第21話 証拠
いつも飲んでるすし屋で
「お前らが息子を殺ったんじゃないのかっ!」
顔を真っ赤にして眉を吊り上げ怒鳴る。
「まあまあ落ち着けって、なんで俺がお前の息子を殺る必要があるんだ? それにヤクザが殺るときはドスかはじきと相場は決まってるんだ。警察の署長が知らんはずないだろう?」
言葉には出さないが灰塚森重は腸がくり煮え返っていた。
「野田署長さんよ、あんたの息子は数えきれないくらいの女を犯ってるってうちの若いのが言ってるぜ、恨みをなんぼかってるんだか……その中にいるんじゃないか?」
「今時レイプされたくらいで殺人まで考えるか」
「お前、娘がいたとして犯した奴がいたとしたらどうする?」
「そりゃ死刑だな」
「そういうことよ。殺そうと考えるのは男だ。女の誰かに男がいたんだよ」
「だが、署の捜査でそう言うやつは浮かんでない」
「ふーん、それに頭を爆破されたんだろう? 俺たちにゃできんぞ、そんな事」
「まあ、そりゃそうかもな……」
「ふふふ、少しは落ち着いたか?」
「そういや、去年古市藤生って奴が殺されてそいつが何故か息子と曽根崎真二って高校の教師やってる奴に、行岡の息子の切り抜きを持ってたんだ。福慶に訊いたら殺ってないと言ってたが気になる。もう一人、息子ら三人を調べている男がいるらしいんだ。探偵に調査依頼までしてるそうだ。田中芳次郎って名だがお前知らんか? それと夜の街でも息子らを探していた男がいたらしい」
「聞いたこと無い名だな」
「お前その探偵脅して田中の身元掴めや」
「何て言う探偵よ?」
「確か、岡引とかいって浅草に事務所があるらしい」
「あ~そいつはダメだ。前に知合いの闇金事務所に、そいつと女が乗り込んできてよ、ナイフと拳銃まで使ったんだが、社長以下十人の若い奴らが一人残らず叩きのめされたそうだ。闇金の奴らは全員刑務所送りになったってよ。浅草警察とべったりでそいつには手を出すなって言ってたんだ」
「随分弱気だな。お前らしくもない」
署長は顎を突き出して灰塚を見下すように視線を送りにやっと笑う。
「ふん、誰がお前のためにそこまでやるか! が、その息子らを調べてた男の方は痛めつけて話を聞き出してやるよ……言っとくが、その探偵事務所の女はいつも着物姿だがプロボクサーらしいぞ」
「へ~それは怖い。じゃ男の方頼むが金はとるなよ。その代わり直に例の物手に入るから、それ流してやるからよ」
「何キロ?」
「今回は五キロだ。最低一億にはなるだろう」
「おー儲けはいつもの通りで良いな」
話を終えて、襖をあけて料理と酒の追加を頼んだ。
「行岡は息子の事何か言ってないか?」署長が訊く。
「まったく分からんそうだ。駐車場に車置いたまま何処かに消えるなんて誘拐以外考えられないだろう」
と灰塚。
「殺られたな。頭ぶっ飛んでるな今頃は……」
……
*
捜査会議で行岡治澄の行方を捜査している刑事からは進展なしの報告だ。
尾行していた刑事が車に戻った時間以降駐車場から出た車の車番から所有者を洗い出していると言った。
可能性の一つだが、立体駐車場内で誘拐したなら犯人の車で駐車場を出た可能性が高いと説明していた。
対象車両は五十六台。約半数の捜査を終え疑わしい人物は浮かんでいないが捜査を続行すると報告された。
市森は古市殺害事件について報告した。
「野田らが中茶屋へ振り込んだ合計七百五十万円は古市殺害の見返りとしか考えられません。
そう言う観点で中茶屋の周辺を詳しく捜査しています」
「被害者の女性の三十三人はどうした?」
「はい、柴井警部補とも相談して全員白と判断しました」
「じゃ、古市殺しは中茶屋の線一本で行くんだな」
市森はもう一度十年前から中茶屋と野田らの金銭の繋がりが無かったか美紗に調べて貰おうと思っていた。
会議が終わって、市森ら数名の刑事が課長に呼ばれた。
前回の会議で名前の出ていなかった代議士が郷原大蔵(ごうはら・たいぞう)と分かった。現職の財務大臣だ。
「ここからは一層慎重に捜査を進めなければならん。わかるな」
課長はそう言って全員を見回す。
「覚せい剤と金の流は前回話した通りだ。ただ、柴井だったかが言った『署長の担当が軽すぎないか?』という疑問に答えられるかどうか分からないが、ちょっと仕掛けた」
ここから課長は一層声を潜め、全員顔を近づけるよう手振りで言って
「署が押収した覚せい剤は現在十五キロほどになる。このうち五キロ分については裁判も終わって廃棄することに決まった。で、そのビニールの袋に肉眼では見えない塗料を塗ってある。紫外線を当てると青く反射する塗料だ。廃棄は署長と俺が担当することになっていて、最後は署長が目視で焼却廃棄を確認するんだ」
「じゃ、何事も起せない?」と、柴井。
「それがどうやるのかは分からないが、結果からするとそれが灰塚に横流しされている可能性が高い。だから、廃棄後数日以内に灰塚晃成会へ家宅捜索に入ることを本庁と打ち合わせ済みだ。少なくとも銃刀法違反では検挙できることがはっきりしているので空振りはないんだ。これにはうちは関わらない本庁と浅草署でやる。わかるな。それが柴井の疑問に対する答えだ」
