第21話 視える男、ねじ込む
毎日朝8時に1話更新します。
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吉野先生の未練は、出すはずだった本が出せないことにある。
それを解消するのが僕の役目で、書きかけの小説がきちんと本として発売されれば未練はなくなって花野先生は成仏できる筈だ。
しかし、ここには死んだことのある人間はただ一人。
その人こそ、未練を抱えているからこそスミシー氏に取り憑いてる死霊・花野先生な訳で。
『いやー、お迎えが来たかも正直解んなくって。気が付いたら自分が足元に寝転んでて、アランが泣いてたっていうか』
「はぁ」
『何回も身体に戻ろうとしたんですけど、全然ダメで。これは死んだか……って思ったら、死んでましたね』
「えぇ……?」
花野先生はこちらの困惑などお構いなしに『ははは』と笑う。軽い。
そんな花野先生の言葉に、葛城も鬼一も難しい顔で首を捻る。
ややあって鬼一が口を開いた。
「わりと長いこと生きてるがよォ、死んだこたァねェから何とも……。まあでも依り代ってのがある方が魂は固定化しやすい。あの野郎が死んだらおみっちゃんもヤバいのはそうだろうよ」
「そうね。剥き出しの人間の魂が放置されたら、どんなに生前その力が強かったって汚染はされていくものよ。汚染された魂の成れの果てが、おツレちゃんもよく知ってる悪霊・怨霊・呪いなんかの良くないモノだしね」
『うわぁ、アランがいなかったら私ヤバかったんですねぇ』
鬼一や葛城の話に花野先生が、スケルトンな自身の身体をかき抱く。
良くないモノに追われる恐怖を知ってるのに、知らずその恐怖を与える側に回っていたかも知れない。それは十分ショックだ。
それに今だってその危機が去った訳じゃない。スミシー氏に取り憑いて安全を保っているのであれば、彼が危険な目に遭えば当然花野先生も無事では済まないだろう。
これは仇討を考え直してもらわないと。せめて小説が形になる迄だけでも。
「その肝心なスミシー氏は、今はこの店の居住区にいるんですね?」
先ほど花野先生から聞いた事だ。
確認のために口にすれば、葛城が頷いた。
「そうよ。妖力の節約のために、昼間は大人しく寝てる事が多いわね」
「ああ……。血を吸わないと力が落ちるんだったか?」
「おう。おみっちゃんくらいの力がある人間の血なら、一滴で十分一月くらいは賄えるぜ?」
でも、もうそんな人も当てもない。
だから眠ることで余計な力の消費を抑えて、仇討に望もうということなんだろう。
だけど、それっていつまでもつんだ?
気になることは放っては置けない。
疑問を解消するために、ふよふよ浮かぶ花野先生に声をかける。
「花野先生、血の一滴でどのくらいスミシー氏って生きられるんです?」
『たしか……ほそぼそと生きていれば一年くらいですけど……。それは私の力が結構強かったからで、普通だと半月ほどだったかな?』
スミシー氏は花野先生に出会うまでは、山の動物たちの血を飲んで生を繋いでいたそうだ。
が、不摂生な人間の血以上に、動物の血は癖があって飲めたものではないらしい。
ましてここ十余年、花野先生は頑張って血を美味しく保つよう努力していたとか。
『自慢じゃないですけど、私の血はワインだったら最高級品クラスって言われてました』
スミシー氏評に何故かテレテレしてる花野先生は、だからこそ困ってるとも言う。
そりゃそうだ。
最高級品ワインを飲んでいた人が、いきなりどぶ水なんて飲めやしないだろう。
だからって他に代替が効くものは無し。
鬼一や葛城のように、夜な夜なバカ騒ぎをする人間から血を貰うのもありだろうけども、その暇があるならスミシー氏は花野先生の仇を探すことを優先させるだろう。
「困りましたね」
『そうなんですよ。献血用の血液は困ってる人の物だから奪うとか出来ないし、牛やら豚やら鶏も人が食べるように育ててるもんだから手を出すのはちょっと……って、アランのこだわりが強くて』
「倫理感がちがちなんですね」
