第19話 視える男、噴き出す
毎日朝8時に1話更新します。
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葛城のカフェでそんな話をした一か月ほど後の事、また僕は葛城のカフェに呼び出された。
呼び出したのは担当の吉野さん。
花野先生の原稿のことですが……と言われたからには、いかなくてはいけない。
降り注ぐ太陽の強い光に負けそうになる身体を叱咤して、カフェまでの道のりを歩く。
いつも僕の傍にいるシェリーは、気を遣っているのか強い日差しを遮ろうとするかのように僕の頭上を覆う。
しかし悲しいかな、実体のないシェリーに影は出来ない。日傘になり損ねて、フワフワと青空に漂う。
透ける青色が綺麗だ。
商店街の日よけのアーケードが、その役目をきちんと果たしているようで、開店している店店の内側から漏れてくる冷房も相まって中々に涼しい。
目的の場所まできて、僕はため息を吐いた。
「……こんにちは」
低く呟いてドアを開ける。
ここには大妖怪とも言うべき葛城と鬼一がいて、もしかすると幽霊の花野先生や吸血鬼のスミシー氏だって、もしかすると。
彼らが僕に危害を加える存在じゃないって事は解っている。
けれど長年、似たような存在と命をかけての追いかけっこをしている身としては、やっぱり身体が竦むのだ。
「いらっしゃい」
「よう、物書きのセンセさんよ」
音もなくそろっと店に踏み込んだ僕に気付いて、葛城や鬼一が手を上げた。
奥からも冷気を纏って花野先生がふよふよと飛んでくる。
今日はそれ以外に人影は無し。
ここは繁盛しているという話だったのに、何故か他に客の影が見えない。
その事に首を捻れば、葛城が「奥にどうぞォ?」と声をかけて来た。
なので疑問をぶつける。
「……お客さんは、いないのか?」
「うん? ああ、担当さんから席を予約するお電話があったのよ。それならちょっと静かな方が良いかと思って、必要な人以外避ける術をかけておいたの」
「それは……ありがとう。でも、いいのか?」
商売をする以上客足は必要だ。
そう言う意味で「いいのか?」と聞いたが、葛城にもきちんと伝わったようで「別にこれで生計立ててないから」と返される。
そうなると、じゃあなんで生計立ててるんだよ?
そう聞きたくなるのは人情で、決して作家の好奇心ではない。
いや、少しはそういうのもあるけど。
「おツレちゃん、意外とこっちに興味津々よねェ?」
「う、あ、や、その……聞いたら良くない方が良い事なら……」
「別に聞かれても困らないけど……オンライン占いショップとか?」
「……なんか、あやかしに対する色々が裏切られるな」
九尾の狐がオンラインで占いなんて、誰が想像するんだ。
意外な答えに眉間にしわを刻めば、葛城が苦い笑いを浮かべる。
「変わらないモノなど何もないわ。あやかしだって時代に応じて変化する。それが出来なくて恨みを抱えるモノも多いけど……。変わらなきゃ、生きていけないわ。アタシ達あやかしも、おツレちゃん達人間も」
「そうか……。そうだな」
良いか悪いかではない。
変わらないモノなど何もない。それこそが唯一この世界に保証された変わらない真実なのだ。
この世界を生きるのならば、その普遍の真実に従ってしか生きられない。
人間だろうがあやかしだろうが、その流れからは抜け出せない。だって物言わぬ躯でさえ、有様を変えて行くのだから。
『変わらないのは無だけですね』
静かな声で、花野先生が笑う。
『私なんか死んでも色々変わりますし』
「……そうなんですか?」
『はい。だって死んでからの方が、末那識先生と仲良くなれましたし。鬼一さんや葛城さんとも仲良くなれました』
軽やかな言葉に、僕は胸が詰まる。
この人の未来は、突然閉ざされてしまった。けれどそれを恨みに思うのでなく、盟友のスミシー氏を案じ、自らの子どもとも言うべき小説を世に送り出そうと懸命だ。
彼女は死してなお、生きている。
そんな事が出来るものがどれだけいるやら。
