第8話 覚せい剤

 一人目が野田福慶と分かってから。数か月後の夜、忠人は加奈子とデートを兼ねて野田を尾行していた。向島の居酒屋に入ったので後に続いた。野田の行動パターンを知るためと残りの強盗犯に会うかもしれないという思いからだった。

後ろのテーブルに陣取り野田の相手を待った。

それ程待たずに男がばらばらに三人来て野田のテーブルに着いた。

忠人は相手の顔を見て驚き興奮した。両親と妹を殺した犯人が三人とも目の前に揃ったのだ。

震える手を加奈子がそっと押さえてくれて、それでこっそりと写真を撮ることができた。

加奈子の耳元で「この三人が強盗殺人の犯人だ」と囁いた。

加奈子は忠人の驚きの表情からそれを察したのだろう、それほど驚きの表情を見せずに唇を一文字に結んで三人を厳しい目で睨んでいる。

今にも飛びかかるんじゃないかと心配して忠人は加奈子の手を握ると、加奈子はいつもの優しい微笑みを浮かべて手を握り返してくれた。

犯人ではない四人目の男は「泉川さん」と呼ばれた。三人のリーダーなのかも知れなかった。

野田ら三人から泉川へ封筒が渡され、逆に買い物袋が一つずつ三人に渡された。

そして彼らはビールを一杯だけ飲んで解散したので、泉川と呼ばれた男を尾行することにした。

タクシーで後を追った、が、道路が混み合っていて目黒の歓楽街で見失ってしまった。

――くっそー、悔しい……加奈子も唇をかんでいる。悔しそうだ……

 

 翌日、田中芳次郎こと忠人は岡引探偵事務所に野田を除く三人の男の写真と呼び名を書いたメモを渡して氏名、住所を調べるよう依頼した。

調査は別々になるので料金も別々と言われた。総額百万円近くになったが父親の会社の株を叔父さんに売った代金が口座に振り込まれていたので余裕だ。

探偵との約束通りに毎週土曜日に電話を入れて進捗確認を続ける。

ひと月が過ぎて、泉川について判明したので事務所に来てくれと言われた。

 

 翌日仕事を終えてから探偵事務所へ行った。

応接テーブルの四方を囲っているソファの入口に近いところに掛けて待っていると、一心所長が妻の静と一緒に笑顔で現れた。

「泉川に関する報告書です」

「調査報告書」と書かれたA4サイズの封筒をテーブルに置いて、手振りでどうぞと言う。

書面を手に取ってページを捲る。泉川は名前を康(やすし)というらしい。

灰塚晃成会の組員と書かれていた。ヤクザだ。

「この後どうするの」

探偵から訊かれたが答えなかった、というか答えて良いものか考えあぐねていた。

「最近勢力拡大してきている暴力団の組員だから、気をつけないと危険だよ」と一心所長。

そこには五十名以上の組員がいる中堅の暴力団でやんちゃな輩も多いらしい。

覚せい剤の売買をやっていたり、一般市民とのいざこざも多いと言う。

それを聞いて居酒屋でのできごとを思い出して、野田は覚せい剤の売人でもやってるのかと思った。

「居酒屋で泉川が野田ら三人に渡した買い物袋が覚せい剤で、三人から泉川に渡した封筒に売買代金でも入っていたんだろうか?」一心所長に尋ねてみた。

「うん、その可能性は高いな。食い物や衣類をわざわざ居酒屋で受け渡しするはずないからな」

一心所長は妻と目を合わせそう言った。

「せやな、田中はんこれ以上危険な男はんに近づきはったら何されるか……なぁあんたはん」

奥さんの京都弁は柔らかで優しさが溢れているように感じる。奥さんがそうなのか京都弁がそう思わせるのかは分からない。

「そうだよ、危険なことは俺らか警察に任せた方が良い」

「心配してもらって済みません。でも、これは俺がやらないとダメなんで……また力を貸して欲しいことでると思うんで、その時はお願いします」

忠人は頭を下げた。

「そういえば、ちょっと訊きたいんだけど、どうやって探したの? えらく早いんだけど?」

忠人が尋ねると、二人は顔を見合わせてにこっとして

「企業秘密なんだけど……道路や店舗などの監視カメラは大方ネットに繋がってるんだよ。それを覗いて貰った写真と家で作った顔とか歩き方の照合システムで確認するんだ。だからカメラ一台の一日分は、数分で照合確認が終わるんだ。だから割と早いんだよ」

「へぇ、もしかしてカメラの映像をハッキングする? ……」

「いや、そこはノーコメント」

そう探偵が言ってまた妻と顔を見合わせ微笑む。

随分と仲のいい夫婦だと思った。

腹黒さや陰がまったく感じられない。

お礼を言って辞去した。

 

 それから毎夜、忠人は野田の良くいくバーへ通ったが中々会えなかった。

二週間ほどその店に通い詰めてようやく野田が忠人の近くのカウンタースツールに腰掛けた。

スコッチをストレートで注文している。

忠人は酔ったふりをして天井を見上げて野田には聞こえるくらいの大きさの声で呟いた。

「ヤクが何処かで手にはいんないかなぁ……」

野田はにたりとしたが反応はそれだけだった。

忠人は無理をせずカウンター女性と卑猥な会話をして野田より先に帰った。

数日後の夜、野田を尾行し知らんぷりをして彼に続いて同じバーに入る。

しばらく飲んでいると野田の方から近づいてきて「ヤク欲しいのか?」

「まぁ、でもどこでも売ってないから良いんだ」

如何にも諦めきってるという雰囲気を感じてもらえるよう精一杯演技する。

野田が小袋をポケットから出して「二万」と言う。

忠人は、相手の顔をうさん臭そうに見、こっちが野田を警戒しているような素振りを見せつつ二万円をカウンターに置いた。

野田がそれをポケットにしまったので、忠人も小袋に付いている野田の指紋を消さないよう注意しながらポケットに入れた。

また少しカウンター女性と卑猥な話をしてから先に店を出た。

冷や汗をたっぷり搔いていた。急いでタクシーに乗って新横浜の家に帰った。

 

 翌日、田中芳次郎と名乗っている忠人は岡引探偵事務所へ行った。

今日も一心所長は妻の静と一緒に対座する。

「これ覚せい剤か調べて欲しい?」

小袋を応接テーブルに置いた。

探偵夫婦は驚いた様子で

「使うのか?」と訊く。

「いや、証拠品だ。覚せい剤なら警察へ知らせるんだ。袋に売った奴の指紋ついてるから消さないように気を付けて」

一心所長は片手を上げて「十分わかってます」という代わりに笑顔を浮かべた。

「今言ってくれたら即警察へ通報してあげるよ」

「本物か分からないから、調べてはっきりしたら誰のものか知らせる」

「分かった。明日までに分かると思う」

「じゃ、明日、電話します」

そう言って事務所を後にした。

 

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