『ですです。私の方がどっちか言うといい加減で。拾った百円をジュース買うのに使ったら、「それネコババって言うんだよ?」って怒られてたくらいで』
「おぅふ」
ガチガチじゃないか。
となれば血を奪うからって人を襲うのもやっぱり出来ないだろうな。
八方ふさがりに、がりがりと頭を掻く。結局こうなるのか。
血の味は兎も角、そこに含まれる「力」とやらならば、花野先生と同等くらいなのはいる。まあ、僕だよ。
腹を括って、葛城を呼んだ。
「居住区ってどこ?」
「おツレちゃん!?」
『末那識先生……!』
驚く葛城に、何か察した花野先生の期待を込めた目。
肩をすくめると、僕は荷物を置いて立ち上がる。
案内を頼めば、葛城も僕の考えてることが解ったのか、先導するように前を行く。
カウンターを抜けて、二階へ。
廊下があってダイニングキッチン、そこから個室に続く扉が数個。
その内の一つに葛城がノックすると、中から応えがあった。
「はい」
顔を出したのはスミシー氏だけど、その白皙の美貌が浮かんだ隈や疲れで、酷くやつれて見える。
葛城の後ろにいた僕と花野先生の顔を見比べて、薄く、けれど穏やかに笑った。
「お世話になっております、末那識先生」
「こんにちわ、お久しぶりです」
スミシー氏によって中に招き入れられるけど、部屋はベッドとライティングデスクと椅子という殺風景さ。
これが彼の今の心象風景なのかも知れない。
でも僕は知ってしまった。彼の中には花野先生が書いていたような穏やかで温かい日常があることを。
予め渡されたカッターナイフの刃を、後ろ手に出して置く。
「今日は、何か……?」
「花野先生が遺されたUSBを受けとりました」
「では……!?」
スミシー氏の淀んだ目に、一定光が戻る。
今進んでいる話を花野先生からは断片的にしか話していなかったようで、法的な色々はまだかかるだろうこと、それでもいい方向に向かっている事を話せば、彼はほっと息を吐く。
ここから、説得だ。
花野先生の側にいたのだから、本が出るまでには時間がかかる事は知っているだろう。
その間花野先生の身に何かあっては困ると告げれば、彼は何を止められたのか察したようで。
「……おみっちゃんを殺した奴が、のうのうと生きてるんですよ?」
「そうですね。でも、それって花野先生の無念より大事なことなんですか?」
ぐっとスミシー氏の喉が詰まった。
卑怯な言い方をしたのは承知の上だけど、貴方には自身の気持ちより優先すべきものがあるって思わせるのは、罪悪感を抱く人には有用なやり方だ。
花野先生も、ちょっと苦しそうに顔を伏せている。
こういうのは気持ちいいものじゃないけども、それよりもっとスミシー氏が討ち死にでもして、花野先生も消えてしまう事の方が、僕には後味が悪いんだから仕方ない。
「少なくとも半年、それくらいは花野先生を優先して大人しくしててもらえませんか?」
「その間に、アイツが逃げてしまったらどうするんです!?」
「それは……その時に考えてください。花野先生は敵討ちとか望んでない訳だし」
『そうだよ。もういっそ逃がしても良いじゃん。それよりも私はアランに次のパートナーを探してほしいよ。本が出たら、多分お別れだし』
花野先生の静かな言葉に、スミシー氏の顔色も表情もがらりと変わる。
そうだ。
上手くすれば半年ほどで、花野先生の未練は報われる。その後、彼はどうするんだ?
いや、それより思いついた事があった。
彼が花野先生以外にパートナーを見つける事もなく、一時的にも血を取らない理由が他にあるのでは、と。
「つかぬ事を聞きますけど、血を飲まないのってもしかして、花野先生の後追いを考えてるから……じゃないですよね?」
問えばスミシー氏の目が逸らされる。
コイツ……!?
そうなんだなと思った瞬間、僕は持っていたカッターで自分の人差し指を切った。
そして唖然としているスミシー氏の半開きの唇に、血の流れる指をねじ込む。
驚いた表情のスミシー氏はわずかに身じろいだが、次の瞬間何故か白目を剥いて床に崩れ落ちるのだった。
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