼっちじゃなくなった二人は、ニンマリ笑いあってお腹と心を満たした。


 夜空からチラチラと楽しげに粉雪が落ちてきた。

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