第25話 視える男、話し合う

毎日朝8時に1話更新します。

*****


 生きてるだけで丸儲けっていうのは、大御所コメディアンの言葉だったような気がする。


 花野先生から出てきた言葉は、どすっと胸に刺さった……という事はなく。


 いや、刺さりはしたけど人間の格の違いってのを感じてしまった。僕はやっぱり意気地がない。


 飲み込めない苦い物を無理やり心の奥に流しこむことにして、僕は花野先生に改めて顔を向けた。




「執筆のことなんですけど」


『あ、はい』


「僕の家に来て話してもらうか、僕がここに来るかのどっちがいいですかね?」




 僕の言葉に花野先生は少し考えて『末那識先生のお家の方が良いのでは?』と。しかしこれに異を唱える人がいた。スミシー氏だ。




「やっぱり幽霊と言えど女性と二人きりはまずいですよね?」




 苦虫を噛み潰したようなスミシー氏にそう言えば、彼は申し訳なさそうに首を横に振る。




「いえ、そういう事でなく。そもそも彼女は私に取り憑いているので、一人で行動できないんです。なので先生の御自宅にお伺いするなら、私ごとご自宅に行かせて貰う事になります」


「それは構いませんが……?」




 寧ろ花野先生と二人きりより、そちらの方が僕の外聞だって助かる。いや、亡くなってる人とどうこうってないけど。花野先生もそう思っているのか、きょとんとした顔でスミシー氏を見ている。




「妙齢のお嬢さんのする顔じゃないよ」


『いや、妙齢のお嬢さんですけども。永遠に妙齢のお嬢さんになったので』


「う……」




 苦笑いしたスミシー氏に花野先生の強烈なカウンターが入った。やめてやれ、この人貴方の後追い考えてるんだぞ。そんな意図を込めて花野先生を見れば、彼女は明後日の方のに視線を飛ばした。




「それは……いや、すまない。そういう色気のある話でなく、安全面の話なんです。ヤツはおみっちゃんを食ったことで力が増している状態です。昼日中の、私達妖怪や闇に住まう者の力が弱くなる太陽が昇っている時間帯ですら、恐らくそんなに弱体化しないでしょう。ですが私は吸血鬼なので、先生の血を貰ってさえ昼日中は弱体化してしまう」


「ああ、なるほど。花野先生を僕の家まで連れて来れないってことですか」


「はい、簡単に言えば。人間の魂もアイツには御馳走です。奴に襲われた時、太陽が出ていると私ではおみっちゃんを守り切れない」




 しゅんっとスミシー氏が項垂れる。頭頂に垂れた犬耳、尻には萎んだ犬の尻尾のような幻影が見えてきて少し気の毒になる。


 しかしそういう事なら話は早い。




「なら、僕がここにきた方がいいですね。思慧が出勤するのに合わせて、この喫茶店に来ます。思慧の午前中の仕事が終わるまでここで花野先生の物語をタイプして、午後からは自分の仕事をする。その方が切り替えと集中がしやすくなるでしょうし」


『私の方は願ってもない事ですけど、それだと末那識先生の負担になりませんか?』




 僕の示した解決案に、花野先生が難色を示す。


 彼女のいう負担と言うのは葛城や鬼一、スミシー氏のような人ならざるモノに囲まれる僕の精神状況のことだろう。


 けど、それよりもっと負担と言うかやりたくない事があるのだ。




「実はですね」




 そう前置きして、昨日思慧としていた運動不足解消のための運動兼買い物の話をする。


 別に運動したくない訳じゃないけれど、それが買い物と言われると、どうしてか酷く面倒くさいんだ。それなら他に目的を作って、ついでに買い物に行くっていうふうにする方がずっといい。


 つまり花野先生の仕事を喫茶店でするっていう目的のために外出して、買い物はそのついでというか。


 そうすれば買い物のために出るという面倒さはなくなるし、喫茶店に来る分の距離が加算されるから、買い物がてら散歩に行くより余程運動不足の解消になる。


 そう説明すると、スミシー氏が首を傾げた。




「……運動不足解消のために買い物に行くのは面倒だけれど。他の用事のついでに買い物に行くのは面倒じゃないって……なんかよく解らないこだわりですね?」


「そうですか? 僕としては割と理に適ってるんですけど」




 よく解らないって言われるのがよく解らない。こっちもそんな感じで首を傾げると、かたりとテーブルに紅茶が置かれた。葛城が「サービスよ」と、声をかけてくる。それから僕の横の席に葛城は腰かけた。




