第27話 視える男、草臥れる
毎日朝8時に1話更新します。
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「彼岸で婆ちゃんが手を振ってるのが見えた……!」
「何を大袈裟な……って言いたいとこやけど、お前の状態見たらそんな感じやな」
あの後、何を考えたのか思慧は僕の腕を掴んでタイムセールという名の戦場に放り込んだ。
最近は豚肉にしろ鶏肉にしろ牛肉にしろ、いや肉だけじゃなく魚も野菜も、ことごとく値上がりしているという。
そのなかで普段100gが149円のところ、タイムセールで半額になるとあっては、そりゃあ家計を預かるお姉様達には見過ごせないものがあるだろう。
僕にはその辺りの経済観念がないわけではないけど、自炊する思慧より遥かに低い。何せ僕は食べないで生きていけるなら、それを選ぶだろうくらいには物臭だ。
結果、思慧のアシストによりタイムセール品を、二人揃って一つずつは何とか手に入れた。が、無駄に上背があるわりに、存在に物理的な意味でも重みが足りない僕は、燃えるお姉様達に撥ね飛ばされたりもみくちゃにされたり。
店を出る頃には、僕の目は死んでいたという。
そして自宅に帰り着いて、思慧の施術を受けている。
「あ!」
「え!? 何!?」
頭蓋骨と首の境目辺りに針を打っていた思慧が、何か驚いたように小さく声を上げた。そんなところで声を上げられたら、流石に僕だって驚く。
でもうつ伏せでベッドに転がっているし、まして触られているのが首だ。迂闊に動けない。だからこそ余計に気になる。
「あー……針が曲がった」
「えー……?」
「刺したら岩盤みたいに固いとこに当たってな? 骨かと思たら筋肉やってん。お前、首筋に鉄板しこんどんのか?」
「どこのターミネーターだよ、それ」
苦笑する。僕が笑ったのが思慧に伝わったのか、思慧も笑う。
思慧は越してくる前から僕の身体のメンテを請け負ってくれているけれど、鍼灸の治療だけでなくマッサージやストレッチもやってくれるし、自己メンテの方法も教えてくれていた。その方法は簡単なものだけれど、物臭な僕はなかなか実践出来ないでいる。
それでもそれを責めたりはしないのが思慧だ。僕がそれほどマメでないことも知っているし、言われて出来るような人間なら思慧も同居するとは言わない。
「ところで」
「うん……?」
「お前を襲った百足やけど、やっぱお師匠さんの言うてたやつかな?」
「そう、じゃないかな? 百足の化け物がそう何匹もいてほしくないし」
「せやなぁ」
あんなシェリーが倒せないような化け物がうようよしていたら、僕は間違いなく外出できなくなる。それだと仕事に支障をきたす。だって花野先生に会いに行かなきゃ、彼女の小説の続きが書けない。
それだけじゃない。化け物怖さに一度書き始めた物語を諦めるなんて、癪に障るじゃないか……!
ぐっと拳を握りしめて言えば、仰向けになるようにと思慧から指示が出る。
言うとおりにすれば脇から鎖骨当たりの筋肉をぐっと揉まれた。
「うぐっ!?」
「あ、悪い。痛かったか?」
「し、死ぬ……!」
「ほーか。ここが固まってるから、繋がる背筋とか肩甲骨周りの筋肉が引っ張られて詰まるんや。そしたら喉の圧迫とかもちょっとマシになるし」
グリグリと鎖骨から肩・上腕に繋がる筋肉が揉まれて、息が詰まるくらい痛い。思慧は「鍼は痛(いた)ないほうがええ」という派だが、マッサージやストレッチの痛みに関しては「しかたおまへんな」という派だ。痛い。マジで。
「む、無理! 痛いって!」
「いや、待って? 俺ほぼ力入れえてへんで? 揉むどころか、撫でとる」
「マジで? 無理無理無理無理……!」
施術されていないほうの手で、激しくベッドをタップする。まるで生簀からまな板にあげられた魚のような暴れぶりに、思慧の手が戸惑い気味に離れていく。まな板の鯉だって覚悟なんか決められないで暴れるんだから、あの諺は鯉の目から見ると「ふざけんな、馬鹿野郎!」って意味だ。多分。
思わず恨みがましい目で思慧を見るけれど、彼のほうは唇を尖らせる。
「お前姿勢悪い上に巻き肩ぎみやから、鎖骨辺りの筋肉解さな。そこから背筋やら肩甲骨周りが硬なって、肩こりが余計に酷なるんや。肩が凝るから歯ぁ食いしばって顎が痛んだり、喉の筋肉が詰まって圧迫感になるわりとその辺の不調はつながっとる」
「うぅ……、この小説書き上げたら余生は養生に努めます」
「おう、俺の言うた自己ケアの三分の一でもやってくれたらええわ」
ははっと乾いた笑いを浮かべつつ、そっと思慧から目を逸らす。思慧はガクッと肩を落とす真似をしてみせた。
それから僕は暫く自分の本当の仕事のほうに取りかかり、思慧は夕飯の用意をして夕方の診療のために治療院に戻って。
思慧が帰って来たのに気が付いたのは午後九時を少し回った辺りか。
集中が切れた僕がキッチンに飲み物を取りに行くと、思慧が風呂から出て来たところだった。
思慧に「帰ってたのか?」と聞けば、三十分くらい前には帰って来て夕食の用意をしてシャワーを浴びてたとか。
「お前、マジで泥棒に入られても気ぃつかんのとちゃうか?」
「あー……多分気付かない」
我ながら呆れるほど、人の気配に疎い。
目を逸らした僕に思慧は苦く笑う。
「まあ、変に気が付いてかち合って危ない目に遭うくらいなら気ぃ付かん方がええんちゃう?」
「そうかな。そういうことにしておくよ」
たしかに昨今は色々物騒だ。妖怪だのあやかしだの化け物だのより、余程人間のほうが怖いと思うような事件も起こる。
丁度集中も切れたことだし、仕事はこれまでにしておいたほうがよさそうだ。
そう考えて、僕は思慧と交代でシャワーを浴びることに。その間にありがたくも思慧は夕食の用意をしておいてくれるそうだ。
「今日は他人丼と蒸しなすやで」
シャワーを浴びて出て来た食卓には、卵の黄色も鮮やかな豚肉の卵とじが乗った丼に、細かく切ったトマトが入ったソースがかかったなすが鎮座していた。男二人でこんな色味のある食卓になるなんて、もうその時点で驚く。思慧は僕からしたら段違いにマメなのだ。
「どないしてん?」
「いや、昨夜からなんか凄い良い物食べてる気がする……」
呟けば、思慧がジト目を向けてくる。
「普段魚肉ソーセージ齧って終りやもんな……」
「チーズだって食べてるときもあるし、気が向いたらポテトサラダとかだって食べるときだってあるって」
「どのくらいの割合で?」
「え? えぇっと……十回に一回くらい」
「お前、ほんまによう生きとるわ……」
そっと目を逸らす僕に、思慧は辛辣だった。
そういう僕の不摂生は今後思慧が管理してくれるそうだから、お任せしよう。僕は安きに流れる惰弱だから、楽でちょっといい暮らしができるとなると遠慮が無くなる。
思慧との同居を拒んだのは、思慧に迷惑をかけることが嫌だったのが大半だけど、僕のこの惰性に流れるところもあるからだ。
一度気楽でちょっとした贅沢な暮らしを味わうと、人間はそれを手放したくなくなる。
思慧がいて気楽な生活が出来ると身に染みて理解してしまえば、僕はずるずると思慧に頼るようになるはずだ。それが申し訳ないし、情けなくもある。
ぼんやりしながら食卓に着くと、僕の様子を見て思慧が眉を寄せた。
「また変なこと考えとるやろ?」
「え、や、別に……」
言葉を濁す僕に、思慧は溜息を吐くけどそれ以上追及はしない。
けれど難しい顔のままで、口を開いた。
「お師匠さんに百足の件、改めて聞いてみたんやけど」
「え? うん」
「この辺に住んでた守り神みたいなんの力が弱まったから、出て来たんやと」
「どういうこと!?」
新たなネタの出現に少しだけ、心が湧きたった。
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