第18話 デリカシー

 市森は探偵事務所を出て中茶屋俊介、行岡治澄、曽根崎真二の順に夫々の自宅に向かった。

柴井に連絡して一緒に訊いてもらうよう頼んだ。

中茶屋に振り込まれた二百五十万円の理由を訊くためだった

 市森と柴井はワンルームの部屋の真ん中に置かれたテーブルに座って、中茶屋が座るのを待って市森が尋ねた。

「野田、行岡、曽根崎の三人から一年ほど前に夫々二百五十万円を受け取っているけどどういうお金なの?」

中茶屋はひょろっとして背が高く青白い顔をしているが、一層顔色を青くしておどおどし始めた。

「ち、ちょっと体調悪くて、は、働けない。で、借りた」

嘘ははっきりしている。しょっちゅう飲み歩いていることは掴んでいた。

「どこの病院に通ってるの?」

「えっ、あのう……病院へ行くまでは無いので自宅で……」中茶屋が苦しい言訳をする。

「ほー、薬は飲んでるの?」

「えっ、えぇ適当に」

「見せて貰える?」

「えっ……いや、切れてしまって……」

柴井がいきなり大声で

「嘘つくな! 飲み歩いてんのは分かってんだ。人を殺すための金じゃねぇのか!」

中茶屋はすっかり怯え切ってしまった。

口の中でもごもご言ってるがさっぱり聞こえない。

「ところで、一年前の古市藤生さんが殺された六月九日の深夜の一時から一時半はどちらにいました?」市森が話題を変えた。

「えーそんな前のこと分かんないよ。普段と変わらない生活してたと思うけど」

「その時間は?」

「寝てたんじゃないかなぁ」

「誰か証明できる人は?」

「一人暮らしだからいるわけないじゃん」

「古市さんとの仲は?」

「えっ、たまに飲みに行く程度」

「憎んだりしてなかった?」

「えぇ特には……」

市森は柴井と目を合わせ「また、来ることあると思う」と言い残してその家を出た。

 次に曽根崎真二の教員住宅へ行った。

五階建てで居間の他にキッチンと部屋が二つある。

居間の壁に沿ってソファがL字型に配置されていてガラスの小洒落たテーブルがあり、ソファに掛けると真正面にテレビが見える。

独身男にしては割と整頓されている。市森は自分の部屋を思い浮かべた。

――負けた……

中茶屋に振り込んだ金について問うと、「貸してと言われ貸したけど、その理由は訊かなかった」と言う。

「理由も聞かずに大金を貸すなんてよくやるの?」柴井が問う。

「いや、無い」ぼそりと曽根崎が答えた。

市森は探偵から口座の取引明細を貰っていて残高が常時三百万程度あることを知っていたのでそれ以上金についての質問はしなかった。

古市が殺害された時間のアリバイは中茶屋同様「寝ていた」と言う。

たまに些細な口喧嘩はしたが根に持つようなことは無かったとも言う。

「どんな事で口げんかになったんだ?」柴井が訊く。

「だから、些細な……」

「だから、些細ってどんな?」柴井は任意の聞き取りなのに尋問するような口調で喋る。

これなら言いたいことも言いたくなくなると市森は思った。

「たばこを貸せとか貸さないとか……」

「そんなくだらんことで何で喧嘩になるのよ」

「だから、些細と言ったんだよ」

「あとは?」

柴井のしつこい性格が出てきた。曽根崎が切れるんじゃないかとひやひやする。

「飲み屋で、俺が可愛い娘だなって言ったら、どこがよ、全然あっちの方が可愛い……とかって」

「ふん、つまらんな」

「だから……」

曽根崎の表情が変わったので「最後に野田に会ったのはいつ?」

市森が話を変えた。

「……え~」曽根崎は腕組みをして考えてから「ひと月位前かな。飲みに誘われて行った」

「変わった様子なかったか?」

「いや、あいつはいっつも同じエロ男」

野田と行岡からも同額の金が振り込まれていることについては知らなかったと言った。

 最後に行岡の邸宅へ行ったが、曽根崎と言う事はそう変わらなかった。

 

 市森は野田殺害から二週間柴井と歩き続けていた。

レイプ被害者の女性に一通り会えたが、野田の写真を見せた途端に顔を曇らせたり、いきなり逃げ出す女性もいた。やはり傷は癒えないものらしい。

岡引探偵事務所に休憩を兼ねて訪れそんな話をしたら

「市森! お前デリカシー無い奴だなぁ。当たり前だろう、そんなんだから美紗に相手にされないんだ」

岡引探偵に怒鳴られてしまった。

そして探偵が奥さんの静を呼んでその話をする。

「市森はん! そのおなごはんらの気持考えなはれ、それならその犯人と同じどっせ」

市森は驚いた。怒った顔を見たことのない奥さんが眉根を寄せ鋭い眼差しで市森を睨んでいる。

「済みません」

こんなに怒られるとは思わなかった。岡引探偵の人への思いが良く分かった。

「出直します」と言って身体を二つに折って頭を下げて階段を駆け下りた。

その後柴井と合流してカフェで一休みしながら互いに結果を報告しあうと、柴井も同じく女性に逃げられたり嫌な顔をされ満足に話も出来なかったと言う。

岡引探偵に言われたことを告げると

「そうだった。捜査することに夢中になって、相手の気持ちを考えていなかった。署に戻って女性警官に手伝って貰えるよう課長に話そう」

柴井はそう言って頭を掻いた。

 

 次の日、朝出勤すると市森は柴井と一緒に課長に呼ばれた。

「今朝、浅草署の丘頭警部から電話があってよ、お前らが聞き取りした女性から苦情が入ったと。レイプ被害者に男の刑事が来て犯人についてあれこれ訊きたいって言われたと、なんて無神経なんだ! 電話を掛けてきたのは女性の母親だと名乗ったらしい。で、雷門署には女性刑事いないから警部がお前たちに同行して女性から話を訊いてあげる、と言ってきた。一応断ったんだが、じゃどうする、と詰問されて……それでお願いすることにしたから、市森は警部ともう一度回れ。柴井はこっちの捜査に入ってくれ」

市森にも柴井にも言葉はなかった。言われるまま捜査することになった。

 

 全員に話を訊くのに三日掛かった。

市森は同席せずにカフェで待って報告を受ける形で聞き取りを進めていった。

全員が憎み、恨んでいたが、事件以降男性との付き合いが一度もないのは三人で、二人は男性恐怖症のようだった。彼女達は早く立ち直りたいと願っていてひとりは病院へ通っている。

残りの一人は市森が会ったバーのママで今はしっかり自立している。

三人を除けば忌まわしい記憶は消えてはいないが、男性との付き合いなどを通じて恨みは薄らいで復讐を考えているようには思えなかった。

市森は、丘頭警部が聞き取りの結果そう判断したと報告を受けた。

つまり、野田に殺害したいほどの恨みを持っていると思われるのは男性恐怖症の一人、小高操(こたか・みさお)三十四歳。現在は調布市役所近くのマンションで一人暮らし、市役所の嘱託職員をしている。

七月二十五日の捜査会議で市森は丘頭警部との捜査結果を報告した。

捜査対象者として小高操を挙げ理由を説明した。

市森は課長の了解を得てその日の夕方調布市役所の職員出口の見える場所で帰りを待った。

 

 それから二日目の夜、本部からDNA鑑定結果が出て、曽根崎の毛髪が十年前の横浜植松宅への強盗殺人事件の現場に残されていたものと一致したと報告を受けた。

柴井ほか数名が職員住宅へ向かったと連絡が来た。

十年前の事件をまったく知らなかった市森は署に戻ってその事件を検索した。

二親と女児が殺害されるという事件だった。

似顔絵が描かれていて犯人は三名とあった。

三枚の絵と野田、曽根崎、行岡の写真を見比べた。

……似ている部分がある。事件は十年前の五月十五日の深夜十一時半ころのアリバイを探ろうと思った。

それと古市はその事件を知って三人を脅し殺害されたとも考えられる。

市森は平日の日中を野田らのアリバイを、夕刻以降と休祭日を小高の尾行に当てた。

探偵から野田らの調査報告書の写しを貰った。

交換に曽根崎のDNAと十年前の事件の犯人のものが一致したと伝えた。

野田は事件の時は二十三歳だから大学四年生……いや一年食ってるから三年生だ、曽根崎も行岡も同じ三年生だが歳は一つ下。それもあって野田がリーダー格なんだと腑に落ちた。

 

 ほかの捜査員の調べでもアリバイは確認できなかった。

事件の一週間ほど後になって三人はたまり場にしている居酒屋で豪勢に宴会をやったと店長が記憶していた。帳面にその時の飲み代が八万八千円と記載されている。

後にも先にもそれだけの豪遊は無かったと言う。

ただ、強盗で盗んだ金は十万程度。本来工場の金庫にあるはずの従業員の給与が、たまたま銀行の都合で翌朝一番で工場へ持って来ることになっていて空だったのだ。

調書には銀行の支店長の証言として記載があった。

その居酒屋の近くの飲み屋のオーナーや従業員に写真を見せて宴会をした記憶が無いか聞き取りして回ったが、なにせ十年前、人も変わってるし昔の事で記憶のある人間を見つけることは出来なかった。

曽根崎の毛髪も状況証拠ではあるが物証ではない。

課長も逮捕するか迷っていて、証拠か証言か何か無いのかとぶつぶつ言って機嫌が悪い。

誰もが野田ら三人が強盗犯だと確信していた。古市殺しも三人が中茶屋に金を渡してやらせたと確信している。

が、今一決め手に欠けているのだ。

 

 

 忠人が一心探偵に電話を入れた。野田福慶殺害事件がどうなっているのか情報を得ようとしたのだった。

「雷門署は過去に野田が起こした事件の被害者を当たってるみたいだよ」

「事件多過ぎて調べるの大変じゃないですか?」

「ははは、その通りだが警察は人手も多いからね。でも、こうなったら田中さんに渡した野田の情報も意味が無くなったんじゃないの?」

「いえ、そんなこと無いです。どんな人か知りたかったんで……」

忠人は何となく語尾を濁した。

「そうそう、曽根崎真二がさ、十年前の横浜で起きた強盗殺人事件の犯人の一人だったらしいよ」

「えっどういう事ですか?」

一瞬忠人は身体が強張るのを感じた。

「田中さんには関係ないかも知れないけど、強盗犯が残した髪の毛のDNAが曽根崎のものだったっていう話さ、ただ、凶器とか物証が無いから逮捕するか見当中って雷門の刑事が言っててさ……」

「野田の家からは強盗の凶器とか証拠は出てないんですか?」

「野田家の中からは見つかって無いようだよ。警察は何も言ってなかったから。どうして?」

「いや、野田も強盗犯なら隠し持ってるかなって思っただけだけど……そうですか、曽根崎ってそんな悪だったんですねぇ」

――やばい、逮捕されたら殺せなくなる……焦るなぁ……

電話を切って曽根崎殺害を急ごうと考えた。

――野田が強盗犯のひとりだと警察はまだ認識して無かったんだ。やばい言い方しちゃったかな。でも野田がリーダーらしいから刺したのは野田。凶器が捨てられていなければ野田の家にあるはず。もしかして庭にでも埋めたか? 警察の捜査終わったら、庭を探してみよう……

 

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