「子が子なら、親も親ってか」柴井が呟いた。
「それ逆だろう、親が親なら子も子」ベテラン刑事の菅井(すがい)さんが言った。
みんなの笑いを誘った。
そこへ署長が入ってきた。
「おー何内緒話してるんだ?」
「えっ、いえ市森がレイプ被害者に直接事情を訊いてクレームが入ったもんですからちょっと焼きを……」
「あっはい、申しわけありません」市森は身体を二つに折って頭を下げた。
「ほー、で、ちょっと課長良いかな?」
「はい」
それで秘密の会議は何とか無事に終了となった。
しかし、市森は「何で最後に俺が謝らなきゃいけないんだ」と呟いた。
みんなは笑って「人気者はしょうが無いのさ、諦めろ」
市森は午後岡引探偵事務所を訪れた。
「こんにち……」
言いかけて事務所の中に目を走らせると、見知らぬ女性が後ろ向きに座っている。
「あっ、また出直します」
階段を降りかけると「待って、市森くん」
岡引探偵に呼び止められた。
「丁度良かった。紹介する」
女性の隣のソファに掛ける。
透き通るような白い肌に驚く。薄い水色のノースリーのシャツに淡いベージュのスカート。やや細目の顔立ちを優しい色に染められたウエーブの掛かった髪が優しく包んでいるようだ。
――美紗の次に好みのタイプだ……
「雷門署の市森です」市森は自分から手帳を示して名乗った。
「こちらね。窪町加奈子さんといって、田中芳次郎さんの恋人だそうだ」
窪町が会釈をするので市森も返す。
――えっこれから調べようとしていた田中の……これは幸先が良い……
応接テーブルにはメディアが載せられていて、それを彼女が持ち込んだというところだろう。
「自分に何か?」
「このメディアには野田福慶、曽根崎真二、行岡治澄が殺害される場面が収録されているんだ」
「えっ窪町さんが殺したんですか?」
思わず市森はそう尋ねた。
「まさか、殺したのは田中芳次郎だ。そのくらい分かるだろう」
探偵が冷ややかな視線を市森に送ってくる。
「そ、そうですよね。こんな綺麗な女性が殺人なんてね。ははは、失礼しました」
どっと冷や汗が吹き出し、タオルハンカチで拭う。
「その中で、君の追ってる古市殺人事件の犯人が中茶屋だと行岡治澄が話している」
「本当ですか? それなら自分の想像通りだ」
「でな、証拠の血の付着したシャツを中茶屋が持っているかもしれないんだ。これで令状とって家捜ししてみたらどうかな?」
「えぇただ捨てられてたら、空振りになっちゃいますよね」
「いや、中茶屋は十年前の横浜の例の殺人事件で見張り役と運転手を務めたそうだから、車内に血痕が残されているかもしれない。車を取り換えていなければの話だけどな」
「分かりました。持ち帰ってどうするか課長とも相談します」
「で、田中芳次郎の逮捕は待って欲しいというのがこれを渡す条件だと窪町さんが仰る。受け入れられるか?」
「是非、お願いします。私、何とか自首させたいんです。もう復讐は終わったんです。ですから逃げる理由は無いはずなんです」
窪町は大きな瞳を潤ませて市森を瞬きもしないで凝視している。
――こんな女性にそうこられたら頷くしかない……
「ただ、いつまでもという訳には行きませんよ。それに別ルートでもうその彼に捜査の手が伸びている。黙っていてもそう遠くない時期に逮捕されるでしょう」
市森ははったりを言った訳じゃなかった。駐車場から出た車を追っているからその中に必ず犯人の車があるはずだと確信して言ったのだった。
「この中に犯人の名前が出てくるんですか?」
市森は訊いてみた。
「いえ、出て来ません」窪町が言う。
「じゃ、あなたが話さない限り、犯人は捕まえられないでしょう。田中芳次郎が犯人だと言う証拠は何もないし、自分はまだ会ったこともない」
市森は一旦言葉を切った。言って良いのか少し考えてから話した。
「もしかすると、窪町さん、あなたが黙秘を続けると犯人隠避や蔵匿などの罪になる可能性があります。自分は今は何も訊きませんが、警官に行方を聞かれたりしたら話して欲しいしその必要があるという事を忘れないで下さい」
「えぇ分かってます。私、覚悟は出来ています」
窪町は可愛い形の唇を一文字に結んで決意を露わにした。
「じゃ、これお預かりします」
「なあ、市森、窪町さんは余程の決心を持ってここへ来たんだ。だからそのメディアは岡引探偵から提出を受けたと報告してくれ。そして、岡引はそれを郵送で受け取って、うっかり封筒を廃棄した、とも言ってくれ。戻って上司に何か言われたら岡引に聞いてと言ってくれな。いいな。約束だぞ!」
いつもはちゃらんぽらんに見える探偵が厳しい眼差しを送ってくる。
その程度なら良いだろうと思った。
「じゃ、自分は窪町加奈子さんには会ってないって事になりますね。どこかで会ったら始めましてと挨拶します」
「はい、私もそうします。済みません。勝手なことを……」
窪町は俯いて膝に乗せた手の甲にポタリと涙を落とした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます