第43話 視える男、唖然とする。
次の更新は水曜日の8時です。
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いけない!
そう叫ぼうにも、バランスを崩して転んだ衝撃で上手く声が出ない。
ここは人除けの術がかけてあったはずなのに。
そういうどうでもいいことが頭を駆け巡っている間に、誰かは片腕を上げた。何か持っている。
それよりも逃がさないと。
百足の牙が迫る中、立ち上がろうとした僕の目の前で、その誰かはいきなりプシュッと百足に向けて持っていたもの……スプレーを吹きかけた。
すると不気味な唸り声というのか鳴き声というのか、そんなものを上げて百足が身悶え始める。
それが見えているのかいないのか、誰かは今度は缶の中身を空にする勢いでスプレーを目前に振りかけて。
何を振りかけられたのか解らないけど、百足は苦し気に激しくのたうち、それにつれて不気味な声も大きくなっていく。けれど缶の中身が尽きたのか、掠れた音しかしなくなった頃、百足もまた小さく痙攣したかと思うと、その動きを止めた。
何が起こったか理解できない。
よろっと立ち上がると、いいタイミングで月が雲から顔を出す。
現れたのは。
「よっす!」
「しぃちゃん!?」
思慧だった。片手には「殺虫剤・百足用」と書かれたスプレー缶を持って。
え? どういうこと?
唖然茫然。
へたり込んだ僕に思慧は空いている片手を差し出した。
その手を反射的に握って立ち上がると、思慧がにやっと悪い顔で笑う。それからジーンズのポケットから一枚、札を取り出した。
「俺もお師匠さんに頼んどいてん。お前の居場所がわかる札を」
「へ?」
「お前がクラゲに食わした札と一対でな。食わした札がGPSで、この札がその場所を示す……スマホ画面みたいな?」
安心院さんから思慧に届いた札は、本当は三枚で二枚は僕用、残りの一枚は思慧があらかじめ頼んでいた追跡装置みたいなもんだったそうだ。
簡単に説明すると、思慧は僕の全身をくまなく眺める。
そして「咄嗟とは言え悪かったな」と、軽く詫びて来た。
「いやいや、間一髪を助けてもらったわけだから……。にしてもよく百足の位置が解ったね?」
「え? だってお前、真っすぐ前見据えとったやん。お前は怖い言いながら、目ェそらせへんからな。ほなお前が見据えとった方向に、おんのやろってな」
お師匠さんからは、俺が殺すと思って百足に殺虫剤振ったら多分死ぬって言われとったし?
しれっとそんなことを言うと、思慧はふわっと視線を巡らせる。その先には拙いことに葛城と鬼一とスミシー氏が、こちらも唖然茫然といった感じで立っていた。
いや、スミシー氏がいるのは良いんだ。でも葛城と鬼一は拙い。
ざっと青褪めていると、あちらも事態に気が付いたのかにわかに慌てだした。
思慧の眉が寄って機嫌悪そうな雰囲気に、僕は何をどう誤魔化そうか必死で考えを巡らせる。と、思慧が大きくため息を吐いた。
「鬼一さんも葛城さんも人が悪いで。お師匠さんと同業者や、いうてくれたらええやん」
「へ?」
「いや、お師匠さんが『あの二人は引退した同業者や』いうて。本当やったらこの町はお師匠さんの縄張りやから、勝手に妖怪退治とかアカン。そやけどボランティアでやるいうのに文句言うほどケチやないって、お師匠さんいうてはったで」
「あー……なるほど?」
どういう説明をしたんだか、よく解らないけど安心院さんナイス!
