第10話 怪しい男

 探偵に小袋の調査を依頼した翌日、忠人は向島へ加奈子と食事に出た。

後は探偵が二人の素性を調べてくれれば復讐する相手が確定する。

そう思うと身体の血が逆流する。

そんな忠人の思いに気がついたのか

「ねぇ今日は何か普段食べないような……なんか美味しいものたべたいなぁ、良いでしょう?」

加奈子が腕を絡めて甘えた声でおねだりをする。始めて甘えられた気がして

「あぁ良いよ。じゃ何食べよっか」

話していると、ふと停まった黒塗りの車から降りてきた人物が目に入り、見たことある顔だなぁと考えて、……思い出した、野田の家を張り込んでいた時に何度か見た野田の父親だ!

そして一緒に悪人面した白髪頭の男が降りてきて、談笑しながら目の前の高級そうなすし屋に入って行った。

「ねぇこのすし屋で美味いもの食べよう」

忠人がそう言うと、少し思いとは違ったのか顎に手を当ててからにこりとして頷いてくれた。

その悪人面も怖いが、その店での会計も怖い。

勇気を出して彼女の手を引いて暖簾を潜りガラガラっと引き戸を開けた。

店内にはカウンターに七、八席と通路を挟んで畳の個室が四つ並んでいて一番奥だけ戸が閉められている。

テーブル席は無かった。

こじんまりした店だが、二十センチ角はありそうな白木の柱、分厚い一枚板のカウンター、それらの材質はよく知らないが檜(ひのき)とか欅(けやき)なのだろうか? 知識の乏しい忠人でさえその高級さを感じる。

 忠人は奥から二つ目の部屋の前に立ち店員に視線を向けると、「どうぞ」といってくれた。

お品書きを見てその値段に目ん玉が飛び出るほど驚いたが、クレジットオーケーと書いてあったので溜飲が下がり、鍋のセットとビールを頼んだ。

加奈子は大喜びして紅潮している。忠人も加奈子もこんな高級店は始めてだ。

 

 隣との間を襖で仕切っているので多少の隙間があり、盗聴マイクと盗聴カメラの先端を力で差し込んで会話を録音し写真を撮る。

しばらくすると隣の部屋にもうひとり来た。

どすの利いたヤクザっぽい喋りのその男は会長と呼ばれている。

盗撮カメラで写真を撮る。盗聴器はオンのままだ。

忠人は加奈子と殆ど喋ることなく、食べる以外は耳を澄ませていた。

 

――

 ……

「どうだった、お偉いさんのご機嫌は?」とどすの利いた声が言った。会長だろう。

「ふふふ、お足を積まれて不機嫌になる奴はあほだ」少しハスキーな声が答える。社長だろう。

「俺が上手い事これしてるからだから感謝して貰わないとな」声に力を入れて偉そうに言うのは野田署長だ。野田福慶の玄関前で聞いた声だ。

約一時間半喋って、

「じゃ、署長、これあんたの取り分だ」

「ふん、ちょっと薄くないか?」

「だったら、もっと沢山回せや」とどすの利いた声が荒らげて言う。

「な、何言ってんのよ、これ以上やったらばれて元も子もない。我慢せや」署長の声にビビりを感じる。

署長は咳ばらいをして続けた。

「ところで、最近変な若い奴が息子の周りをうろついているらしいんだ。会長お前知らんか?」

「いや、知らんな。警察か?」

「ふふふ、会長俺をなんだと思ってるんだ? そうじゃないみたいだから訊いてんだ……」

「ふ~ん、ちょっと探ってみてやるな」会長は答えた。

「それよりお前んとこのボンボン、何とかせや。家の若いもんにも難癖付けてよ、俺も押さえきれんぞ」

「ははは、我儘に育て過ぎたかな。いっそ組にでも入れちゃうか?」ハスキーボイスが言う。

「ダメだ。うちの会社は誠実、正直を旨としてる」どすの利いた声が答える。

「うっせ! ヤクザが、何言ってんのよ」

「まあまあ、これからも仲良くやろうぜ」署長が宥める。

 ……

 

――

 

 こんな感じで会話が続いた。

「署長が言ってた『これしてるから』って何してるんだろう?」加奈子の顔を見て訊く。

加奈子は首を捻る。

会話の中に出てきた「変な若い奴」とは忠人のことだろうから、ちょっと野田の尾行は止めておこう。

この三人の写真と会話も探偵に提供して、奴らを叩き潰して貰うか……。

一時間半ほどして三人は帰るようだ。

忠人は加奈子に社長と言われていた男を尾けようと言って店員に会計を頼んだ。

「七万三千円になります」と言われ、思わず生唾を飲み込んだ。

店を出たところで気付かれないように三人の写真を撮った。

三人は店の前で別れ、社長は店の前でタクシーを拾ったので、すぐ後から来たタクシーを停めて乗り込んだ。

振返って見ていると、どすの効いた声の男には黒塗りの車が迎えに来て、署長は徒歩で何処かへ消えて行った。

 

