第6話 名探偵
忠人の犯人捜しは続いた。
もう二年になるが一向にカメラに写った男には会えなかった。事件から十年が過ぎ去った。
半ばやけになった。諦めの気持ちも湧いてきた。
今年の五月も暑い、夜の八時を過ぎて半袖でも汗をかくほどだ。
忠人は月に数回スナック「シカゴ」を良い休憩所として利用していた。飲むのはいつもハイボール一杯だけだ。
今夜もその店を出てまた行き交う男の顔を見ながら歩き始めて間も無く、二人組の柄のあまりよくない若者とすれ違った。
特にぶつかったわけでも無いのに
「こらっガキ、夜中に何キョロキョロ歩いてんのよ。おこちゃまはさっさとママのとこへ帰れ!」
すれ違いざまに叫んでガンつけされた。
アルコールが入っていたせいもあってムッとして
「なにっ!」
相手を睨みつけた。
それが悪かった。
「なんだとう、やるのか!」
胸倉を掴まれ尖った目を向けられる。
その手を下から思いっきり振り払うと
「痛てぇ、殴られた」
と騒ぎ出した。
やばいと思って振向き二、三歩進むと後ろから襟首を勢いよく引っ張られ転ばされた。
「痛てぇ」
立ち上がって相手に体当たりを食らわせる。
それからは殴り合いになった。
何発かは殴ったが、その何倍も殴られた。
転ぶと二人から蹴られた。
しだいに一方的にやられっぱなしになった。
唇を切って血が流れる。あばらが折れたのかビリビリ痛い。
周りで何人もの若者がにやにやしながら見物している。
無責任に声援する奴がいる。囃し立てる奴までいる。
止めようとする人はいなかった。
殴られ、蹴られても痛みを感じなくなってきた。
――あぁこんなところで、意味なく死んじゃうのか……か・な・こ……
諦めかけた時「君たち止めなさい!」怒鳴る声が聞こえた。
目を開けるとスーツ姿の見た目スリムな青年と言うには歳を食った、しかし壮年というにはまだ早いような男性が駆けてきた。
危ないなぁと思う一方で助かったとも思った。
「うっせーっ!」
相手の男がその男性に殴りかかった。
忠人は顔を背けた。
「うわっ痛てぇー」叫んだのは殴りかかった男の方。あっという間に投げ飛ばされたのだった。
もう一人が男性を羽交い絞めにしようとしたが、足を払われあっけなく転ばされた。
そして男性が手帳を開いて
「これ以上抵抗すると署に連行するぞ!」迫力ある声で一喝。
「やばい、逃げろっ」慌てて若者は走り去った。
「君、大丈夫か?」
その男性が手を貸してくれて忠仁はなんとか起き上がる。
「はい、何とか……助かりました。ありがとうございます」
体中が痛いし呼吸しても胸が痛かったが無理して言った。
「どうすうる、被害届出すか? 一応相手の写真も撮ってあるぞ」
「いや、このくらいどってことないですから」
服の汚れをほろいながら言った。
「君、酒飲んでないのか?」
「ハイボールひとつだけ飲みました」
「そうか、しらふみたいだな」
「えぇ人探しに来たんで酔ってられないんです」
言ってから拙かったかと思った。
「へぇ待ち合わせした友達でも探してんの?」
そう言われたら嘘は付けないし……仕方がないのでポケットから写真を取り出して
「この男を探してるんです」正直に言った。
「この人は?」
「……俺の両親と妹を殺した犯人です」
忠人が刑事と名乗った男性の顔色を窺っていると
「それ、警察に言ってないのかい?」
「いや横浜警察署へ行って、崎井警部補さんに探してくれるよう頼みました」
「それでも探すってことは警察を信用していないってことだね」
刑事は笑みを浮かべて言う。
「えっ、ふふ、まぁね……もう十年も前から俺の見た犯人の似顔絵で探してくれているはずだし、この写真を撮ってから二年経つけど何も言ってこないので、自分で探すしかないと思ったんで……」
助けて貰った刑事に警察の批判をするみたいでちょっと言いずらくて忠人は頭を掻きながら頭を下げた。
「そうか、申しわけないね。手は打ってるんだとは思うんだが……そうか、自分は市森和也(いちもり・かずや)といって雷門警察署の刑事で今日は非番で飲んでたんだけど、警察官の自分が言うのも可笑しいが、浅草には岡引一心(おかびき・いっしん)という名探偵がいるんだよ。浅草警察署でも彼には随分と事件解決に協力して貰っていて信頼性は抜群なんだ。……その写真の人の名前も分からないんだろう?」
刑事は、忠人が「はい」と返事をするのを待って続けた。
「金は掛かるけどきっと見つけてくれると思うよ。『ひさご通り』って分かる?」
「はい、花やしきの西側でしたよね」
「そうそう、その通りに看板出てるから行ってみなさい。きっと役立つと思うよ」
「刑事さん、ありがとう。だけど、刑事さんが探偵を紹介するなんて何か変ですね」
忠人がそう言うと市森刑事は笑って
「そうかもな、でも自分も人探しの手伝い出来ないし、君のこと考えたらそうするのが一番かなって思ってさ。でも、無理に行かなくても良いからね」
「はい、行ってきます。もう歩き回るの疲れたし、たまに怖い目にも合ってるんで……」
「そう、頑張ってな。じゃ」
忠人は、今は刑事に助けられたがやがては刑事に追われることになる、そんな複雑な思いで市森という刑事の後ろ姿を見ていた。
翌日、加奈子に市森刑事に言われたことを話した。
「じゃ、それを浅草の名探偵の岡引一心さんの探偵事務所へ持って行って名前とか調べて貰いましょうよ」
加奈子はすんなり認めてくれた。
「……良いの? 俺の復讐を許してくれるの?」と訊いた。
「いえ、ダメよ復讐なんて! でも、知りたいでしょう相手が誰なのか? だから名前とか分かったら警察にも届け出をするのよ。それなら忠人もいいでしょ?」
「あぁ、分かった。明日でも早速浅草へ行ってくる」
翌日、仕事が終わってから写真を持って浅草へ向かった。
浅草の花やしきから西に向かって歩いて二本目の角に「ひさご通り」の標識が立っていて、そこを曲がって歩いていると、四階建てビルの二階の窓に大きくその名前が書かれていた。
階段を上がって岡引探偵事務所へ。
住所と氏名、勤務先などを調べて欲しいと依頼した。忠人は田中芳次郎(たなか・よしじろう)目黒区在住と依頼人名・住所欄に書いた。
名刺をくれた所長の岡引一心という人は優しそうな顔付きをし髪の毛をふんわり盛り上げ若者風な中年男性という感じだ。
そしてお茶を淹れてくれた静(しずか)という奥さんは着物姿で京都弁を話す綺麗な女性だった。
「この人はどういう人なの?」
一心所長に写真を見ながら訊かれ
「昔、家に強盗に入った奴でたまたま浅草の駅前を撮影していたら映ったので調べて欲しいと思って……」
「その時に尾行はしなかったの?」
「仕事が終わってから家で映像を確認していて気付いたので……」
「なるほど、他に情報はありませんか?」
「その人の名前かどうかは分からないけど『ふくよし』という言葉と『あさくさ』と言ってたんだけど、参考になるかどうか?」
「いえ、何でも参考にはなります。他には?」
「……いやぁそれだけです」
「分かりました。探してみましょう。ただ、時間がかかると思いますよ」
「あっ、そうそう昔横浜にいたことが有るかも知れません。強盗事件は横浜で起きたので」
「その事件は横浜警察署の担当だったんだね」
忠人が頷くのを待って探偵が続けた。
「じゃ、何か分かったらこの番号に電話するね」
「あっ、いや仕事場にケータイ持ち込めないので、週一くらいでこちらに電話入れますんで」
「ふ~ん、それでいいの?」
「えぇそんなに急ぐわけじゃないので、お願いします」
忠人は探偵がどう探すのかは訊かなかったが時間がかかるといいうのは理解できた。自分ならどう探して良いのか見当もつかない。
取り敢えずお願いして辞去した。
それからは毎週土曜日に探偵事務所に電話を入れた。
ひと月間は何の情報も得られないまま過ぎ去った。
その男が野田福慶(のだ・ふくよし)、雷門警察署長の息子と判明した。住所は浅草の署長宅と知らせてくれた。
調査を依頼してから六週間後の六月十七日の事だった。
忠人は全身の血液が逆流して一気に頭の中で沸騰して行くのを感じ、自然に呻き声が漏れた。
受話器の向こう側で「大丈夫ですか?」と訊かれかろうじて「ありがとうございました」
そう言ってケータイを閉じた。
少し気持ちが落ち着くのを待って加奈子に電話を入れてその話をし、明日警察へ届けると伝えた。
翌日、忠人は一心所長から調査報告書を貰って写しをとり、それを横浜警察署の崎井警部補に渡して
「あとは宜しくお願いします」
崎井警部補が強盗犯の名前を見て飛び上がった「なんだぁ!」
捜査課に響き渡るような大声で叫んだ。そしてじっと忠人の顔を見詰める。
「これ間違いないのか?」
また確認してきた。
「もちろんです。絶対に間違いないです。すぐ捕まえて下さいお願いします」
「お、おう……分かった。まず事情を訊いてな」
崎井警部補は何とも言い難い悩みを抱えてしまったような、後悔をしているともいえるような表情を浮かべて言った。
――どうせ警察の関係者だから逮捕なんかできないんだろっさ、自分が代わって罰を与えてやる……
忠人の頭の中に「復讐」の二文字が楔のように撃ち込まれ、それで周りの脳細胞の自由が奪われ復讐以外の事を考える余裕が無くなってゆく。
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