第28話 拉致誘拐

 市森はその報告を聞いて悔しがった。自分の手で逮捕したかった。

野田洋署長と灰塚森重組長、行岡布市社長の覚せい剤絡みの捜査は順調に進んでいた。

今日、夕方四時から本庁と浅草署が監察で雷門署に入ることになっていた。

同時に晃成会と行岡建設(株)にも捜査員が入る。

時を合わせて現職財務大臣の郷原大蔵には議事堂内で特捜部が話を訊く予定だ。

 

 その時になった。

どやどやと十人くらいの私服警官と本庁の監察部長、刑事部長などお偉いさんも正面玄関から入ってきた。

私服の数人は保管庫へ真っすぐ行った。

署内の刑事らの大半は何も知らされていないので奇異な眼差しで彼らを追ってぞろぞろ付いて歩いている。

市森は保管庫の刑事に付くことになっているが、まだ早いので署長室の前で耳をそばだてていた。

署長室から怒鳴り声が聞こえている。

署長が相当抵抗しているようだ。

「何の権限があって俺の城を犯すんだ」とか「そんな不正行為なんかやるはずない」とか聞こえる。

本庁のお偉いさんの「これ以上騒ぐと逮捕するぞ」脅す声が響いて署長室は静になった。

お偉いさんと数名の刑事が署長室に残って他は麻薬保管庫に向かった。

市森はそれに同行した。市森は署側の確認担当者で捜査課長が確認の責任者に指名されている。

鍵を本庁の刑事が開ける。

浅草署の丘頭警部も来ていた。

目顔で挨拶する。

「帳簿を持って来てくれ」係り官にそう言われて市森が捜査課の書棚から出して渡す。

廃棄の日付をずっと追っているようだ。

「最近は三日前だな」と言われ、課長と二人で帳簿を確認し頷いた。

「五キロの廃棄とある。間違いないか」

「間違いありません」と課長。

今の押収残高を現物と合わせる。

市森も一緒に数える。

「現在残高は十キロで良いな」係り官が市森を睨んでそう言う。

怖い顔と思いながら頷いた。

それから係り官は署長室へ行ってしまった。

恐らく刑事部長かだれかが灰塚晃成会に入っている本庁の刑事か鑑識に電話を入れているんだろう。

 

三十分の間まったく動かない。誰も喋らなかった。

係り官が戻ってきた。

「間違いない。ここにあって廃棄したはずの五キロの覚せい剤が、現在灰塚晃成会にあった。横流しの事実が明らかになった」

そう告げてまた出ていった。

市森も付いて行った。

署長室内の声を盗み聞く。

「小袋から署長の指紋がでた」

「事前にマークしたものが向こうで発見された」

そんな風に事実を並べられて署長は無言なのか声を聞くことはできなかった。

それから一時間近くぼそぼそと話し声が聞こえてドアが開いた。

署長の手に手錠が掛けられていた。

署内の全員が会議室に集められ、本庁の刑事部長から事情を説明された。

驚きの声が室内を埋めた。

当面という前提で副署長が署長代行を務めることになった。

 

 一時間後、浅草署に戻った丘頭警部から電話が入った。

「ご苦労さんだったわね。署内大変でしょ」

「えぇ殆ど事前には知りませんから相当驚いていました」

「でね、報告しとくとね、晃成会は覚せい剤取締法違反がはっきりしたでしょう。それと銃刀法違反で組長以下上層部五名を逮捕したわ。もう組の体を為さないわね。それから行岡建設(株)には覚せい剤を売った金が流れていることがはっきりしたの、証言者もいるし、警官がダミィで薬を買った時印をつけた万札で支払いしたのよ、そしてそれが会社の金庫で発見されたわ、狙い通りだったわけ。運が良かったのもあるわね。で、社長が逮捕されたわ。財務大臣は賄賂を認めてないわ。当然の反応ね。だけど、これからが特捜部の腕の見せ所よ。私らもテレビで情報を得るしかしようがないんでさ、どうなるか楽しみにしてましょ。ま、そう言う事だから、色々ご苦労さんでした。後もう少しね。頑張りましょう。じゃ」

警部はそう言って電話を切った。

 

 

 

 

 着メロがベッドのサイドテーブルの上で鳴っている。

時計はまだ朝の九時だ。夕べは夜中まで部屋飲みをしていて寝たのは遅かった。

だるい身体をベッドから無理やり引きはがして、受信ボタンを押す。

番号は加奈子のだった。

大きく欠伸をしてから「おはよー」と話しかけた。

「……」返事がない?

「どうした加奈子?」

「ふふふ、ここにいるぜ……」野太い男の声が返事をした。

「えっ、加奈子は? 加奈子はどうした?」

忠人はパニクった。

「忠人! 助けてぇ! きゃっ」

ドサッと荷物を落とした時のような音がして加奈子の悲鳴が聞こえた。

「な、いたろ。俺は嘘は言わないんだ」

「加奈子をどうしたんだ! お前、灰塚の組の奴だろう。加奈子は関係ないだろう!」

「お前のアパートにすぐ来てって言ったら慌てて飛んで来たぜ、彼女……可愛いじゃないか。ふふふ、楽しませてもらおっかなぁ」

「止めろっ! お前の相手は俺だろっ!」

「返して欲しいのか?」

「当たり前だぁ!」

――隣の部屋にも聞こえそうだ! 忠人は気付いて思わず口を押えた。……

「まぁそう怒鳴るなよ、ふふ、十分聞こえてるって。じゃ、今夜、十時。横浜港南本牧埠頭の第三行岡Cの三番倉庫の前まで来い。一分遅れたら女の服を一枚ずつ脱がす。脱がすものが無くなったら若い奴らに一発ずつやらせる。良いな。必ず一人で来いよ! わかったな!」

切れた……ごめん、加奈子! 怖い目に合わせてしまった……天を仰いだ。

忠人はケータイで指定された場所を確認する。こういう時はストリートビューは役に立つと初めて感じた。

そこへは橋を渡らなければ行けない。

そこでの待ち伏せも十分考えられる。渡ってしまったら帰れない……。

――どうする忠人……

忠人はクローゼットの扉の内側に備えられていた姿見の前に立ち

「周りは海だからボートでも脱出が可能じゃないか?」鏡の中の忠人に尋ね「それに……」と続けた。

「それに警察に味方をしてもらえば加奈子を助けて、自分も逃げられる」

《本当か? 頭の中でシミュレーションして見ろ……》鏡の中の忠人が言う。

目を閉じてイメージを頭の中の地図に刻む。

「モーター付きのボートに操縦士を雇う事にした方が良さそうだ」鏡に向かって呟く。

――ただなぁ……また何人もの人間を殺してしまいそうだ……

《加奈子を助けるためにはしようがない……後のことは逃げた後で考えろ》鏡の中の忠人が言う。

まるで俺の心を見透かしているようだ、と思ったがそれも自分だと気付いて鏡に向かって「ばーか」と言って笑った。

検索に検索を重ねて、貸しボート屋を見つけ操縦士付で小型モーターボートを予約しネット決済した。

それからホテルで昼食を取って、レンタカーを借りてホームセンターに寄りブルーシートと脚立を買う。次にコンビニへ行ってドリンクと軽食を買ってから現場へ走った。

橋を渡って南本牧埠に入る。近くのよその倉庫の横に車を止めてダッシュボードに百万円を入れ超過料金と修理代とメモを貼り付けた。倉庫の横に脚立が畳んで置いてある。買う時にここに置くように忠人が指示したものだ。

そこから三つ目の倉庫が第三行岡Cの三番倉庫だ。

三メートルの高さからは梯子が屋根まで伸びている。

忠人はCの三番倉庫のはす向かいにあるDの二番倉庫の屋根に上がる。

上がるときにロープをその最下段に縛り付けておいて、脚立と一緒に屋根に引き上げる。

ここからなら指定倉庫の壁近くに車が停まっても丸見えだし三十メートルほど離れているから奴らに気付かれにくい。

切妻型の屋根の天辺に伏せてブルーシートを被る。

スコープでC三倉庫の周りを見てみる。

準備完了だ。

時計は午後四時だと言ってる。

空を見上げて深呼吸して気持を落ち着かせる。

 

……いつの間にか寝てしまった。

時計が七時を示していた。

スコープを覗く。

倉庫の前に一台の車が停まっていて、ひと目でヤクザと分かる格好の男が四人周りをうろうろしている。

下見に来たのだろう。終わりそうな夕焼けが目に映った。

 午後九時半。辺りは真っ暗。倉庫のシャッター上部のライトが辺りをほんのり照らしているだけだ。

車が三台来た。

十人ほど下車した。銃を手にしている男もいる。

十分前、ワンボックスが来た。

全員散らばる。

大半は忠人から見える位置に潜んでいる。

加奈子が猿轡をされて後ろ手に縛られ通路の真ん中に立たされた。その両脇に男が立って加奈子に銃を向けている。

その前に足を開いて銃を握った男が立っている。

スコープでその男の頭に照準を合わせ時間を待つ。

 

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