少なくとも、僕は根性無しだから死んだ後も誰かと縁を……なんて希望はきっと持てない。
「花野先生」
『はい?』
「先生の原稿の入ったUSBが、僕の手元に来るそうです」
今日の吉野さんの用事はそれだ。
吉野さんから「花野先生のプロットや遺稿の入ったUSBを手渡したい」と、電話を受けた。
個人情報云々もあれだけど、貴重な原稿なのだ。そりゃ手渡しだろう。
『本当ですか……!?』
「はい。まだ法的な手続きとか諸々はかかるけど、ご両親が『是非に』と渡してくれるそうです」
『ああ、そうなんですねぇ……』
きゅっと一度唇を噛むと、花野先生が僕を見つめる。
ご両親は、本当に花野先生の話が完結することを望んでくれているようだ。
他者の原稿に手を入れるなんてなれない作業をしていただくのだから……と。
担当さんに手紙でそう伝え、僕の元に早く遺稿の入ったUSBを届けてほしいと、吉野さんに申し出てくれたという。
ありがたい事だ。
『……小説家一本で生きていくって決めた時、物凄く怒られたんですよ』
「ああ、うちも……いい顔はされなかったですね」
ほろ苦い表情の花野先生に、僕も頷く。
僕は積極的な反対はされなかったけれど『小説(それ)だけで生きていけるとは思えない』と何度も言われた。
親として「心配」なのだと言われれば、反発よりも申し訳なさがあった。
愛されている事は解っているのに、卑屈で自虐的で他者とのコミュニケーション能力が、人の間に混ざって生きていく力が低い。
そんな僕は社会で大勢に交じって生きていくことが苦痛なのだ。
それでも己の我の全てを文章に表すのが得意だったから、この場所で生きることを選んだ。
それを何処か逃げているとしか思わせられないのは、僕の不徳の致すところでしかない。
『他にもあるだろう? って言われましたけどね。でもそれを選んだ私は私じゃないんで』
「そうですね。他の道を選ぶ僕は僕じゃない」
結局両親には納得できるだけの実績を見せるしかなかった。
引き受けた仕事は全てちゃんとするのは、畢竟(ひっきょう)両親を安心させるためでもあった訳だ。
安定を選べない代わりに、精一杯この場所で生きてる。
知ってもらって納得してもらうまでにどのくらいかかったのか。
いや、今でも納得も何もしてもらっていないかも知れない。それでも認めてはもらった。
きっと花野先生の御両親も、納得はしてなくても認めてはいたから、USBを渡してくれるんだろう。
応えなくてはいけない。
「……アイスティー、お待たせしました」
「え? まだ頼んでない、けど?」
「あれ? いつも頼んでるから、これかと思ったんだけど」
葛城が湿っぽさを払うように、アイスティーを僕の前に置く。
ではありがたくオーダーしたことにさせてもらおうと言葉に出すと、その前に「料金はもらってる」と言われた。
首を捻ると、葛城がカウンターに座る鬼一を指差しつつ、声なく「見て」という。
そのたおやかな指先の先、ずびっと鼻水を啜る初老の男がいた。
なんだ?
「いや、センセ達よォ……、アンタらの友情に俺ァ……感動した!」
「は?」
「人間なんてロクなモンじゃねェって思うんだがよゥ……! 思ったそこからアンタらみてェな良いヤツがいてよォ……! 俺ァ……俺ァ……!」
ボロボロと男泣きというのか、厳つい初老の男が泣いている。
いや、お前、初見めっちゃ僕に怖い顔してなかったっけ? それでなんなん?
ってか、あやかしって泣くんだ?
言いたいこととか聞きたいことは山ほどあったが、ここでそれを言うのはどうなんだろう。
野暮ってやつか。しかし。
複雑な気分になってると、花野先生が目をぱちぱちと何度か瞬かせた。
『鬼の目にも涙、じゃなくて、天狗の目にも涙……?』
真顔でそんな事を呟くもんだから、僕は飲んでいるアイスティーを噴く。
そのうえに鼻にまで逆流したもんだから、その痛みに悶絶することになった。
花野先生、絶許。
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