第17話 頭部爆破

 野田福慶は夜の七時にいつものように約束の場所で相手を待っていた。

ちょっと遅れて質素な感じのワンピースを纏った小柄な女が辺りを気にしながら近づいてきた。

目が大きく唇がぽってりしていて好みのタイプだが、ヤクをやる女を抱こうとは思わない。

目で合図を交わし、福慶が小袋を手の平に乗せて見せると、女は札を二枚その上に置いて小袋を素早くバッグに仕舞った。

福慶は踵を返して次の目的地へ行く。

時計を見ると約束の時間が迫っている。

「チッ」舌打ちをして急ぐ、この商売は時間にシビアなのだ。

前の客が遅くて……なんて言訳は通用しない。

さっさと別の売人に連絡をとるか、元受けからがっちり焼きを入れられるかだ。

もっとも福慶は特別だからヤクザも手は出さない。

途中から走った。

約束の場所には既に客が来ていて時計を見ている。

会話はしない。

相手はむさい顔を顰めて福慶を咎めたいらしいが知ったこっちゃない。会えたらそれで良い。

小袋を手の平に乗せて差し出す。

札を二枚その上に置いて小袋をさっとポケットに入れた。

それで今日の仕事は終了だ。

福慶の場合はひとつ売ると五千円が手元に残る。ひと月百は売るから普通のサラリーマンより稼いでいる事になるが客を見つけるのは結構大変だ。

同じグループの売人の中にもある程度縄張りがあって、それは犯せないルールだ。ヤクザはルールを大事にする。

福慶も死にたくはないからルールは守ることにしている。

 手ごろな女を探してうろついていて、何気なく振向いた先にキャップをかぶって眼鏡に顎髭、ダサいジャケットにジーパン。足元にはスニーカー。刑事ならもう少し変装は上手いはずだ。

探偵か? 

傍を通りかかった女に声を掛け無視されると、舌打ちをして今度は速足で歩き始める。

その男は確り距離を保ってついてくる。

間違いなく尾けられている。

――ふふっ、ちょっと脅してやるか……

ビルの角を曲がってその壁に張り付いて男を待った。

……中々来ないので顔を出す。と、目の前に銃が光った。

「ぎゃっ」と叫んで走った。

バシッっと足下で何かがはじけ飛んだ。

撃ってきやがった! 冷や汗が流れた。

こんなことは初めてだった。

「なんだ? なんなんだ? 殺し屋か?」

殺される恐怖が身体を走り抜けた。

一瞬、夫婦を刺し殺した時のあの情景が目の前に浮かぶ。

かぶりを振って自分を現実に引き戻し何回も角を曲がって全速力で逃げた。

「誰だ? 俺を殺そうなんて……恨みに思ってるだろう奴は多過ぎて……くっそー」

思わず口を衝いた。

相手がナイフなら自分も持っているから反撃のチャンスもあるが銃には叶わない。

――くっそー、何処のどいつだ! ……

しばらく走り続けて相手の姿も見えなくなって、一息ついた。

 今夜はもう帰ろうと思った。

殺されるかもしれないという恐怖は凄い、手が震えて止まらない。

タクシーと停めて雷門の所まで頼んだ。

国技館経由で遠回りをしてもらって後続車を見ていた。が、尾行している車はいないようだ。

 

 タクシーを降りて販売機でスポーツドリンクを買って一気に飲み干し空ボトルを放って家路を急いだ。

警察の署長用の官舎はそこから二百メートルほど先の小路に入った先にある。

辺りには人影はない。車は何台か通り過ぎるが停まる車は無い。

小路に入って官舎の門の前まで来てほっとした。

ん? 

ブシャッ! 

 

 

 市森刑事が殺人事件の通報を受けたのは七月四日夜の十一時。

通報者は野田署長だった。

捜査課全員が驚きの叫び声をあげた。

現場までは僅かに三分。

課長以下全員が走った。

現場は署長宅の門前、頭部のない男性だろう遺体がうつ伏せで倒れていた。

その周り三メートル四方は血と脳漿と骨の破片だろうか白い欠片が散乱していた。

当然即死だったろう。焦げたような臭いと死臭が漂っている。

鑑識が調べに入っている。

鞄が玄関前まで飛んできたのか落ちていて、中にあった免許証から野田福慶と確認できたのだ。

署長の息子さんだった。

ピンポン玉の大きさの赤と白のまだらな球体がひとつ玄関から五メートルほど離れた車道の真ん中に転がっているのを市森が見つけ「鑑識さん、これ何かな?」

「ふふふ、それ眼球」

鑑識さんは笑って言う。市森は思わず吐きそうになり口を押さえた。

「おいおい、あんちゃんこんなとこで吐いたら肉片とかわかんなくなっちゃうから吐くならあっちへ行って」と表通りを指さす。

「大丈夫です」市森は込み上げてきたものをゴクリと飲み込んだ。口の中に苦い味だけが残って気持ち悪い。

「これって爆殺ですか?」

「だろうな。だけど、さっきから探してるんだが、爆弾の破片が見つからないんだ」

強力なライトで辺りを照らしている上、何人もの鑑識が懐中電灯で細かく照らしながら道路にへばりついている。

映画じゃあるまいし念力? とか魔術? あり得ないし……。

「ただなぁ……」鑑識さんがそこで言葉を切って考え込んでいる。

「ただ? 何です?」市森が訪ねると「血はもっと噴き出すはずなんだが玄関辺りまで飛んでも不思議はないんだが……まぁ後でその理由も分かるだろう」

市森にはまったく合点がいかない。鑑識さんは何を言いたかったのだろう……考え込んでいた。

「市森! ぼやっとしてないで近所の聞き込み!」

課長に怒鳴られ夜中だがそんなことは言ってられない。一軒ずつインターホンを鳴らして

「警察です」と言って、物音の有無、喧嘩したような怒鳴り声とか罵声とかの有無、それと襲われた時の悲鳴などを聞いていないか尋ねたが、聞いた人はまったくいなかった。

ただ、テレビを見ていた人がブシャとかグチャとかいう、リンゴを握りつぶしたような音を一回聞いたと証言した。道路向いの佐竹(さたけ)という爺さんだった。その爺さんでさえ悲鳴を聞いていないと言う。

「署長の許可を得たから、息子さんの部屋を捜索してくれ」課長が叫んだ。

市森が玄関を入ると奥さんの嗚咽が聞こえてきた。署長はその隣に座っていて項垂れて両手を膝の上で震わせている。

目を逸らし階段を昇り部屋へ入った。

綺麗とはとても言えない部屋だった。

ベッドの上にパジャマや雑誌などが散らばり、足下には埃が見えるほどだ。

歩くと埃が舞い上がる。こんなところで良く住めたもんだと思った。

柴井刑事が引出しの中に白い粉の入った小袋を大量に発見し鑑識を呼んだ。

鑑識はひと目で「覚せい剤だ」と言う。

しかし、使用するための注射器などは一切発見できなかった。

鑑識さんが一旦階下に下りて直ぐ上がってきて、「腕にも使った痕跡無いなぁ」と言った。

「じゃ売人ってことですか?」

「そうじゃないか」

 さらに大量の女の素っ裸で仰向けの写真。誰かが手足を押さえ女に乗っている男の後ろから撮影したものだろう、女の顔が歪んでいる。ひと目でレイプ中に写したものだという事が分かる。

そう言った写真が数十枚も出てきた。

同じ女の物もあるが相当の数の女性だ。

被害届を出せないように写真を撮って脅したのだろう。酷い。

その時に使うのだろうかロープやバイブ、電マなどの性具が段ボール箱ひとつにまとめられて机の下にあった。

これなら相当数の恨みを買っているだろう。犯人の特定には時間が掛かりそうだ。

 

 翌朝には捜査結果がパソコンに反映された。

覚せい剤も間違いなかったし売人らしいこともはっきりした。

女性は三十四人で写真は六十二枚あった。どれも惨い姿だ。

性具を使っている写真もあるから間違いなく持ち歩いて計画的に女を襲っている。

市森は写真の女が殺意を持っているかなどについて捜査するよう命じられ柴井刑事と当たることになった。

「こんな写真だけでこの女性の身元分かると思います?」

市森は柴井に訊いた。

「やってみないと分からないだろ」

柴井はあっさりしている。

「恐らく浅草か向島が野田のテリトリーだろうからその辺を当たれば、いつかは棒に当たるだろうさ」

柴井が意味不明な事を言う。

「はっ何だそれ?」

「知らない? 犬も歩けば……、だよ。ははっ」

「笑えないジョーク……」

「はぁ、良いのか、上司に向かって」

「はいはい、同期だけど上司だもんね、い・ま・は」

「うっせー、悔しかったらさっさと警部補になれ!」

「じゃ推薦して下さい。警部補!」

「ふん、さ、行くぞ」

「それで、相談なんですが、……」

「何?」

「浅草に岡引探偵って有名な探偵がいて、そこの美紗という可愛い娘が、写真と映像のマッチングソフトを持ってて、先日もそれである人の特定に繋がったんですよ」

「それで、その可愛娘ちゃんに頼みたいってか? ばかじゃないの、警察の情報をそんな、漏らせるか!」

「その方が効率的なのになぁ」

「効率で動くな! 足で稼げ! って昔言われたなぁ。で、いくらよ」

「はっ何がですか?」

「そのマッチングよ」

「ははっ、無料ですよ。手土産くらいでやってくれますよ」

「へぇお前その娘とできてるのか?」

「そう望んでるんですが生憎相手にされてない……」

「ん~まぁ、内緒でお前は頼んでみろ。俺は足で稼ぐ」

「じゃあとで連絡入れます」

 

 市森は岡引探偵事務所に入ると真っ先に、野田福慶の殺害を報告した。

そしてレイプ被害者の顔写真を監視カメラなどでどの辺りに住んでいるのか情報が欲しいとお願いした。

「三十四人もいるのか」流石の探偵も驚きを隠せない。

データを送ってから、「あれ、この女こないだ証言してくれた女だ」

市森は遅ればせながら気が付いた。

向島のバーのママをしている桜庭明子という女だった。十年近く前の顔だがそっくりだ。

「この写真の女は除いてください。会った事あるんで」

探偵にそう言った。

――もう一度話を訊かなくっちゃ、今度は殺したいほど憎んでいるかどうかだ……

「探す場所は浅草と向島の飲食店街を忠心にお願いします」

市森は丁寧にお辞儀をして言った。

「三十三人をただでやれって? ただより高いものは無いぞ」

探偵にジロリと睨まれて市森は首を竦めて「へへっ今度団子持ってきます」笑って誤魔化した。

 

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