第22話 視える男、爽やかに笑う

毎日朝8時に1話更新します。

*****


 喉に粘ついてまとわりつくえぐみと、梅干しやレモンを大量に混ぜたとしてもこうはならないだろうというほどの酸味に加えて、センブリを大量に煎じて凝縮したような苦み。


 殺されるんじゃないかと思うほどクソ不味い。

 しかしながら、身の内に漲る強さはおみっちゃんの十倍ほど。

 これが僕の血に対するスミシー氏の評価だ。


『あの……以前お願いしたアランに血をって話なんですが、申し訳ないですけどなかったことに……本当に申し訳ないですが!』

「いや、僕断ったじゃないですか? なのに何で僕がお断られてるみたいになってるんです?」


 花野先生が目覚めてからこっち、生まれたての小鹿のようにぷるぷる震えるスミシー氏を庇いつつ、そんな事を言う。

 いや、でも、力は花野先生より漲ってるんなら良いじゃないか。


 若干死んだ魚の目になりつつ、自分を納得させていると葛城が首を横に振った。

 こいつも何かドン引きした雰囲気で、ちょっとムカつく。


「良くないわよ。めっちゃ不健康ってことじゃない」

「自慢じゃないが規則正しくない生活の上に、栄養的な物はほぼ丸無視な状況だからな」

「本当に自慢できないじゃない」


 だけど男の一人暮らしだ。

 マメに自炊したりできる人間は出来るだろうけど、出来ない奴にはとんと出来ない。

 これは親の躾云々じゃなく、ソイツの生まれ持ったセンスってやつだ。


 それがない奴はどんだけ厳しく言われてもきちんと出来ないし、出来るやつは何を言われなくても出来る。

 そういう類の、いわば才能なのだ。


「でもとりあえずの応急処置にはなったんだから良いじゃないか」

「そうねぇ。今アランの身体には十分な魔力が巡ってるものォ」

『本当だ。私といた時より強化されてる気もします。っていうか、なんか私の自由度も上がったような?』


 ふよふよと浮きつつ、花野先生が自身の周りを見回す。

 この人そもそも初対面から浮いて現れるとか結構自由な感じだったのに、まだ自由度が上がるのか。


 げんなりしながら花野先生のすることを見ていると、何を思ったのか彼女は部屋に置いてある花瓶に触れた。

 そしてそれを『えい!』と持ち上げた。


「え!?」

『ありゃ!?』

「あらァ、持ち上がってるわねェ」


 そう、花瓶はすっかり宙に浮いていた。

 けれど次の瞬間には花野先生の手をすり抜けて、重い音を立てて床に転がった。

 花野先生が慌てて拾おうとするも、もうその手から花瓶はする抜ける一方で。


『一瞬だけ触れられるんですね』

「そのようですね」

『あーん、ずっと触れられたらパソコンうてるのにー!!』


 そうすれば自分で物語の続きを書ける。

 それは花野先生が願ってやまない事だろうが、一瞬ではどうにもならない。


 そして僕の血でスミシー氏が強化された影響が、ダイレクトに花野先生へ伝わるのであれば、やはり本が発売されるまで彼には大人しくして置いてもらわなければ。

 ぼんやりと花野先生を見るスミシー氏に声をかける。


「花野先生に影響が出てる以上、貴方には彼女の願いが叶うまで大人しくしてもらいます」

「しかし、それでは……!?」

「言いたかないですけど、僕は花野先生と知人くらいの関係性だったわけですよ。その僕が彼女の願いのために、文字通り身体張るんだ。僕より花野先生との付き合いが長くて後追いまでしようと思ってる人が、なんで敵討ちしたいとかいう私情を花野先生より優先させるんです? これまでの年月考えて、半年か一年、まあもう少しかかるかもだけど、そのくらい待てっていってるだけでしょうが」


