第34話 視える男、引き合いに出される。
次の更新は水曜日の8時です。
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「晴、悪いけど俺のリュックから往診セット取って」
「え? 持って来てたのか?」
「おう。何があるや解らんから、持ってきた」
「解った」
言われるままに、僕は部屋の片隅に置いていた僕らの荷物を取りに行く。思慧のリュックから見慣れた携帯の針ケースを出して、思慧の近くに持って行った。
「お師匠さん、針刺して大丈夫なんかな?」
「大丈夫よ。けれどその前に見立てを聞かせてくれる?」
安心院さんは穏やかに思慧に尋ねた。思慧はトカゲの色褪せた鱗から手を離さず、少し目を伏せる。
「このトカゲ? いや、トカゲやない。トカゲに見えるだけで、脈の触れかたとか気脈の流れは、至って人間に近い。マジで晴が一番病んでるときの状態に近い」
「いや、だから、僕を引き合いに出すのやめてもろて」
「しゃーないやろ? マジで似てるんやから。そやけどこれ、一回や二回治療したところで治らんで?」
思慧は僕に視線を寄越すことなくひらひらと手を振る。
仕方ないってなんだ?
別に僕に例えなくってもいいじゃないか。
でもそういえば、僕だって思慧の治療を何度か受けて死体から生ける屍くらいにようよう回復したんだ。それを繰り返すんだろうか?
疑問に安心院さんが手を否定するように動かした。
「普通なら、ね。でもこの子は地の力そのものだから、気脈が乱れてるところを少し整えてやりさえすれば、後は自力でどうにかできる」
「ほなセオリー通りに全体的な治療を。それから晴と同じく眼精疲労と肩こりに首こり、腰痛の治療を針とお灸併用で。どない?」
「そうね、妥当だと思う。晴くんにはこの子の経絡が鱗の色で視えているみたいだから、必要な個所を教えてもらって。経絡の場所は人間と同じよ」
「了解」
思慧はトカゲに声をかけて、消毒液の染みた脱脂綿でその鱗を拭う。いや、視えざる、あり得ざる存在なんだから消毒液いるのかっていう疑問は沸いたけれど、今、それを口にするのは野暮なんだ。
だってそれを指摘するなら、そのトカゲに対する鍼灸治療なんてなり立たない。
それからは専門家の世界って感じ。
思慧は時々トカゲの身体の部位を聞いて、その辺りの色あせた鱗の箇所を確かめつつ、針を刺したりお灸をしたり。
僕には時々トカゲがうっとりしてるように見えることもあって、多分そういうときは思っている所に針がささって気持ちよかったんだと思う。
僕もよく眼がしらに針を刺したり、その後で手拭いの上から手持ちのお灸で温めてもらったりしてた。
それで何が困るかって、眠くなることだ。トカゲもくわっと欠伸をしたりするし。
治療を始めて一時間半くらい経っただろうか。
思慧が針の数を確認して、それを見まもってから安心院さんが思慧に声をかけた。
「お疲れ様、思慧ちゃん」
「いえいえ、師匠もトカゲさんもお疲れさまでした。晴もお疲れさん」
「え、終わったの?」
「うん、とりあえず」
瞬きする回数が確実に落ちていたせいか、気が抜けると目が痛くなってきた。
けれど終わったというのは本当のようで、寝かされていた紫の座布団からトカゲが浮き上がって、安心院さんの肩に乗る。
普通のトカゲは浮いたりしないから、やっぱりお察しだ。
肩に金色のトカゲを乗せた安心院さんは、にこにこと僕と思慧に「お疲れ様」ともう一度繰り返す。
「あの、これで大丈夫なんですか?」
僕は鍼灸の治療は受けても、その内容までは詳しくない全くの門外漢だ。だから、思慧の治療を受ければかなり状態が改善されることは実感としてあったとしても、理屈としてはちょっと解らない。
まして、今回は人でないもの。地の力、それを象徴する黄金のトカゲじゃなく龍ときたもんだ。
すると思慧のほうは「よう解らん」と答える。
「普通やったら一回くらいで、慢性化した症状が劇的に改善するか言うたら、ほぼせんやろって感じや。けどそのトカゲは晴の身体より反応とかすぐ出るし、代謝がええんか治療したそこからたしかに治ってる手応えがあったし。終わるころには晴より全然健康って感じで」
「いやだから僕と比べるのやめて。っていうか、僕そんなに反応悪いのか?」
「めっちゃ悪い」
「あ、そう」
若干ショックだ。
いや、まあ、不摂生だしな。でも大正とか明治辺りから身体を壊していたに等しい存在と比べても、僕のほうが断然色々悪いってことか?
解せない。僕はまだ三十にもなってない。
理不尽さを感じていると、安心院さんが首を傾げていた。
「そんな身体の人を診ていたら、色々対処できるようになるわねぇ」
「そやで。晴の身体はよう解らん反応のオンパレードやったもん。セオリー通りなんは眼精疲労とか肩こりの、その筋肉を解さないかんときだけや。あとは大概変や。どんだけ資料引っ繰り返したか」
「まあまあ。でも改善してきてるんでしょ?」
「ちょっとずつ。最初のほうは背中触ってても、何触ってるか解らんくらい固かったし。飯ちゃんと食えって言うても聞かんし」
ぎっとジト目の思慧の視線が突き刺さる。それに対して僕は目を逸らすしかなくて。
たしかに思慧の忠告を無視した覚えはあるし、今だって同居してなかったら無視していただろう。
それでも僕みたいな人間を治療することが思慧のスキルアップに繋がってたんだったら、それはそれで僕も面目が立つ……気がする。
しかしそれを言おうもんなら、多分僕は四の字固めとか食らいそうだ。
ここは沈黙は金。そう決めこんで黙っていると、思慧がそっとため息を吐く。
「まあ、ええわ。同居してる間に体質改善目指すから」
「あら、思慧ちゃん。晴くんと同居してるの? この間はそんなことは言ってなかったのに」
「いや、ほら、晴の同業者さんの話したやん」
こてりと小首を傾げる安心院さんに、思慧は一緒に暮らしていることを話す。
安心院さんには僕が花野先生の原稿を引き受けた話はしたけれど、同居までは詳しく話していなかったそうだ。
それに加えて、僕は花野先生ともう一人気にかかるスミシー氏の話を、安心院さんにすることに。
彼女が百足に襲われて死んでしまって、でも未完成の原稿に未練があって、どうしても完成させたい。それと同じだけ、血を分け与えて来た友人のスミシー氏の未来が気にかかっていること、そしてスミシー氏は花野先生の仇をうち、彼女の後を追いたいと思っていること。
そういうことは時系列順に、どうにかこうにか葛城と鬼一のことを明かさずに話す。
恐らく安心院さんは葛城と鬼一が関わっていることを察してくれるだろう。けど、思慧に二人の正体を明かしていない以上、そこはちょっと有耶無耶にせざるを得ない。
話を聞き終えて、安心院さんは少し考える素振りをみせた。それから肩に乗っている金の小さな龍を、手のひらに招く。
「この子が復調したとなれば、百足の力は弱まるはずよ。この子は町に悪いモノが入って来れない結界の起点でもあるから。町の住人に仇なした以上、何らかの報いは受ける。けれど、だからって相当な霊力をもったお嬢さんを殺して、それを奪ったのだもの。血を飲んでいない吸血鬼が挑んで勝てるか。どうか……」
「ですよね」
呟くような安心院さんの声に僕の思慧も頷いた。
安心院さんは更に気になることを続ける。
「それに私はどちらかと言えば、お嬢さんのほうが気になる……」
「花野先生が、ですか?」
「ええ……」
何か思案するように安心院さんの眉は眉間に寄ったままだ。
花野先生にこれ以上何かあったら、それこそスミシー氏は荒れ狂うだろう。
僕も思慧も顔を見合わせて、安心院さんの言葉を待つ。カチカチと置時計の秒針の音が響く。
随分と長くその音を聞いているような気がしてきた頃、安心院さんが眉間にシワを寄せたままため息を吐いた。
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