第5話 始まり

 加奈子が箸を置いて、押し黙っているので視線を向けると、涙を流している。

「初めてだね、忠人が心の内を話してくれたの。いつもなんかよそよそしくって、なにか有るのかなぁって思ってたんだ。そんなに辛かったんだ。ごめんね分かってあげられなくって」

忠人は驚いた。加奈子がそんなに自分の事を思っていてくれてたなんで全然気付かなかった。

「新横浜に引っ越してきたのも、あのまま家にいたらきっと自殺しちゃうと思ったからなんだ。こういう気持に踏ん切りをつけるのには復讐するしかないと思ったんだ。例え殺されることになっても良いんだ」

急に深刻な話をしてしまったと後悔したが、でも好きな加奈子に話せたのは良かったとも思った。

――どうこの話を収めたら良いんだ? ……

「だめだよ。死ぬ気になるなんて。私は嫌よ」

加奈子が口を尖らせる。

その顔を見たら何か妹みたいに見えた。妹も何か気に入らないとすぐ口を尖らせていた。

「俺……俺加奈子さんのこと好きだけど、復讐するから人を好きになっちゃいけないと決めてるんだ。だって、俺、人殺しになるか殺されるかだろう。人を幸せにするとか俺には考えられないんだ」

「私の気持は考えてくれないの?」

「えっだって……」

言いかけたら加奈子に遮られた。

「だってじゃない! ……じゃこうしましょう。忠人が復讐するって言ったって相手が分からないから今はできないわよね」加奈子はそこまで言って忠人が頷くのを待って「そしたら……」と続ける。

「そしたら、相手が見つかるまで私と付き合って! ……勿論恋人としてよ。で、相手が見つかったらそこでどうするのかもう一度考えるの。どう?」

加奈子がじわりとにじり寄ってきて、もう膝とひざがぶつかり顔が目の前に来る。

「わかっ……」言いかけたら、押し倒された。

強引に唇を奪われた。初めてのキスは柔らかで甘い香りがした。

一度唇を離して忠人が加奈子の上になりもう一度唇を重ねた……。

何をどうして良いのか? ……激しい感情が頭の中で迸り、無我夢中で加奈子を、加奈子の身体を抱きしめて……。

 

 互いに滴り落ちる汗をシャワーで流してから服を整えて食事の続きをし、加奈子に手を引かれ外を散歩した。

言葉は少なく微笑みながら見つめあう。

握った手は柔らかで暖かだ。ふと妹の手を思い出した。

「あら、今、妹さんの事考えたでしょ。目が彷徨ってた。いいけど、今度からは私の事だけ考えてよね。良い?」

鋭いと思った。だが幸せだとも感じた。

こんな気持になったのは初めてだった。

――良いんだろうか……。

 

 加奈子と付き合いだしてから一年が過ぎた。

 派手な柄シャツに黒パンツとサングラスの男が映像に現れた。事件から八年後の忠人二十三歳の誕生日、五月九日だった。

とてもサラリーマンには見えなかった。遊び人風だ。

その静止画像を拡大してじっくり見た。目付きは分からないが髪、眉、鼻、口、顔の輪郭背格好など犯人のひとりだと確信した。

その部分を別に保存して加奈子に連絡した。

録画されていたのは平日の午後二時半、どうしたら良いのか考えた。

夕方、ケーキを片手に来た加奈子にその映像を見せて

「この男が両親と妹を殺した犯人のひとりだ」と説明した。

加奈子の反応を見守っていた。

加奈子は忠人の顔をじっと見詰めて

「まず警察に届けましょう。……それでどうするの?」と言った。

「えっどうするって?」

「始めに言ったわよね。犯人が見つかったら私との付き合いもう一度考え直すって……」

加奈子が悲しそうに瞳を潤ませて忠人をじっと見ている。

「俺……俺加奈子と別れたくない……けど、……」

「けど……なによ」

「けど、復讐しないと明希葉と両親に申しわけない。そのために俺は生かされてるんだと思うんだ」

「じゃあ、どっち?」

また加奈子に詰め寄られ膝がぶつかっている。

「両方!」

そう叫んで加奈子を押し倒した。

唇を激しく貪った。

Tシャツもスカートも破けんばかりに強引に剥ぎ取って……。

……気が付いたら辺りは真っ暗になっていた。

 

翌日の日曜日、忠人の部屋から一緒に横浜警察署へ行った。

崎井斗馬(さきい・とうま)という捜査課の三十くらいに見える警部補が大きな身体を揺すりながらソフアに対座した。

ワイシャツは着ているがノーネクタイでジャンパーを羽織っている。

ズボンもワイシャツも皺が目立つから独身なのかもしれない。無精ひげが黒っぽい顔をよけい黒く見せている。

もう八年にもなる強盗事件のことだから真面目に聞いてくれるのか疑問だ。

「先日、浅草の雷門通りでこの植松宅の強盗殺人事件の犯人の一人を見つけたので捕まえてください」

祈るような気持ちで写真を会議室の長テーブルに置いた。

崎井警部補はじっと写真を見て「ちょっと待ってて」と言って席を立った。

十分ほども待たされて「おそいわねぇ」

加奈子が言ったがその通りだ。

「何やってんだろう」

さらに十分待たされて崎井警部補が戻ってきた。手には分厚い綴りものを持っている。

腰を下ろしてあるページを開いてテーブルに置いた。

「これがあんたが事件直後に指示して描かせた似顔絵。どいつかな?」

忠人が三枚の絵を見て「あっこの三枚目の顔の人。これに間違いない!」

崎井警部補を見詰めてそう言うと「どれどれ……おーなるほど似てるな……雷門通りって言ったな。張り込んでみるか。他に何か情報はないのか?」

「いえ、写真だけです。午後二時半過ぎに歩いてました」

「もう一度確認するけど、この写真の男が強盗犯に間違いないんだね」

そう念を押され忠人は頷いた。

――しつっこい刑事だ! 捜査もそれだけしつこくやってくれよなぁ……

「これどうやって撮った?」刑事は何か忠人を疑う様な目付きで言った。

「アーケイドの屋根にカメラ付けて撮りました」

崎井警部補はにたりとして「気持は分かるが、許可取ってないんだろう? 所有者か管理者の許可がいることを覚えときな、な」

そう言って立ち上がり「あとは任せときな。何か分かったら連絡するから……携帯番号は変わってないか?」

「えぇ同じです」

 

 電車で新横浜へ戻りながら「何か信用できないな」

忠人が言うと「そうだねぇ、私たちもその辺歩いてみようか?」

ポケットには強盗犯の写真を忍ばせていた。

それから休みの日のデートは浅草になった。

夜は忠人一人で浅草六区の飲食店街を中心に午後十一時を目途に歩き回った。

六区には小路が多く変な奴らに声を掛けられることもあるし、そうかと思うと大通りの大型店の明るいビルの前で肩をぶつけてくる輩もいる。

「いてぇー何しやがる」

いきなり肩を小突かれかっとして掴みかかったが、事件を起こして警察に睨まれると顔を覚えられるから拙いと思い、ぱっと振向いてダッシュで逃げる。

後ろで罵声を浴びせてきたが気にせず逃げた。

途中で女の人が手招きをしているのでそこへ向かう。

スナックの店員のようだ。

ウェーブの掛かった長い髪を耳にかけて、ノースリーのサッシュブラウスにミニのタイトスカートを纏いシルバーの細いネックレスが光っている。

 広く開いた胸元には深い谷間が見えて、細いとは言えないが魅惑的な太ももとふくよかな尻ともども男心をくすぐられ……

――いやいや、こんなのんびり観察している暇は無かったんだ……焦る……

その店に飛び込んでドアを閉めて様子を窺う。

「大丈夫よ。入って来たら裏口から逃がしてあげるから」

その一言で心持ちホッとして水を一杯頼んだ。

そしてドアから見えない位置のカウンタースツールに掛けて一気に飲み干した。

時間が経っても男は入ってこなかった。

「ハイボール貰える?」

周りを見ると薄暗い雰囲気でカウンターにスツールが五つとボックスが二つ。ボックスと言っても通路側には背もたれのないベンチソファが二つ置かれているだけの狭い店だ。客は忠人以外には居なかった。

女性は一人しかいないから、助けてくれたのがママということなのか?

グラスと通しが目の前に一緒に置かれた。

「ここ何て店なの?」

「シカゴよ。私はちか、宜しくね」

ちかは名刺をカウンターに置いて、ビールが底に僅かに残っているだけのグラスで乾杯のポーズをした。

「ちかさん、良いタイミングで声を掛けてくれて本当に助かったよ。お礼にビール一本出して飲んで」

ビールをちかさんのグラスに注ぐ。

「ありがと、頂きます」

グラスに口をつけて

「暇だから誰か通らないかなぁって思ってさぁ、ドアを開けたらあなたが走ってきたのよ。ふふふ」

ちかは怪しげに笑って続けた。

「誰かに追われてたみたいだけど?」

「あぁビルの前を歩いてたら、中から出てきた奴がぶつかってきて因縁を付けられたのさ」

「そう、で、逃げてきたんだ。賢い。ふふふ」

また怪しげに笑って「お名前教えて貰っても良いかしら?」

「あ~田中っていいます。ちょっと人探しで浅草に来たんだけど……」

――あぁ咄嗟に嘘ついちゃった……まぁ良いか、後々何か有るかもだし……

カウンターに写真を置いて

「この男見たこと無ぁい?」

ちかは写真を見詰め「ん~何処にでもいそうな顔ねぇ……どういう人なの?」

一瞬言って良いものか迷った。

「あら、そんなしかめっ面して、良いのよ言いたくなかったら無理に言わなくて……」

そう言いながら忠人の反応をみている。

「いや、俺の両親と妹を殺したやつなんだ」

思い切って言ってみた。……どんな反応を示すんだろう?

「そう、可愛そうに、私も旦那殺されてさ。それで子供いたからこの商売にはいったのさ」

思いもよらなかった。

「犯人は?」

「捕まったわ。その場でね、交通事故だったんだもん」

「交通事故か……」

きっと自分とは犯人への思いは違うんだろうなぁと思った。

「あなたは? 事故?」

「……いや、強盗だった。俺は隠れて助かったけど十歳の妹も刺されて……」

「そお……ごめんね。嫌だったでしょ言うの」

「うん、初めてだ知らない人に喋ったの……何で喋ったのか分かんない。聞きたく無かったよね」

「そんなことないけど、で、探してどうすんの? 復讐でもしようっていうの?」

ずばっと言われて動揺してしまった。

「あら、図星だったみたいね。でも、警察に任せたら良いんじゃないの? 余計な事だけどさ」

「もう、警察には言ったんだけど、当てにならない……ごめん、なんか喋り過ぎた。いくら?」

「千円よ」

忠人はお金を払って「ママ、また来ても良いかな?」

ちかは静かに微笑んで「えぇお待ちしてます」

忠人は思い出したようにカウンターに置いた写真を指さして

「もし、この人来たり知ってる人いたらここへ知らせてくれる?」

箸袋の裏にケータイ番号と「田中」とだけ書いて渡した。

ちかが頷いてそれをミニのポケットに入れるのが見えた。

ドアを閉めるとき「気を付けてね」と聞こえた。

入れ違いで五、六人の団体が店に入って行った。

ちかの明るい声が響く。

 

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