第29話 視える男、悟る
毎日朝8時に1話更新します。
*****
ぶすくれる僕を宥めるように、ふよふよ浮いた花野先生が『運動とか面倒だから仕方ないですよね』と苦笑いする。
「面倒くさいですよね」
『私もアランに散歩とかしなさいってよく言われましたよ。ママより口うるさかったです』
ママより。それは煩い。
そう言われたスミシー氏の姿は、今は見えない。花野先生にどうしたのか尋ねると、店の二階の住居部分で眠っているそうだ。
鬼一や葛城の手で百足は向こう百年くらい休眠しないといけないくらいの打撃は負ったはずだけど、それは花野先生を食ったことで随分回復したどころか、強化されているらしい。
そんな百足を倒すには、眠って魔力というか妖力というかを温存させておいたほうがいいということなんだとか。
『あんなに言ったのにまだ諦めてくれない』と、花野先生は溜息を吐く。
だけどそれは仕方のないことだろう。
百足に対する恨みや憎しみの前に、スミシー氏には花野先生を死なせた自分自身への怒りがある。
自裁するよりは良いのかもしれないけど、それだって百足が倒されればどうなるか解らないし。
僕の出来ることは、花野先生の無念を晴らすだけ。
そんなわけで、今日も口述筆記で花野先生の小説の続きを打っていく。
けどこれがなかなか。
花野先生と僕は文体が絶対的に違う。好む表現も違えば、多用する言い回しだって違うのだ。
なので文章に使う倒置法や体言止め、果ては末尾に引っ掛かって僕の手が止まってしまう。
『あー……他に良さそうな言い回しあります?』
「や、でも、これは花野先生の小説ですから……!」
『それはそうなんですけど、でも書いてくださるのは末那識先生です。その味も出したほうがいいと思うんです』
「あまりそっくり同じでも違和感がありますかね?」
理屈的にはそうなんだよな。
花野先生の遺志を継いだ僕が、花野先生の文体を真似て続きを書くんだから。
だから花野先生にそっくりであっても、花野先生そのものではない。所々に僕の影のようなものは出る。どんなに意識的に真似ようとも、だ。
だけど僕はやっぱり花野先生の癖を重視したい。これは花野先生の最期の作品になるのだから。
『でも私は、過去私が書いた物語にも存在しているので……。それなら少し末那識先生も招かれていただいても、と思いまして』
「なるほど。でも校正入りますしね。そのときに改めて考えましょう」
『そうですね』
ポチポチとパソコンのキーボードを打つ音がする。
カフェは人が一定、訪れては帰って行く。その誰もがキーボードを打つ音が聞こえているだろうに、少しもこちらに関心を示さない。
それは葛城や鬼一が、お客がこちらに興味を示さないように何らかの技を使っているからだろう。
花野先生の紡ぐ物語は、僕のホラーとは違って、穏やかで心豊かな物語だ。
ジャンルが違う僕でさえ、彼女の物語の続きが気になって仕方ない。
惜しいと思う。
こんなに美しい物語なのに、これが完成してしまえば、もう書かれることはないのだ。
彼女の声に言葉に耳を傾けながら、指を動かす。
「オツレちゃん、先生が来たわよォ」
「え? あれ? もうそんな時間?」
『あらあら、結構集中してましたね』
葛城の声に顔を上げれば、思慧がドアに手をかけて店に入って来るところだった。
店の壁の時計を見れば正午を半刻ほど過ぎている。
花野先生は悪さをする霊ではないけれど、今の思慧は全方向に殺気を飛ばしているから、会わせると花野先生が弱ってしまう。
なので花野先生は僕に『ではまた明日~』と声をかけて、葛城や鬼一が花野先生のために張った結界のある二回の住居に上がった。
パソコンを畳んだ僕の前に思慧がやってくる。
「終わりか?」
「うん。切りのいいところまでは書けたから。それより、しぃちゃん何か飲む?」
「うーん、ほな冷コー」
「はぁい、ちょっと待っててねぇ」
葛城の耳に思慧の注文が届いたんだろう、手を振って来る。それを見た思慧は僕の向かいのソファーに腰を下ろした。
「どないや?」
「うん?」
「進み具合」
「ああ、悪くはないかな」
運ばれてきたアイスコーヒーを、葛城から受け取ってストローを刺す。ちゅっとコーヒーを吸うと、思慧は肩を回した。
「今日の昼、素麺でええか?」
「うん、勿論」
自分一人だと昼食なんか食べないのだから、用意してもらえるだけありがたい。
コクコク頷くと、思慧はさっさとアイスコーヒーを飲んでしまう。そして僕に「行けるか?」と聞いた。
大丈夫と返せば、思慧が伝票を持ってさっと会計を済ませる。
「明日はお前が払(はろ)てや」
「ああ、うん。任せて」
あくまで持ちつ持たれつ。
僕と思慧の付き合いのスタンスはそうだ。
葛城の「ありがとうございました。また明日~」という弾む声に送られて店を後にする。
今日もあのスーパーで買い物するかと思っていたのだけれど、思慧は商店街を家とは逆方向に歩き出した。
何処に行くのか尋ねると、商店街の八百屋に行くとか。
「野菜はスーパーより八百屋のが安いんや」
「そうなのか?」
「物によっては、やけどな。もやしはスーパーのが安かったわ」
「へぇ」
同じ経済圏のはずだけど、業態によっては値段が違うのか。
妙なところに感心していると、思慧の足が止まった。ざるに人参や玉ねぎ、ジャガイモや里芋、あとはホウレンソウや小松菜のような青物や、トマトやナス、あと見たことのないブロッコリー的な何かもある。
八百屋だ。
見たことのないブロッコリー的な、尖った三角錐のようなものが沢山ついた野菜を見ていると思慧が笑う。
「ロマネスコ、言うんで? 味はブロッコリーとカリフラワーに似てる」
「へぇ、そうなのか……」
説明されてもよく解らん。
そんな僕を尻目に、思慧は買い物を進める。
店の人に僕のことを聞かれたのか「ツレやで~」と、愛想よく答えていた。僕はと言えば会釈を交わすのが精一杯で。
でも店員さんは思慧と話すのに夢中で、僕のそういう陰気な様子は気にならないみたいだ。
幾つか野菜を買うと、今度こそ僕らは家に帰るらしい。思慧が踵を返すのに倣って、僕もそうする。
葛城のカフェを通り過ぎて、また件のスーパーだ。思慧の足が止まったから、彼の顔を覗き込めばニヤニヤしている。
「ま、まさか……!」
「おう。今日も頑張ってタイムセールに飛び込むで?」
「いや、豚肉なら昨日沢山買ったし!」
「ちゃう。今日は黒毛和牛や!」
「はい? マジ?」
「マジ!」
今間違いなく僕の顔面からが血の気が引いている筈だ。それなのに思慧はズンズンとスーパーの中へと入っていく。逃がさないように僕の手首を握って。
黒毛和牛が100gが500円は安いのか安くないのか、全く僕には解らない。けれど周りを取り巻くお姉様達が、昨日よりも殺気立っているのだから推して知るべし。
「な、なあ、しぃちゃん、マジであれに飛び込むのか!?」
「大丈夫や! 撥ね飛ばされても死にはせんて」
「まず、撥ね飛ばされる事態に遭遇したくないかな!?」
「はは。旨いモン食うにはちょっとした苦労はつきもんや」
軽やかに笑う思慧に絶望しかない。
だけど僕の背の高さに周囲のお姉様達が驚いたのか、少しだけ殺気が和らいだ気がする。
けれどタイムセールの開始を伝える店員のアナウンスが聞こえた途端、そんなものはすぐさま消えて一気に周囲が戦場になった。
あやかしよりも、人間の、この殺気立ったお姉様達の方が怖いかもしれない。
そんなことを思いながらも、思慧から「これ確保!」と持たされた黒毛和牛のパックを二つ抱えて、僕は戦場から早々に離脱したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます