第30話 視える男、登山する

毎日朝8時に1話更新します。

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 次の休みになればといっても、すぐすぐ動ける訳じゃなくて。


 直近の休みは、思慧の所属する鍼灸師会の催しがあった。


 毎年毎年、講師を招いて市民の皆さんと健康を学ぶ、そして鍼灸も保険診療が出来ることを知ってもらうための市民大学講座ってやつ。


 僕も毎年、締め切りが余程切羽詰まらない限りは参加している。だってスポンサーの一人だし。


 稼げるようになって暫く、税金をあまりに取られることにキレた僕は、思慧に「お役所に持ってかれるくらいなら、社会貢献の方がまだしもだ!」と、この市民大学の費用に対して寄付を申し出た。


 お蔭でしっかりとスポンサーとして市民大学のパンフレットに、僕の名前が載っている。


 そういう関係で直近の休みはその市民大学の受講に費やされた。


 それから一週間後。


 即ち思慧と同居し始めから二十日、僕と思慧は思慧の師匠・安心院さんのお宅があるお山に来ていた。


 けれど今回は安心院さんのお宅には寄らないで、ロープウェイで山頂付近まで行く。そこから徒歩で山頂へ。


 ロープウェイから見る山の風景は綺麗だけれど、山頂付近まで着いてからのことを思うと気が滅入る。


 子どもの足で一時間と思慧は言っていたけど。子どもの足、とは?


 ロープウェイの駅に付いたときに、僕は思慧にその謎の言い回しについて尋ねることにした。


 思慧は「ああ……」というと、少し考えてから。




「昔、お師匠さんにお山で拾われた話ししたやろ?」


「ああ、うん。聞いた」


「あのとき、クソばばぁに棄てられたんがこの辺でな? なんや闇雲に歩いとったら、頂上の神社についたんや。ほんでここは違うって……で、反対向いており始めたら、お師匠さんに会(お)うたんや」


「へぇ……って、大変だったんだな」


「まぁな」




 苦いものを飲み込んでそういえば、思慧も察して苦笑いする。


 思慧の家庭環境は知ってる。


 母親は思慧を棄てて出た行ったくせに、復縁を迫って協力しない思慧を、十二歳の子どもを山中に置き去りにするような人だった。


 そこまで聞いたのはこの間の安心院さんのお宅訪問のときが初めてだったけど、浮気して思慧を置いて男に走ったのは知ってる。でも思慧の親父さんだって、思慧を引き取っておきながら仕事仕事で思慧と向き合わず、中学の三者面談まで僕の母親に任せた上に、思慧が高校に入ったら内縁関係のあった人のところに転がり込んで、ほぼ没交渉になったような無責任な男で。


 思慧には申し訳ないけど、割れ鍋に綴じ蓋だ。なのに生まれた思慧は、そんな両親がいるなんて思えないほど気持ちのいいヤツだから。


 とはいえ、親父さんと思慧が没交渉に近いのは、僕が親父さんの思慧への扱いに対してキレ散らかしたことが原因でもあろう。だって許せなかった。思慧を蔑ろにするように、お金だけ渡してよろしく、なんて。


 思慧の親父さんは思慧より少し背が低いから、高校で既に189㎝身長のあった僕に胸倉掴まれるとか、さぞや威圧的だったろう。


「いこか」という思慧の軽い声にハッとする。


 物思いに耽っていた僕にきょとんとすると、思慧はさっさと歩きだす。


 その背には僕と同じくリュック。中には水筒に雨具に、万が一迷っても三日くらいは過ごせそうな行動食と。


 重いといえば重いけれど、二週間ほど体力作りに努めたせいか、さほど気にはならない。まあ、気のせいだよ。二週間くらいで山登りが平気になるほどの体力なんてつかないから。


 思慧がメンテしてくれるのと運動不足が解消されたから、多少疲れにくくなったってのはあるかもしれないけれど。


 それにつけても腹立たしい。


 山道といっても草が生えた獣道のような、森に囲まれて森林浴と洒落込めるような道じゃない。どちらかといえば舗装されていない砂利というか、ゴロゴロ石が転がっている悪路だ。


 一応頂上の社への参道となってるはずなんだけどな。


 山歩きに適した靴を履いていても歩きにくいものは歩きにくい。でも思慧は特に難なく歩いているから、やっぱりそこは普段の運動量の問題もあるのだろう。


 そんなことを考えてると、思慧が僕を振り返った。




「ちょっと休憩するか?」


「……歩き始めて十分も経ってないのに?」


「まあ、疲れてなかったらええけど」


「うん。それよりこの先に大岩が転がってるだろう? あれを乗り越えないといけないのがちょっと……」




 自分の言葉に、僕は首を捻る。


 この山に来たのは初めてだ。それなのにどうして大岩が転がっているなんて思ったんだろう?


 怪訝な顔をしていると、思慧が「俺が先に行って引っ張るわ~」なんて、当たり前みたいに返してくる。




「え? 待って、しぃちゃん。僕今おかしなことを言ったような……?」


「え? そうか?」




 さらっと流されて余計に違和感が湧いて来る。けれど思慧は普通の顔でさっさと先を行く。


 しばらく砂利道を無言で歩いていると、大きな岩が転がっていた。思慧が腕の力を使ってその上に登ると、僕に手を差し伸べてくる。その腕を掴むと、引き上げられるのに合わせて岩の上に登った。登山しんどい。




「大丈夫か?」




 引っ張ってもらった腕がだるくて振っていると、思慧が苦笑いしつつ僕の腕を取る。少し揉むように動かすと、だるさが僅かにましになった気がした。




「明日は筋肉痛やな」


「明日……に、ちゃんと出るかな?」


「……それは何ともよう言わんわ」




 ケケッと意地悪く思慧が笑った。まあ、そうだよな。


 帰ったら風呂に入ってよく揉もう。


 大岩を登れば更に道は悪くなる。もうどこを見回しても岩・岩・岩だ。


 段々と疲れも出て来て息も上がる。岩を超えてから十分は歩いたからもうすぐ木造の鳥居が見えてくるだろう。


 そこまで考えて、また首を捻る、だから、どうしてそういうことを思うんだ。


 気持ち悪さに、思わず思慧に声をかけた。




「しぃちゃん、この先って鳥居があったりする? しめ縄がかかってるヤツ」


「おお、あんで?」


「あるのか……」




 何でだよ。


 若干どころか違和感が増していくと同時に、既視感が段々と強くなる。


 こんなところに僕は来たことなんかない、筈だ。それなのに砂利道を進めば進むほど、この先の情景が何故か浮かんでくる。


 鳥居の先は少しなだらかになっていて、その先には石が積み上げられた塚のようなものがあるはずだ。その塚は、この辺りの守り神の依り代とされていて……。


 鮮明になって来る記憶に、僕は脚を止めた。




「なあ、しぃちゃん。変な事聞くけど」


「おお、なんや?」


「もしかして、僕、ここに来たこと、ある?」




 そんなはずない。万が一来たことがあっても、それを思慧に尋ねてどうするんだろう。訊ねるなら、まずは両親が先だ。


 けれど、思慧がなんとなく、この違和感と既視感の正体を握っているような気がする。


 先を行く思慧が、僕を振り返った。その顔は普段のひょうひょうとした掴みどころのない表情ではなくて、至極シリアスな雰囲気を纏っている。




「その話は頂上の鳥居を超えたとこでする。それでええか?」


「……勿論。っていうか、そこについたらちょっと休憩したいです! 足が! 死ぬ!」


「あー……今休憩でもええで?」


「今止まったら! もう歩けない!」


「どんだけ!」




 めっちゃ叫ぶやん!


 思慧がゲラゲラと腹を抱えて笑いつつ、また歩き始まる。


 いや、本当に足が痛い。


 人間切羽詰まるとビックリするぐらい声が出るもんだ。腹の底から出した大声に、体力をごっそり持っていかれた気がする。


 でも今止まったら、もう山頂まで行こうなんて気力なんてない。


 そんなわけで、足の痛さにイラつきながら、思慧の背中を追いかける。


 すると鳥居が見えて来て、しめ縄の間からその先の塚までが目の前に現れた。


 僕より先に鳥居をくぐって、思慧は塚の前で僕を待っていた。


 フラフラと鳥居をくぐると、ふっと身体が軽くなり、その先の塚の前につく頃にはすっかり足の痛みも失せていて。




「さっき、お前、自分がここに来たことあるかって聞いたよな?」




 思慧が穏やかに言う。


 頷けば、思慧も同じように頷く。




「来たことあるで。それも俺と二人で」




 その言葉に、ふっと目の前が白くなった。

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