第15話 証言
岡引探偵の行岡治澄に関する調査報告書には、従業員への聞き取りによればという前置きがあって、一応父親の会社に営業課長と言う肩書で籍はあるが殆ど仕事はせず野放し状態だと書かれている。
さらに読み進めると数年前本庄佳也(ほんじょう・よしなり)という下請けの社長との取引を、本社であった時の挨拶の仕方が悪いと散々怒鳴り散らした挙句、「取引を解消する」という通知文を一方的に出して切ってしまった。
行岡社長はその措置の拙さを指摘はしたが会社名で出した通知文を撤回出来ないとした。
ひと月後、行き詰った本庄社長は妻の康代(やすよ)と共に自宅で首を吊って亡くなった。享年五十八歳、妻は五十七歳だった。三名の従業員宛てに詫び状を残し、幾何かの退職金として金が包まれて置いてあったという。
治澄は社内でも女性の尻や胸を触ったり、部下を殴りつけたり蹴飛ばしたりしていると現在進行形で社員の証言が複数書かれていた。
忠人は余りの酷さに社員が治澄に憎しみを持っていて大袈裟に言ってるのではないかと考え、加奈子と相談の上盗聴器と盗撮カメラを女性社員がお茶入れをする給湯室と事務所に仕掛けた。
そしてそのビルのすぐ傍にある有料駐車場に車を一週間置きっぱなしにしてパソコンに収録し一週間後部屋に持ち帰り加奈子と一緒に検証した。
給湯室から「課長止めてください」とか女性の悲鳴も聞こえ、映像には治澄が女性の背後からいきなり抱きついたりスカートをまくり上げている姿が写った。日に数回はある。
事務所では顧客開拓の成績が悪いと言っては突き飛ばしたり、胸倉を掴んだりしている。
「給料泥棒」とか「死ね」、「辞めちまえ」などは良い方で「糞」とか「金魚の糞」、「罰だ! みんなの前で裸になれ!」、……暴言は止まるところを知らない。
床に鞄の中身をまき散らし「這いつくばって拾え!」とか、スーツの上着を脱がせて白板に書かれた文字をそれで消して見せたりする。
見るに堪えない光景だ。
治澄はどんなことをやっても悪びれる様子もなく薄笑いを浮かべている。
毎週月曜日の朝に業績報告会が行われその時にパワハラが確実にあるようだ。
「忠人、これって酷くない?」加奈子が眉を吊り上げて言う。
「あぁあんまりだ。何で社員は反抗したり会社を辞めたりしないんだろう?」
「私、セクハラなんかされたらひっぱたいて社長室へ怒鳴り込むけどなぁ」
「ははは、あ~怖い。給料が良いからか、再就職が難しいとか……理由があるんだろうなぁ可愛そうに。こういう奴は生かしておけぬ、成敗!」
忠人が刀で袈裟懸けに斬る真似をする。
加奈子は笑った積りなんだろうが、その笑顔の半分は引きつっていた。
「報告書は間違いないってことだな。流石警察に信用のある探偵だけのことはある」
「あらそうなの、そんなに警察に信用あるんだ……へぇ」
「どうした? 妙な感動の仕方して」
「いや、その探偵さんが十年前の強盗殺人事件の犯人を捕まえてくれないのかなぁって思ってさ」
加奈子の目がキラキラと輝いている。妙案だと思ったのだろう。
「もちろんそう言うことも考えなかった訳じゃない……」
そこまで言いうと加奈子が口を挟んだ。
「じゃ、そうしたら……」
今度は忠人が「じゃないが……」と口を挟み、続ける。
「じゃないが、驚き怖かった、痛かった、苦しく辛かった、死の恐怖もあっただろうそういう明希葉の思いを奴らに味わわせないと俺の気が済まない。だって、たった十歳だったんだよ明希葉は……」
言葉が詰まりまた滲んでくる涙を飲み込もうとした……。
*
雷門署に配属二年目の市森刑事は前任地の目黒署に籍を置いていた時、浅草署の丘頭警部を通じて岡引探偵と知合い、その娘の美紗に強く引かれた。
しかし、美紗の反応はいまひとつで家族は市森を応援してくれているのだが……。
雷門署での初仕事が古市藤生殺害事件だった。
被害者の部屋に野田福慶、曽根崎真二、行岡治澄の名前の記載された切り抜きが発見され、事件との関係を調べていたが、ある日突然その捜査を打ち切り、古市の交友関係の捜査で浮かんだ緑陽一郎、今福冬二、中茶屋俊介を調べるよう課長から命じられたのだが、理由を示してはくれなかった。
「課長! どうして理由も説明しないで捜査方針を変えるんですか?」
市森はしつこく捜査課長に食ってかかったが「上からの命令だ!」
どうやら、野田が署長の息子なので圧力が掛かったな、と課長の顔色を見て感じた。
それから半年以上捜査し、揉め事をしょっちゅう起す様な連中だということまで分かったのだが、殺人に結びつくようなトラブルは浮かばなかった。
ただ、中茶屋だけが野田と同じ大学の同じ学部の後輩だったこともあって学生時代から多少の繋がりを持っていた。
市森はペアを組んでいる柴井孝介(しばい・こうすけ)警部補と共に古市殺害事件の捜査という名目で、中茶屋と野田ら三人に話を訊いた。
個別に署に呼んでお茶を勧め指紋の採取をした。併せて肩を叩く場面を作って髪の毛を一本頂戴した。
大学時代の同窓生に手当たり次第に連絡して当時の野田ら三人と中茶屋について話を訊いた。
大学の名簿を一人一人消込していった。
一学年二千人余りいる学生。しかも卒業してから九年も経過しているため所在の確認から始めなくてはならず大変だが、地道に潰して行くしか先へ進む道は無いと腹を括っていた。
その野田の同窓生で現在向島でバーのママをやっている桜庭明子(さくらば・あきこ)は、野田に仕組まれて犯られたと笑って証言してくれた。
――
女二人で居酒屋で盛り上がって九時過ぎに店を出てその友達と別れて駅に向かって歩いていたら、酔っ払った若い男二人に
「まだ時間早いからもう一軒行かない」
声を掛けられたのよ。酔ってるのがはっきりわかったから無視して歩き出したら肩を掴まれ
「無視すんなや。遊ぼうぜ」
両方から肩を抱かれて引きずられるように歩かされてさ「助けてーっ!」叫んだら、若い男性が絡んだ男らに「何やってんだ! 嫌がってるだろう!」
怒鳴って突き飛ばしたのよ。
一人が転ばされて、もう一人は睨んだんだけどその人が睨み返したら
「覚えてろっ!」って、何か映画で見るような悪役の捨て台詞を吐いて逃げてったのよ。
それでお礼を言って顔を見たら何時怪我したのか口を切って血が流れてて、私すっかり動揺しちゃって「済みません。病院へ」と言ったら「家近いから帰ってから手当てするから良いよ。あんた気を付けて帰んな」
そう言って振向いて歩き出してさ、流石にそのまま返すのは気が咎めて
「手当してあげる」と言って家までタクシーで行って部屋に入ってバンソコ貼ってあげようとしたら、玄関からぞろぞろさっきの男達が入って来たのよ。びっくりしたわよ。
「野田、上手くいったな」ってにやついてさ。
それで私を部屋に連れ込むための芝居だった、と気付いたんだけど時すでに遅しよね。
後の二人は曽根崎と行岡とか呼ばれてたわ。
手足を二人に押さえつけられて、猿轡よ。下着を破られて「騒いだら刺すぞ」ってナイフを頬に当てられたら、もう諦めるしかなかったのさ。
朝方まで犯りたいに放題犯られた。
解放されて真っすぐ病院へ行ったわよ。お医者さんが警察に連絡してくれて。
女の刑事さんは優しかった。
それで二週間くらいだったかしてその女刑事さんが、
「申しわけない。あなたが自分の意志でその部屋に入ったのをタクシーの運転手が見ていて、嬉しそうににこにこしながら入って行ったよと証言したので、暴行の事実を証明できなかった」と言って頭を下げるのよ。
腹立ったし、悔しかった
まぁそれが切っ掛けで男を騙す方に回ったんだけどさ。
ーー
同じような証言をした男性もいた。野田という名前を出した時には顔を曇らせたが殺人事件の捜査だと言うと、表情を変えて話し出した。
その話と言うのは、知合いの女性が野田らに騙されてレイプされたと言うものだった。
市森はその話の中にも桜庭の話に出てきた居酒屋の名前が出てきたことに気が付いた。
どうやらそこが三人のたまり場になっていて獲物を探していたんじゃないかと市森は考えた。
その店に行ってオーナー、店長と従業員全員に聞き取りをした結果、野田、曽根崎、行岡の三人がそこで良くたむろしていたと写真を見ながら証言してくれた。
その後も聞き取りを続けたが、全員に共通しているのは野田とか曽根崎とか行岡という名前を出した途端に顔を曇らせ、中には何かを知っていそうだがそそくさと逃げて行ってしまう女性もいた。
夫々嫌な思い出の一つや二つはあるのだろう。
ひと月近く歩き回り、柴井警部補と話をすると同じようなレイプの話に暴力事件、中には覚せい剤の話まで出たそうだ。ただ、過去の話だ。
それで数人の証言から同じ居酒屋でその三人がたむろしていたことが確認できた。
古市藤生が三人を脅迫し、三人が誰かに殺害を依頼したという考えは成立しそうだと思った。
「柴井警部補、野田ら三人が金を出して古市を殺害させたとすれば、ネットで募集するか身近にいる人間かだと思うけど、どうだ?」
市森は部長刑事だから柴井は上司なのだが同期でもあるので、会話はついつい友達言葉になってしまう。
「三人が直接手を下したかも知れないぜ」
「いや、三人には金がある。親の金だが、そんな奴が自分の手を汚すとは思えなんだけどなぁ」
「まぁそれも言えるが、この先どう攻める?」
「俺は、今言った誰かに金を出してやらせた案でいきたいから、金の流れを調べようと思う」
市森が言うと
「なる、俺は三人と古市の仲間三人のアリバイ探るわ」と柴井。
「何か有ったら電話するな」
「おう、……市森、一応俺はお前の上司だからな、今の所だけど」
柴井は笑って捜査課を出ていった。
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