 タクシーは向島から隅田川を渡り浅草寺を横目に十分ほど走って都道四六三号線の稲荷町駅から左折し、住宅やマンションの立ち並ぶ通りに少し入って停まった。

そして歩道を横切り周りを塀で囲まれた大きな一戸建ての邸宅に入って行った。

タクシーを待たせて表札を見ると「行岡布市」(ゆきおか・ふいち)と書かれている。

それをメモして東京駅まで行ってもらい、そこからJRを使って横浜まで行き、タクシーで加奈子を送り届けてから忠人は自分のアパートに帰った。

「行岡」の名がつく会社を検索すると、港区の大手<K>建設会社の近くに「行岡建設(株)」という中堅の建設会社があった。ネットを調べるとその会社の社長名欄にその名前を見つけた。

朝のラッシュ時に車の尾行は大変だろうから八時にその会社の前で張っていようと思った。

勤務先の工場を休んだ。

 

 朝の六時に起きて電車を乗り継いで八時少し過ぎたが行岡建設(株)に着いた。

そこは港区の首都高速四号線と国道二四六号線と都道四〇五号線とが交差する場所の南側のビル群の中にある。

「お偉いさん」に出会えるかもしれないし、ひょっとして強盗犯のどちらかが現れるかもしれないなと何となくそんな気がしていた。

 探偵からはひと月近くなるが電話を入れても進展は無いと言うばかりだ。

 

 八時半黒塗りの車が会社の前に停まった。

カメラを向け降りてくる人物を待つ。

運転手がドアを開けるとあのハスキーボイスの男がぴしっとした濃紺のスーツに明るい青系のネクタイをして降りて玄関へと向かう。

忠人は何枚も写真を撮る。

そしてそのまま会社の道路向いのビルの二階にあるカフェへ行って監視を続けた。

 

 十時過ぎに見覚えのある男がその会社に入った。

その男が会社から出てくるのを待っていると作次郎叔父さんから電話が入った。

「突然なんだが、忠人くんから買った忠人の家のお金なんだけど……その内一千万円を貸してくれないかな」

叔父さんは言いずらそうにとつとつと話す。

「どうしたの、工場順調に行ってたんじゃないの?」

忠人は正直驚いた。工場も広くして売上も伸びていると言っていたのに……。

「いや、実は工場を広くしてからひと月位したら、仕事を回してくれた会社から景気が悪くなって回せなくなってきたと言ってきたんだよ。もちろん、工場を広くする前の売上はあるんだけどさ、人を一人採用しちゃったもんだから……」

「叔父さん、それは大変だねぇ……」

忠人は自分の生活の事を考えた。口座にはまだ保険とか株と自宅の売却代金などで四千万弱の残高は有った。

しかし、叔父さんの話だと貸したらお金は戻ってこない。戻せるんだったら銀行から借りるはずだと思った。

この先、自分は逃亡生活に入るから金はなんぼあっても良いし、万一死ぬようなことになるかもしれないが、その時は加奈子にお金を残したかった。

「叔父さん、俺の今の収入は少なくて預金も崩しながら生活しているので無理なんだよなぁ。いつも工場に来てた銀行で貸して貰ったらどうなの?」

そう訊いたら、叔父さんはそれが出来ない理由を説明しようとしているとは思うのだが歯切れが悪く、結局何を言いたいのか分からない。

「……そう言いう訳なんだよ」

叔父さんがそういってもさっぱり理由は分からない。

「どうしてもだめかなぁ」

「うん、それにもうじき結婚するかもしれないんだ。それにお金も結構かかるんで使えないんだ」

忠人は嘘を言ってしまった。

――嘘じゃないんだよなぁ……夢と言った方が良いかも知れない……

「そう、おめでとう。何処の人?」

「今働いてる会社の娘なんだ。もう二年くらい付き合ってる」

「そっかあ、結婚するとなると色々金かかるからなぁ……」

叔父さんは自分の時のことを思い返しているのだろう、トーンが下がった。

「いや、分かった。ごめんな突然金の話なんかして、今度二人で遊びに来いよ、叔父さんも嫁さんになる娘の顔見てみたいから」

「はい、彼女に話してみます」

「じゃ、ほんと悪かったな」

叔父さんは渋々諦めたようだ。

何となく申しわけなかったような気もしたが、これから実行する復讐がどうなるのかわからない以上無駄に金は使えないと改めて思い直した。

――うん、これで良かったんだ……結婚出来たら家も建てたいしなぁ……

 

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