どうも思慧の声は葛城や鬼一にも聞こえていたようで、遠巻きにしていたところからスミシー氏を伴って二人とも近付いて来た。
鬼一は修験者の恰好で、葛城は神主というか陰陽師というかそういう姿だったから、思慧の目が丸くなる。
鬼一が引き攣りながらも、がはがはと笑った。
「いやー、強ぇなぁ。針の先生よォ」
「水臭いですよ。晴のこと手伝うんやったら、俺も混ぜてくれはったらええのに」
「ほらァ、アタシ達一応その筋の玄人だったから、素人さん巻き込むのもどうかと思って?」
「晴かて素人ですやん」
「ぼ、僕は二人の依頼人みたいなもんだから!」
葛城の乾いた笑いに、思慧が突っ込む。安心院さんの謎設定に乗っかって、僕が入れたフォローは、思慧のお気には召さなかったらしい。僅かに眉間のしわが濃くなった。
そこにそれまで静かだったスミシー氏が入って来る。
「申し訳ありません、私と私のパートナーが全ての原因なんです」
礼儀正しく思慧に頭を下げるスミシー氏に、思慧が顔に疑問符を張り付けた。
だから僕が無念を託された小説家の先生のパートナーで吸血鬼の、という説明をすると、思慧が鼻を鳴らす。それからガシガシと頭を掻いて、再びため息を吐いた。
「ええよ、しゃあない。晴は自分で決めたことは、俺がなんぼ言うても変えへん。それに晴がもし、その花野先生みたいになったら、俺かて仇討の一つや二つするわな」
「いやいや、もうそこは平穏に暮してもろて」
「お前その時は死んどるんやから、俺に何が言えるねん。幽霊になって指くわえて、俺のすること見とれ」
ぐっと言葉に詰まる。
これ、僕が花野先生に言ったことがブーメランになってるやつじゃん。
葛城と鬼一、スミシー氏の生温い視線が僕に突き刺さるけど、解ってない思慧はそんな三人の様子に首を捻っていた。
「せやけど、集まって来てええん? あれで終わったんか?」
「あ、うん。しぃちゃんの殺虫剤で死んだというか、消滅した」
「ほうか、ほな帰ろか?」
僕も三人も、思慧の言葉に異論はなかった。
翌日、カフェにてモーニング。
「じゃあ、そもそも僕らにこそっと参加するために仕事とか言ったのか?」
「そやで。お前が俺を巻き込みたくないみたいって、お師匠さんに相談したんや。ほなGPSみたいなん仕込んでくれるっていうし?」
思慧は「しゃあないやん」と、分厚く焼かれた厚焼き玉子を薄く焼いた食パンで挟んだエッグサンドを頬張る。
辛子マヨと卵の甘味が絶妙だし、パンと卵の間に入っているキュウリがまた良い食感を生んでいた。
「その癖引退してご隠居してはる、鬼一さんやら葛城さんには頼るし」
「い、行きがかり上、それこそ仕方ないってやつだってば」
ぷりぷり不機嫌に零す思慧に、僕はそっと目を逸らした。
あの後、安心院さんから二人のことをどう聞いたのか、それとなく思慧に尋ねてみたことには。
鬼一は宮大工の棟梁でありながら、修験者として修行を修めた人で、葛城は安心院さんの親戚の神社で神職としてその手のことに関わっていた人。
鬼一は年齢が年齢が年齢だから引退、葛城はその手の仕事で関わる人間関係で疲れて引退した。安心院さんは思慧にそんな風に言ったそうだ。
喫茶店は葛城が趣味でやっている店で、気の合う仲間だった鬼一がちょくちょく寄っている。
今回の件は花野先生とスミシー氏の窮状を知り、丁度僕が小説家なのを知った二人が、僕が花野先生の小説を書き上げる手伝いをする代わりに、百足退治を引き受けた。それが今回の真相ということになっている。
終わりよければすべてよしだ。うん。
「ごめんなさいねェ、黙ってて」
僕と思慧の前に紅茶とアイスティーとアイスコーヒーを置きつつ、葛城が苦く笑う。鬼一も同じような表情だ。
それに手をひらひらさせると、思慧は「もうええですって」と返す。
思慧は文句は言っても引きずらない。僕も昨日は思い切り色々と言われたけど、朝には「それがお前やしな」で手打ちにしてもらった。
その思慧は戸惑いながら天井に視線をやって、それから僕に向かって首を傾げた。
「そう言えば、その花野先生やけど、今いはんの?」
「いや。今は多分スミシー氏のところかな? 昨日の今日だし」
「そうか。いや、お師匠さんがその花野先生に大事な話があるさかい、会いに来るいうてたで?」
「え? いつ?」
「昨日の夜、家帰ってから電話して『明日の昼』言うてたから……今日の昼か」
思慧の何気ない一言に、葛城と鬼一の顔から血の気がさっと引いたのが解った。
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