第31話 今できること

 翌日ホテルのテレビを見ていると、横浜港の南本牧埠頭の銃撃事件とそれに関わった灰塚晃誠会の事務所と会長宅の火災について取上げて、合計で五十名以上が死傷したと報じていた。

――そんなに殺っちゃったのか。……これは自首しても死刑以外考えられないな。ははっ……

忠人は諦めの、否、開き直りのような気分だ。

クローゼットを開くとそこにも姿見があった。

「ふふふ、訊いてみるか鏡に……」独りごちる。

《ふふふ》鏡の中の忠人も笑った。

「何が可笑しい?」

そう訊いたとき、テレビが「……三日前に奥多摩で発見された遺体の身元が行岡治澄さん三十歳と判明しました……」と告げた。

「やっと発見されたのか、あそこはひと気ないからなぁ。ご愁傷さん」

誰に言うでもなく呟いた。

テレビは続けて「……警察への聞き取りで、一連の事件に関わっていると見られる男性を捜索しているとのことですが、その男性の氏名や顔写真は発表されていません。またその男性は知人に自首すると告げていたとのことですが、現在は連絡が取れなくなっている、と言う事でした。……」

「どうする? 逃げる? 自首する? 自殺する?」鏡の中の忠人に尋ねる。

《さーな、ひとつ言えば逃げるのは無理。検問とかやってるだろうし、いずれ氏名や写真が公開され逮捕はあっという間だろう。その案は却下》鏡の中の忠人は、はっきりと言い切った。

「でも、海外とかへ逃げる手もあるんじゃ?」

《ばーか、独りで行って何楽しいの? 加奈子に連絡したら警察同伴でくるぞ》

「ふーん、自首か自殺か……どっちが良い?」鏡の中の忠人に訊く。

《自首してもさ、裁判とかやって死刑に決まって、執行されるまでの長い時間、加奈子を苦しめるつもりか、お前は?》

――鏡の中の忠人は随分なこと言うなぁ。……

《随分な事じゃないっつうの!》また鏡の中の忠人に心を読まれたと思ったが、自分かと思い笑う。

「そっかぁ、さっさと死んじゃったほうが、加奈子を早く次の人生に送り出すことができるってことか……」

《そうだ。加奈子にそう言ったら、きっと私の気持ちはどうなるの? って言われそうだけどな》

鏡の中の忠人はそう言って悲し気に忠人を見詰め、涙を浮かべた。

「泣くなよ。復讐を加奈子は止めたんだぞ! それを振り切って復讐したんだ。復讐するってことはこういうことなんだよ。幸せになんかなれっこないんだ!」

時間が経つのも忘れて鏡の中の忠人と睨み合った。

 

 結局眠ることができずに朝の四時、ホテルを出た。行先を釼崎の灯台に決めた。曽根崎を殺した場所だが、景色は最高だった。

あそこなら不浄な身体や心を洗い清めてくれるんじゃないかと思えるほど美しい景色が広がっているから……。

国道を走っていると検問所が遠くに見えた。

――こんな早くからご苦労さんなこった……

国道を外れて一般道を走る。

 

……大分遠回りになったが検問を過ぎた。

横浜を過ぎた辺りで後続車に気付いた。パトカーでは無いようだが、覆面か? 小道に入っても付いて来る。

男性が二人乗っているのが確認できた。

恐らく刑事。

逮捕するつもりはないのか? 

振り切ることも考えたが、相手の方が運転は上手いはずだ。

――事故起して病院へ運ばれて、それから逮捕なんてかっこ悪い。

このまま行こうと決めた。

――止められそうになったら事故死するよう全速で突っ走って電柱にでも欄干にでも突っ込むさ……

シートベルトを外しておく。

尾行車は距離を保っている。

――俺が車から降りるのを待っているんだろうか? ……

横須賀を抜けた。国道一三四号線を走り途中から県道の二一五号線にはいった。

そして海岸線から一旦山道へ、十分くらいで再び海が見えてくる。太平洋だ。

やがてガタガタ道になって車はここまでだ。

すぐ後ろに車が二台続いて来た。

 

 灯台までの百メートル余り、忠人は走った。思いっきり走った。

「待て! 植松忠人、もう逃げるのは止せ!」

ちらっと見ると雷門署の市森とかいう刑事だ。一番初めに喧嘩を止めてくれた刑事だ。

石ころの転がっているような土の道だ。

「ただひと~っ! まってぇー」

加奈子の声が聞こえた。

その声に涙が溢れた。でも、もうどうしようもない。

加奈子も必死に追いかけて来るようだが……。

――だが、止まる訳にはいかないんだ。……

必死に走る。

早く死ねば、加奈子が早く立ち直れる! 

「加奈子が好きだった。早く、誰かを好きになって!」そう叫んだ。

何人も「死ぬなぁ」と叫んでいる。

「鏡の中の忠人みたいな奴らだな」心で呟く。

後ろは振返らなかった。

――加奈子の涙を見たら決心が揺らいでしまいそうで……それが怖い……

「待ってぇー私も連れてってぇー……置いてかないでぇ~」加奈子の悲鳴だ。

――連れて行けるはずは無いじゃないか。そんなことしたら何のために死ぬのか分からなくなる……

崖が目の前に迫る。……もう少し……

「止めろーっ。加奈子さんを悲しめるなぁ」

「ばかやろーっ」

「いやぁー」加奈子の絶叫が最後に聞こえた。

 

 

「私も行くぅーっ!」加奈子さんが植村の後を追ってそのまま崖から飛び降りようとするのを市森は確り抱きしめて止める。

それを何とか振りほどいて行こうと激しく暴れる加奈子さんを四人、五人の刑事で何とか押さえる。

それでも海に向かって一杯に手を伸ばし悲愴な面持ちで恋人の名前を叫ぶ加奈子さんの姿があまりに哀れで涙が誘われる。

そして……

「忠人ーっ! わぁ~あ~ん……」両手で顔を覆って号泣ししゃがみこむ加奈子さんに声の掛けようもなく……。

つられて市森も泣いていた。

「海保に電話! 探せ、助けろっ!」市森は力一杯叫んだ。

その時、海面の一点が奇妙に輝きだした。

誰かが「なんだあれ?」叫んだ。

加奈子さんも泣くのをやめて顔を上げその方向を見た。

市森も視線を向けた。

ひとの大きさくらいの煌々と輝く光の球が海面から顔を出し、すーっと舞い上がり一瞬で青空の彼方へ飛んで行った。

「何あれ?」

その場の全員がキョトンとした。

加奈子さんも泣くのを忘れているようだ。

「忠人」加奈子さんが呟いた。

「そうかもしれないね。天国へ飛んで行ったのかもね」

市森は加奈子さんの言葉に応じてそう言った。

「私を捨てて行ってしまった……」加奈子さんが呟きまた涙を零す。

「違うよ。きっと彼は自分は天国で両親と妹と幸せになるから、加奈子さんにも幸せを掴んで欲しいから、新しい幸せを見つけて欲しいから、それが言いたくて光の球になって姿を見せたんじゃないかな……」

市森は力を込めて言った、そう信じたかった。

加奈子さんはじっと市森を見詰めて涙を拭った。

そして光の球が飛んで行った青空の彼方をじっと見つめ続けていた。

 

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