第9話 女警部
一心は田中芳次郎が帰ってすぐ渡された小袋を持って浅草署の丘頭桃子(おかがしら・とうこ)警部を訪れた。
警部は独身の女性警部で捜査課のぬし的な存在だ。彼女が号令をかけると五十名ほどいる刑事は一斉に動き出す。自慢じゃないが一心と警部で数々の難事件を解決してきている。
その警部は相変わらずデスクでパソコンと睨めっこをしている。
「おはよう」捜査課の互いに知った顔に笑みを浮かべつつ進んでゆくと、警部は応接室へと合図する。
一心が応接室に入るとすかさず若い刑事がお茶を淹れてくれる。
「どうした?」と警部。
「これ何か調べて欲しいんだ」
田中から預かった小袋をテーブルに置く。
警部はひと目見て
「あんた覚せい剤初めたのか?」にやりとしてそう言った。
「ふふっ、流石警部だ、ひと目でそれと分かったか」
「当り前よ。純度までは分からないけど、間違いなく覚せい剤よ。これどうしたの?」
「依頼者に覚せい剤かどうか確認して欲しいって言われたんだ」
「そう、じゃその人呼んで、あとはこっちで事情聴くわ」
「それが、明日向こうから電話くることになってて……ただ、覚せい剤だと分かったら警察へ届けるって言ってんだ。それに証拠品だから袋の指紋消さないようにとも言ってたから本気だと思うんだよね、だから待っててくれないか?」
「ふ~ん、何か事情がありそうね……うん、いいわよ。それまでに指紋の採取と成分分析終わらせとくわね」
「おー頼むじゃ」
「でも、変な依頼者ねぇ。裏に事件でも絡んでそう」
「俺もそう思う。ひょっとしたら依頼者は偽名を使ってるかもしれない。感だが」
「取り敢えず、依頼者の名前だけ教えといて」
「あぁ田中芳次郎って依頼書には書いてあった」
「わかった。明日連絡があったらこっちにも教えてね」
「了解」
一心は残りの茶を啜って「ごちそうさま」若い刑事に声を掛けて帰った。
事務所に戻った一心は、早速家族全員を事務所に集合させて田中が持ち込んだ小袋の話をし、調査の進捗を確認した。
長女の美紗と静には監視カメラなどの映像と写真の照合。数馬には前に調べた野田福慶と一緒にいたという居酒屋に行かせ事情聴取と張込をさせていた。
一助にはその店周辺への聞き込みを続けさせている。
一心は野田福慶の尾行を担当していた。
今の所大きな動きはないようなので引き続き調査を継続するように言った。
一週間ほど野田に張り付いていると、夜の街で誰かと待ち合わせをしている風で雷門通りから小路に入ったところで突っ立っている。
たばこを二本吸ったところで相手が来たようだ。たばこを足でもみ消してポケットから田中から貰ったのと同じような小袋を出して、ちらちら相手に見せている。
相手が万件だろう札を二枚開いて差し出す。
野田がさっと奪い取るように札に手を出すと、相手も素早く小袋をポケットに入れた。
会話は一言も無い。
相手が立ち止まったのはほんの数秒だろう。注視していなければまったく気が付かない一瞬の出来事だ。
一心はずっと撮影していた。覚せい剤取引の証拠になる。
一助を呼んで野田を尾行させた。
一心は小袋を買った男を尾ける。
ぶらぶら歩いて浅草の西のはずれの住宅街の中にある古びた二階建てアパートの階段を上った。外から丸見えの階段だ。
男は一番奥の部屋の鍵を開けて入っていった。
一心は部屋の前へ行って名前をと思ったが何も掲げられてはいなかった。
取り敢えず丘頭警部に住所と部屋の位置をメールした。アパートの写真も忘れずに添付した。
それから電話を入れた。
「おう、貰った、急行する」
警部はいきなりそう言って電話を切ってしまった。
一心が待っていると警察車両が静かに三台ほどやってきた。
警部に部屋の場所を指さし、警部が頷いたので一心は引き上げることにした。
一助に電話をいれると、野田はあの後も男と女に同じように覚せい剤を売ったようだった。
十分ほどで一助と合流して交代した。
依頼を受けた男二人の消息は中々掴めないようだ。
二週間が過ぎたが情報は得られていない。
夕食の時間になって事務所に戻ると弁当が五つテーブルに置いてある。
美紗と静は一日十六時間パソコンに向かっていると言う。
「随分掛かってるな」一心が静に声を掛ける。
「せやかて、カメラ幾つあると思いなはる? 浅草だけでも五百どすえ」
流石の優しい静の声が少し尖っている。
「そ、そうか……大変だな。頑張ってくれな」
「へぇ分かっておます。せやから、朝はご飯に卵か納豆。みそ汁だけは作っとくさかい。昼は各自勝手に。
で、夜は弁当買うてあったら弁当、無かったら十和ちゃんとこの店行って何か食べてくれよし」
今までにこんなことは無かった。
毎日十六時間はきついと思う。美紗はまったくの無言。只管画面を睨んでいる。
触らぬ神に祟りなしだ、一心はコーヒーを淹れて二人の机にそっと置いて部屋を出た。
勝手知ったる浅草署へ顔を出すと、捜査員がみんな頭を下げる。
覚せい剤の使用者を逮捕出来たお礼だと解釈して、軽く片手を上げてそれに答えた。
警部が応接室を指さす。
早速いつもの若い刑事が「ありがとうございました」そう言ってコーヒーを淹れてくれた。
とは言っても勿論インスタントだ。
「こないだどうもね」警部がにこやかに入ってきた。
「いや、大したことは無い。それより野田を逮捕しないのか?」
「ふふっ、彼の父親知ってる?」
「あぁ警察署長だろう」
「そう、で、野田は灰塚晃成会の泉川ってのからヤクを買ってたわよね」
「あぁ田中が写真を提供してくれて俺が調べた」
「じゃ、灰塚は何処からヤクを仕入れたか調べた?」
一心はそう言われてドキッとした。
「そうか、そこまで視野に入れてたんだ」
「そう言う事よ。そうしないと尻尾切りになっちゃうし、署長がまた息子を何か理由をつけて釈放しちゃうかもでしょう……」
「えっ警部も野田の過去の事件調べてたの?」
「一心、私、これでも警部よ! 中途半端なことはしない積りよ」
「それは分かってたけど。で、ヤクの方は掴めそうなのか?」
「まだダメね。数年前に海外から仕入れたらしいことは分かったんだけど、それだけじゃ一、二年もしたら在庫切れしちゃうでしょ。だけど、未だに売ってるってことは、何処からか仕入れてる……」
「なる、で捜査してるって訳だ。……俺たちにゃ手を出せない範疇だな」
「そ、危険すぎる。それで、田中には伝えたの?」
「あぁ、少し待ってくれと言ってたが、もうこっちで掴んだから必要ないんだけどな」
「いや、別な情報を持ってるかもしれないわよ。電話来たらきっちり話訊いてね。できれば、私、会いたいんだけど……」
「一応、言ってみる……が、難しいんじゃないか?」
「じゃ、尾行でもして、誰なのか探ってよ」
「ん~、それやろうかとも思ったんだけど、良い客を一人逃がすことになるかもだからさ」
「まぁあんたはそれで生きてるんだから無理とは言わないわ。でも、犯罪がらみになったらダメよ言ってくれないと、あんたまで共犯なんてなったら嫌だからね」
「ははは、ご心配なく、そのくらいはわきまえている積りだから」
警察の考えも大体わかった。
兎にも角にも二人の身元調査が優先だ。
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