第33話 視える男、笑われる。
来週からの更新は月・水・金の8時です。
次回は月曜日の更新です。
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そう考えれば辻褄はあうんだ。
それにしたって思慧の力は強いってことなんだろうな。
明治だか大正からだか、地の力とそれを反発して弱らせていた隕石との間に入って、隕石のほうにダメージを与えるんだから。
普通は人間の方が何かしら不具合が出そうなものだけどな。
とまあ、僕なんかは感心しきりだけど、思慧のほうはそうでもないようだ。なんか首を捻ってる。見えない分実感に乏しいのかもしれない。
そんな思慧と僕に、安心院さんはにこにこしながら「それで本題ね?」と言い出した。
「本題?」
「ええ、本題」
思慧と二人、また顔を見合わせる。
ここまでずっと本題を話してきたはずなのに、安心院さんはまだ先があるって言う。
おっとりと安心院さんは僕達に手のひらを上にして腕を差し出して見せた。
思慧は首を捻っているけれど、僕には安心院さんの手のひらの上に金色のトカゲのような生き物が乗っているのが見える。
前に来たときにも、それは安心院さんの肩にいた。
「トカゲがいる。金色の」
思慧に見えないものを安心院さんが示したのなら、思慧に何が見えてるかは僕が伝えるべきことなんだろう。
手のひらに乗るサイズのと説明を付け加えれば、安心院さんが穏やかに頷いた。
「思慧ちゃんに、この子の治療をしてもらおうかと思って」
「!?」
思慧がかっと目を見開く。僕だって驚いた。
爆弾を落とした安心院さんは、僕達のリアクションに全然動じていない。
思慧が眉間にシワを寄せながら、安心院さんの手のひらを指差す。
「え? 視えへんのに? おまけにトカゲなんか、俺の守備範囲外や」
「思慧ちゃんは視えなくても、晴くんは見えるでしょう?」
「ね?」と安心院さんに同意を求められて、つい頷く。いや、僕はたしかに視えてるけども。
だけど視えるだけで、何がどうとか全然解らない。そういえば、安心院さんはゆっくりと首を左右に振った。
「晴くんは視て、思慧ちゃんに伝えればいいだけ。思慧ちゃんは、触れさせすれば、この子の何処か悪いのか解る。それだけの腕があるのだもの」
穏やかだけど、安心院さんの声の響きには有無を言わせない雰囲気が滲む。
安心院さんは思慧の鍼灸の師匠だ。思慧の腕前のほどは解っている。それで「やれ」というのだから、思慧になら出来るんだろう。でも、だ。
「安心院さんでは駄目なんですか? 視えてるだけで、針とか全く解らない僕と、視えない思慧がやるよりずっといいんじゃ……」
「せや。なんで俺に言うん?」
安心院さんは思慧の師匠なんだし、僕と同じく視える人だ。彼女が治療する方が、素人の僕が目の代りをして、手探りで思慧が治療するよりも余程効率がいい。
思慧も僕と同じように感じたんだろう。眉間にシワが寄っている。
安心院さんは静かに目を閉じて、一呼吸おいて目を開けると、やはり首を横に振った。
「そりゃあね、私にも出来るけれど。私ももうお婆ちゃんでしょ? いつ何が起こるか解らない。うちの子たちじゃ、この子の存在は感知できるけれど視ることはできないの。今度同じことがあったら、誰もこの子を治せない。そうなったらもうこの町の気脈は狂ったままになってしまう。その気脈を整える術を、師匠として思慧ちゃんに継いでもらいたいの。そしてその後、思慧ちゃんがこの人ならって思う人に託してほしい」
今、師匠の安心院さんが傍にいる間であったら、仮令施術に失敗してもリカバリーがきく。逆に言えば安心院さんが元気なうちでないと、それは継承できない手技だということなんだろう。
沈黙が僕ら三人の間に広がる。
気脈、という物には聞き覚えがあった。
風水における考え方だったかなんだったかで、大地にも人間に流れるのと同じく気の流れがあるという考え方だったと思う。
気脈が狂っているというのは、大地の気の流れが何処かで滞っているなりなんなりして、そこに異状が発生しているということか。
気脈がこの町を守っていたとするなら、それが乱れていれば町の守りも薄くなってしまう。今がそういう状況なのだ。乱れを正さない限り、百足は跋扈し、花野先生のように諦めたくないことを無理に諦めさせられたり、スミシー氏のようにかけがえのない人を理不尽に奪われる誰かがこれからも出るっていうことで。
痛いと思うことで、自分が知らず親指の爪を噛んでいたのに気付く。
顔を顰める僕の名を、思慧が静かに力強く呼ばわった。
「晴。ええか?」
「うん。やろう」
僕が頷けば、思慧が唇の端を上げる。大胆不敵。そういう表現の似合う表情に、僕も口角を上げた。
思慧がこういう顔をしてるときは、腹を括ったときだ。そしてこういう思慧は、凄く強い。
二人揃って安心院さんに「よろしくお願いします」と頭を下げる。それに安心院さんも「こちらこそ」と応じてくれた。
安心院さんは早速部屋の隅に置いてあった紫の座布団に金色のトカゲを寝かせる。そして針を打ちやすいように、その座布団をローテーブルの上に置いた。
僕は座布団のどの辺に金色のトカゲが横たわっているのかを思慧に伝える。
思慧はというと僕の視覚情報を基に、そっとトカゲの傍に右手を置いた。
「もう少し中央へ」
「この辺か?」
「そう。そこが前脚の付け根」
ゆるゆると思慧の手がトカゲの右前脚に触れる。そこで思慧の表情が変わった。戸惑うような物から、確信を持ったような表情へ。
おずおずとした指の動きは、しっかりと病巣を意識したような動きに変わる。緩やかに、けれど滑らかに動く指先は、トカゲの前足からやがて首と思われる個所へと至った。
その付近は他の体表に比べて、ほんの少し金の輝きが鈍い。それに皮だと思っていたものは、よくよく目を凝らしてみればどうも鱗のようで。
ハッとして安心院さんを見れば、彼女は真顔で頷いた。
「しぃちゃん、顎の下に一枚、逆さの鱗がある。気を付けて」
「そう言われてもな。触れてみん限り、逆さかどうか解らん」
それはそうだ。しかしそれは、此のトカゲが僕が思うような物だったら、触れるのは凄くマズい。
どうしたものかと思っていると、安心院さんが思慧の名を呼んだ。
「思慧ちゃん、コミュニケーションはどんな生き物にも必要です」
「あ、はい。あー……その、逆さの鱗、触っていいですか?」
安心院さんの言葉に、ハッとした顔をした思慧だ。たしかに何も言わずに触れるよりは許可を取ったほうがいい。
でも返事は?
そう思っていると、金のトカゲ……いやトカゲじゃないんだろうけど、もう今はそういうことにしておこう……は頭を上下させた。これは多分同意だ。
「しぃちゃん、頷いた」
「よし、了解。乱暴にはせぇへんさかい、安心してや」
声をかけて金のトカゲの顎に、少しずつ指を這わせる。探る指先は繊細な動きだけれど、確実に逆さの鱗を探し出したようで、ぴくりとトカゲの身体が跳ねた。
指先にその振動が伝わったのか、思慧はすぐにトカゲの顎の下から指を退けると「解った」と呟く。
「逆さの鱗があるやなんて、まるで龍やな。でも大分気の流れが読めてきたで」
にかっと笑うのが頼もしい。けど「みたい」じゃなくて、多分「そう」なんだよ。
でもきっと今は言わないほうがいい。
顎から離した指先を、思慧は先ほど触れていたトカゲの首元に再び触れさせた。
「その辺の鱗の色が鈍ってる」
「おう。なんか、晴のガチガチの肩みたいな感触がある」
「あら、晴くんそんなに?」
「うっす。鉄板入ってるどころの騒ぎやないで」
「いや、僕のことはいいじゃん」
漂っていた緊張感が少し緩まる。
というか、弱ったトカゲと僕の身体ってそんなに似てるわけ?
複雑な感情の処理に困っていると、思慧が「ぷっ」と噴き出した。
「あかん、マジで晴の訳解らん人間ぽくない脈の触れかたに似とる。晴の親戚やったんか……!」
感動したような声に、安心院さんが笑いを堪え切れずに突っ伏した。
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