『え? あれ? 後追いは止めて下さいよ!』

「いや、そこまでの責任は負えませんよ。あとはスミシー氏の人生だし、花野先生はどうせ成仏しちゃってスミシー氏を置いてくんです。何を言う事ができます?」

『えぇ……、いや、そうですけど……』


 スミシー氏からも花野先生からも困惑の声が上がる。

 でもだ。僕が請け負ったのは花野先生の未練である小説を完成させることであって、それ以外のことなんて何の責任も負ってない。


 それに花野先生だって冷たいようだけど、未練は小説にあってスミシー氏の生存にある訳じゃないんだから。

 スミシー氏の事が気にかかるなら、小説が完成しても成仏なんか出来ないだろう。

 それを告げれば花野先生は困ったように眉を下げた。


『アランに未練がない訳じゃないですよ、だって心配だもの。でも最初から私は置いていく側な訳だから……。生きてたらちゃんとアランの次のパートナーになってくれる人だって探しましたよ! っていうか、今だって探してるし!』

「それ、スミシー氏の同意を得てですか?」


 ぐっと花野先生が押し黙る。

 どうやら急所をついたようだ。

 スミシー氏も力なく首を否定するように動かす。


「……おみっちゃんが貴方に血を私にやってくれと頼むまで、全く知りませんでした」

「ほら」

『だって! 言ったら絶対嫌がると思って!』

「嫌がるって解ってることをするのは、たとえ善意が底にあったとしても、される側からすれば嫌がらせです」

『う……』

「スミシー氏も。花野先生は仇討よりも貴方の命の方が大事なんだから、それを危険に晒すのは嫌がらせです」

「……っ」


 二人ともしょんぼりと目線を下げる。

 そもそも似た者同士なのか、付き合って過ごす年月の間にどちらかの仕草が移ったのか、それは解らない。


 けども同じような仕草をするっていうのは、二人の間はたしかに絆というべきものが存在している証明だろう。

 大きく息を吐くと、同じように葛城も大きなため息を吐いた。


「おみっちゃんの仇の方は、アタシ達に任せなさい」

「え?」

「だって事の始まりはアタシと鬼一がヤツを取り逃がしたことだもの。尻ぐらい、自分で拭くわよ」


「ね?」と葛城がドアを振り返れば、憮然とした顔の鬼一がいた。


「おうよ。野郎には俺も煮え湯を飲まされてっからな。鍼灸のセンセのお蔭でだいぶ調子も戻って来た。これならあと一か月もすりゃ、奴とまたやり合えるってもンよ」


 おお、流石思慧。

 心の中で拍手喝さいを送っていると、イマージナリー思慧が脳内でドヤ顔を決める。

 そんな僕を他所に、鬼一がこちらをみて、少し決まりの悪そうな顔をした。


「なに?」

「いや、ものは相談なんだがよ。物書きのセンセ、暫く鍼灸のセンセと一緒に暮らすんだよな?」

「え? いや、どうかな」

「是非とも暮らして体質改善やら健康に努めてくれや」

「……何でだよ」


 嫌な予感がする。

 まあ、話の流れ的にちょっと見当が付いてるから嫌な感じがするだけなんだけど。

 葛城も解ったのか「あ、アタシも協力しようか?」とか言って来る。


「なぁに、ちょっとだけ、一口だけでいいから齧らせてくンな?」


 いや、何を、人の皿の料理を一口強請るみたいに軽く言ってくれてるんだこの野郎様は。

 ようはスミシー氏の命を伸ばすためにやった献血が彼の力を強めたから、同じように強化を図ろうって寸法でだろう。


 協力するのは吝かじゃないが、着いて来る体質改善とか健康に努めてほしいというのがどうも引っ掛かる。しかも葛城も協力するとか、なんだよ。

 じっと見ていると、鬼一が唇を尖らせた。


「奴さんはおみっちゃんを食ったことで力が上がってるだろうからな。こっちもその対応はしねぇと」

「それで?」

「センセの血を少しばかり分けてもらえりゃ恐らくは同等くらいにゃなんだろ。けども……」


 言い淀むと、鬼一の視線はスミシー氏に向く。

 そして一瞬悲痛そうな顔をした後、鬼一は再び僕に視線を合わせた。


「……吸血鬼が白目剥いて倒れるほどクソ不味い血を飲む勇気が湧かねェンだよ」

「よーし、今から身をもって味わってもらおうか?」


 爽やかに協力を申し出ると、鬼一が震えあがった。

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