「良いんじゃないのォ? ここにいれば一人で家にいるより安全だし、鍼の先生の仕事がずれ込んでもお昼ご飯くいっぱぐれないじゃない? 栄養改善の手伝いくらいなら、アタシにも手伝ってあげられるし」




 二ッと葛城が口角を上げると、花野先生がブンブンと首を上下させる。




『あ、そうですね。それはいいかも』


「鍼のセンセにゃ世話になってっからよ。物書きのセンセの安全なら任せてくンな」




 カウンターにいた鬼一までそんな事を言って胸を叩いた。


 いや、僕、まだお前らのこと信用できないって今言ったよな? なんでそんな親切にするんだ。訳が解らないよ……。


 僕の困惑に気が付いたのか葛城が「何よォ?」とからりと言う。




「何て……いや、さっきの僕の恨み節聞いてただろうに……と」


「ああ、アレねぇ」




 頬を掻く葛城がカウンターのスツールからこっちを見る鬼一と目を合わせた。


 ややあって鬼一がスツールから立ち上がって、葛城とは反対側の僕の隣に座る。三人掛けのソファーが狭い。


 どかっと座った鬼一は、偉そうに腕組みをしながら口を開く。




「そりゃぁ、お前ェさんも同じじゃないか」


「え?」


「嫌がりながらもオレ達と何とか共存しようとしてるじゃねぇか。黙っててくれって言やァ、鍼のセンセにオレらのことも黙っといてくれてるし、ヤバい奴がいるとなれば知らせに来てくれる。お前ェさんはオレらを憎むって言いつつ、オレ達知ったヤツのことはそこからちゃんと外そうとしてくれてるじゃねぇか。オレらはそれに応えてるだけさ」




 お前さんは自身で思うより強ェやな。


 ふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向く鬼一に、うんうんと葛城が頷く。僕はそれに何も言えなかった。


 とりあえず決まった事は、僕が毎朝喫茶店に顔を出すってことだ。


 丁度パソコンも花野先生のUSBも鞄に入っていたことだし、早速始めようという事になった。


 口述筆記の前に、花野先生にUSBに入った原稿に目を通してもらう。


 物語が何処で途絶えたかを確認して、そこから話をつなげていかなくてはいけない。僕の肩越しでパソコンの画面をじっと見て、そのページが終わったら『次へ』と短く花野先生の声がかかる。それに合わせてページを送る作業を繰り返し。


 途中までで文章が終わっているページに来ると、花野先生が大きく息を吐いた。




『さて、始めましょうか』


「はい」


『よろしくお願いします』




 店内には幸いにしていつものメンバーしかいない。


 人除けの呪いはしていないそうだから、純粋に開店直後はこの喫茶店も暇があるようだ。


 人がいたとしても花野先生の声は余人には聞こえないからいいとして、気を付けないといけないのは僕だ。花野先生と話していても、他人からは僕が何やら独り言を言っているようにみえるのだから。


 花野先生の言葉に耳を傾けつつ、キーボード入力をしていく。その作業をやりだしてからどれだけ経ったのか、不意にスマホが着信を知らせるために軽やかな機械音を出した。


 画面を見れば「しぃちゃん」と書いてある。




「もしもし」


『俺やで?』


「うん。どうしたの?」


『どこおんの? 家?』


「いや、商店街の喫茶店」




 スマホ越しに言えば、思慧からは『いつものとこか?』と返って来たから、そうだと返す。すると思慧はこっちに来るという。


 今の思慧は近付いたら殺すマンだ。葛城や鬼一、花野先生やスミシー氏には近付けない方が良いだろう。


 スマホに向かって「一緒に帰ろう」と言えば、思慧は「商店街の入り口で」と答えた。そこで待ち合わせって事だろう。


 そんな訳で花野先生と明日の作業の軽い打ち合わせをすると、僕はさっさと店をでた。


 思慧に明日からの予定の変更を伝えないと。


 そんな事を考えていると、急に背中に悪寒が走る。うなじがチリチリと焦がされるような、胸を圧迫されるような不快感にそっと背後を窺う。


 すると黒い靄のようなものがぽっかりと大きく口を開けていた。

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