第20話 視える男、伝える

毎日朝8時に1話更新します。

*****


 貰ったおしぼりで逆流した紅茶を拭って、一息つく。

 惨事を招いた花野先生は素知らぬ顔で、ぷかぷかと浮かんで店の中を漂っていく。

 鬼一はまだ泣いていて、葛城はそれを慰めてはいるがチベットスナギツネのような顔だ。


「ちょっとォ、この人こうなったら長いんだからァ」

「知らんがな」


 寧ろ泣かれたこっちがびっくりだ。

 お涙頂戴な会話なんかした覚えがない。

 戸惑っていると、カロンっとベルが鳴って店の扉が開く。


 外の生温い風と共に入って来たのは吉野さんだった。

 気付いた葛城が「お待ちですよ」と、僕の席を彼女に教える。

 吉野さんはその言葉にお礼を言うと、真っすぐに僕の元にやって来た。


「こんにちは、お世話になっております。末那識先生」

「こんにちは。こちらこそ、吉野さん」


 静かな声だ。

 ぷかりと宙に浮かんでいた花野先生が、戻って来て僕の後ろに陣取る。

 ちょっと首の後ろが冷たい。


「早速ですが……」


 すっとテーブルの上に、シンプルな長四角のUSBが置かれた。


『私のUSBですね』


 懐かしむような安堵の滲む声に、僕はわずかに頷いた。

 けれど吉野さんはまだ何か持っているようで、持ってきた大きなトートの鞄を開けた。

 出て来たのは数冊の本で、背表紙に著者名「花野蜜」とある。


「本当は生原稿とかの方が良いかと思ったんですが……」

「守秘義務とか諸々ありますもんね」

「はい。なので……」


 資料の代りに花野先生の本を提供してくださるという。

 実際僕がするのは花野先生の口述筆記ではあるんだけど、文章の癖を知っておくのは悪くない。

 校正さんの手が入っていたとしても、譲れない部分はきっと譲っていないだろう。

 そんな事を尋ねると、吉野さんが困ったように笑った。


「はい。作家さん同士、お察しの通りです。当て字もルビもバシバシやり合いましたね」

「なるほど。癖が強い感じですか?」

「言葉にも多様性があって良いだろう、と。『吾(あ)と彼(か)しか無かった時代から、私だのオレだの拙者だの、君だのお前だの貴方だの、折角呼び方も称し方も増えたのに、なんで減らさなきゃなんないの? 配慮で多様性を奪うなんて愚かの極み』なんて仰ってましたね」

「それは……同感です。言葉は生き物、絶えず繁栄と淘汰を繰り返すんですから」

『末那識先生ならそう言ってくれると!』


 浮かびながらブンブン首を縦に勢いよく振る花野先生に、眉を落としつつ笑う。

 吉野さんには花野先生の姿は見えていないから、ちょっと不思議な目線を僕に向けた。

 それから「似てるんですね」と呟く。


「え?」

「花野先生と末那識先生。書かれているジャンルは違うのに、不思議と似てらっしゃる。だから花野先生と末那識先生はご友人でらしたんですね。何処に接点があったのかと思ってたんですけど……何だか納得しました」


 吉野さんの穏やかな言葉に、視線を泳がせる。

 いや、実際はたった一度だけのやり取りだった。

 でもそれだって何処か通じるところがあったからの、一行くらいのレスだっただけ。


 実際花野先生のスタンスが、僕のそれととても近い事に気が付いたのは彼女が亡くなってから。

 もしも、あの後からもっと話をしてたならば……。


「でも、末那識先生も花野先生も水臭いなぁ。仲が良いって言ってくれたらよかったのに」

「あ、いや、その……いつでも言えると思ってたので」

「……そうですよね。私もそう思ってました。人間なんていつどうなるか判らないのに」


 吉野さんの声が震えた。

 僕もだけど、花野先生も吉野さんも、人間は皆いつも勘違いする。

 日常は全て奇跡で出来ているのに、まるでありふれた、永遠に続くようなものだ、と。


 そして失って初めて、その日常が決してありふれたものでなかったことに気付くのだ。

 けれど、花野先生に限って言うならまだ奇跡は続いている。

 チャンスはまだのこされているのだから、それを不意にしてはいけない。


「……どうなるかは分かりませんが、書きあげます。それが花野先生との約束ですから」


 USBと本を受け取る。

 吉野さんの肩が僅かに震えているように見えて、どう声をかけようか悩んでいると、かたりとおしぼりといつぞやのマリア・テレジアというコーヒーが彼女の前におかれた。


「マリア・テレジア、お持ちしました」

「……へ?」


 案の定、目を潤ませている吉野さんに葛城が穏やかに口の端をあげた。


「おツレちゃん……末那識先生からのオーダーです」


 いや、頼んでないけども。

 そんな目を葛城に向けると、彼は「そういう事にしときなさいよォ」と耳打ちして、さっさと行ってしまった。


 吉野さんは受け取った温かいおしぼりで目を押さえると、口元だけで笑ってみせる。

 この人は本当に花野先生を近しく思っていたんだろう。

 花野先生も心なし吉野さんを見る目に、慕わしさを浮かべていた。


『私を信じて、好きなように書かせてくれたんです。やり合ったこともあるけど、それは全部私の作品を世に出すためでした。感謝してます。どうしてそれを、普段から言わなかったんだろう……』


 花野先生の声は吉野さんには届かない。

 こういうのは本当に柄じゃないんだ。

 大きく深呼吸すると、僕は吉野さんに呼びかけた。


「吉野さん」

「……はい」

「花野先生、『吉野さんには感謝してる』って言ってました」


 嘘じゃない。今しがた聞いたんだから。

 僕の言葉に花野先生も吉野さんも、目を少し見開いて、それから二人とも花が咲いたように笑った。


「そうですか、ありがとうございます」

『末那識先生、ありがとうございます』


 頭を下げる動作まで、二人ともシンクロでもしているように同じタイミングだったのに、僕も少し笑えた。


 


『吉野さん、チョイスが偏ってますね』

「そうなんです?」

『はい。今回お願いする原稿が恋愛ものだからでしょうけど、ここにある本全部ジャンル・恋愛です』

「おぉっと苦手なジャンルですよ?」


 あの後少しして吉野さんは帰って行った。

 まだやることが沢山あるらしい。

 よく働く人だ。 


 それはそれとして、花野先生がいう事には吉野さんが持ってきた小説は恋愛ものがほぼだそうな。

 僕は恋愛ってジャンルは、読むにしても書くにしても少し苦手だ。


『末那識先生、ホラーとミステリが得意なんでしたっけ?』

「そうですね。あとファンタジー」


 パラパラとページを捲って少し読んでみる。

 導入はとても静かで、穏やかな日常が彩を放っていた。

 異郷の、何の変哲もない田舎町の風景なのに、とても暖かみがあって血の通った人間が文章の中に存在している。


 これはもしや。

 花野先生に視線を向けると、彼女はにこやかに「そうですよ」と告げた。

 これはスミシー氏の過去の風景なのだ。


「ところで、そのスミシー氏は?」

『昼間なので、このお店の居住区で寝かせて貰ってます』

「ああ、やっぱり日光ダメなんですか?」

『まったくダメって事はないんですけど、日焼けが水膨れレベルになっちゃうので』

「え? 僕もなんですけど」

『や、それは……寧ろ末那識先生がだいじょうばない感じですね?』


 まったくだ。

 僕の方が生粋の人間としてなんかおかしい。

 頷くと、葛城が少し苦い顔をしつつ口を開いた。


「だいじょうばないって言ったら、アランもそうよ。アイツ、夜な夜な街をうろついてるんだから」

「なんでさ? 夜は寧ろ領域だろうに」

『それが、どうも私を殺した妖怪を探してるらしくて……』


 敵討ち。

 そんな単語が脳内に浮かぶ。

 花野先生も葛城も、僕が何を思い浮かべたのか見当が付いたのだろう。


 二人して大きくため息を吐いたところで、鬼一がフンっと鼻を鳴らした。

 まだ目がわずかに赤い。


「仕方ねぇだろ。奴(やっこ)さんにとっちゃ、どうしても許せねぇ相手だ」

『私が望んでないのに?』

「復讐なんてもンはよォ。生きてるもンが手前ェのためにするもンなのさ。止めたって聞くかよ」


 それもそうか。

 頷きかけて、ちょっと待てと思う。


「あのさ、花野先生はスミシー氏に取り憑いてる。謂わば死霊なんだろう? スミシー氏がどうにかなったら消えてしまうのでは……?」

『あ!』


 花野先生も葛城も鬼一も、ぽんっと同時に手を打った。

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