第18話 視える男、丸めこまれる

毎日朝8時に1話更新します。

*****


 じゅっとグラスの底からアイスティーを吸い上げるのと、からりと中の氷が回天する音。

 思慧のグラスから出た二つの音を聞いて、ようやく僕は考えをまとめる事ができた。


「えっと、つまり、僕のメンテナンスを住み込みでやってくれるってこと?」

「おん」


 爽やかに頷く思慧に「へー、そうなんだ」と流されかけて、僕は「いやいや」と首を振る。

 僕の悪いとこだ。

 思慧が笑ってする提案には何となく頷く癖が出来ている。


「やって、お前。一回ハマったら飲まず食わず書くやん。何回言うてもそれを改める気配もないし、俺が毎日通うのも面倒や。せやったら俺がお前んちに住んだらええねん。少なくても家に帰る面倒くささだけはのうなるよって」

「それは……いや、往診なんて面倒なことを頼んでるのがいけないんだよな」

「ちゃう。往診は面倒やないけど、帰るのがめんどい。大体お前自分で中々通って来んやろが」

「う……」


 まあ、出不精だしな。

 それに書き始めたらきりの良い所まで書いてしまわないと、食事をする気も何か飲み物を飲もうって気にもならない。勿論睡眠だって例外じゃない。


 そんな僕だから思慧は往診してくれるんだし、何だったら自分の分も料理を作って、僕と一緒に食べて仕事に戻る時もある。

 本当に思慧は僕のライフラインの一部なのだ。


「別に何も永久に同居いう訳やなくて、お前がその何とか先生の分と自分の分の二つを書き上げたら、また元の生活に戻したらええねん」

「いや、でも、締め切りが重なったりはよくある話だし……」

「せやな。でも、お前考えてみ? 今までは自分の分だけの話やから、自分で折り合いが付けられとったけど、今度のは他人の原稿やで? 他人の文章を書くってストレスちゃうんか?」

「ああ、それは……考えてなかった」


 呟く僕に、思慧の呆れた目線が刺さる。

 そうだ。大昔に二次創作というのか、とある売れっ子作家さんのアニメ化した小説のファンブックに乗せる小説を書いてくれっていう依頼を受けた事があった。


 勿論引き受けた仕事はこなす。

 だけど、他人の書いた小説に雰囲気を寄せたりキャラクターを借りたりするのがどうも難しく、その仕事をやってる間のストレスで身体を壊した。


 僕はどうにも、作家として癖も強ければ我も強いタイプらしい。

 他者の文章を真似て書くなんてことは勿論、自分の血肉を削らない既存のキャラクターの内面を推察することも苦痛でしかなかった訳だ。


「……まあ、うん、あれから僕も年を取ったから、少しくらいは丸くなってるだろうし」


 何とか書けるだろうと呻く。

 それに今回、僕の役割はパソコンをタイプするだけなんだ。

 そこまで悪い事にはならないだろう。


 しかし、思慧の顔には「納得できません」とありありと書かれていて。

 じゅっと溶けだした氷が薄めたアイスティーの残滓を吸うと、思慧は「おかわり~」と葛城に向かって手を上げる。


「お前がこの何年かで、言わんでも飯食って運動して睡眠もちゃんととって、規則正しく健康な執筆生活しとったら俺もこんなん言わんのやで?」

「ぐ……」


 そう言われてしまえば二の句が継げない。

 でも何か言おうと口をもごもごさせていると、思慧も困ったような顔を見せる。


「あんな? 俺もお前も大人やし、あんまりお互いのライフスタイルに口出しすんのはようないって思ってるんや。せやけど、お前、このままやったらほんまに早死すんで? 普段の執筆やったら、加減も自分で解るやろし煩くは言わへん。でもいつもと違う事するんやったら、やっぱりそこは少し慎重にならなあかんやろ。その何とか先生の御遺志を継いだお前が、後追うように死んだら余計悲劇やろ? そうならんようにすんのも、引き受けた方の責務とちゃうんか」

「引き受けた、責務」

「そう。引き受けて本が出ますってなって、そりゃ喜ばん奴もおるやろうし、喜ぶ奴もおるやろう。その喜ぶ奴が楽しみにしてる本を手にした時、それを書いたお前が死んででもおったら悲しみは倍どころやあらへんで? 自分らが続き読みたい思ったばっかりに、このセンセもしんでもた……みたいな。それはアカンやろ?」

「いや、僕、そんな死にそうなのか……?」

「お前、俺は生ける屍状態から完全回復したとは言うとらんやろが」


 そうだった。

 僕はたしかに思慧に往診してもらって、何とか生ける屍から寝付いてない病人レベルまで回復したらしいけど、健康とはまだまだ言い難いらしい。


 この場合の身体の健康不健康は、西洋医学の病気の概念とは違うらしいけど、それでも弱っている事には違いないし、病気をしやすい状況にあるとか。

「脈の触れ方がおかしい、人間ぽくない」と、思慧には常々言われている。


「何も一緒に住む言うたかって、お前の邪魔はせぇへん。書きたいように書いたらええ」


 思慧の眉が困ったように落ちる。

「心配なんや」と、呟くように言われて、僕はハッとした。

 思慧は僕も花野先生のように突然死する可能性を見ているのかも知れない。


 だけどそれは杞憂なんだ。

 花野先生は病気で亡くなった訳じゃない。他者に命を奪われたのだから。

 けれどそれを今もぷかぷか浮いてる花野先生の前でいうのも憚られる。


「おまちどうさま~」


 悩んでいると、葛城がアイスティーを持ってやって来る。

 そして悩んでいる僕を見て「何事かしらァ?」と、思慧に声をかけた。


「ああ、俺が一緒に住んでケアする言うてるんやけど、嫌やって」

「あら、まァ」

「そら、俺らもいい年やし、生活を相手に寄せるなんてまっぴらやとは思うけど、そんな長い事やないし言うてるんやけど」

「嫌って訳じゃなくて……その、これ以上迷惑は……」

「迷惑やと思うんやったら、最初から期間限定でも同居しよとは言わんわ」


 ひらひらと手のひらを振る思慧を見つつ、葛城が少し考える。


「それって、ご飯とかどうするのォ?」

「え? ああ、そんくらいやったら俺が作るし。今も自炊しとるから、一人分も二人分のそない変わらん」

「あらァ、いいじゃない。でも部屋とかおツレちゃん余ってるの?」

「一部屋客間があったで、たしか」

「じゃあ、何にも問題なくない? 一緒に住むって言っても、鍼のセンセはお店閉めてべったりって訳じゃないんだったら、ちょっと会う時間が増えるだけじゃないの」

「そやろ? もっと言うたって。俺は心配やからいうてんのに、ちっとも聞かへん」


 ぶすくれる思慧を、僕を見比べて、葛城が思慧の肩を持つ。

 そう言えば大百足がいるから、思慧になるべく傍にいてもらえと葛城は言っていた。

 僕と思慧が一緒に住めば、そういう物から守られると思っての事だろう。


 それはそれで思慧の親切を利用しているようで、いたたまれないんだ。

 けど、その「一緒に住めば?」って目線は葛城だけでなく、ぷかぷか浮かぶ花野先生からも寄せられていて。


『さっきのお話ですけど、他人の文章書いてストレス溜まらない物書きなんかいないと思うんです。それで末那識先生が体調崩すとか申し訳ないんで、話を持ち込んだ分際で何ですが是非受けて下さい』


 囁く声に冷気を感じて、思わずぶるっと震えそうになったのを耐えた。

 その代わりに口から「ひゃ」っと悲鳴が出たのを聞いて、思慧がにまっと笑う。


「ひゃいって言うたな? つまり『はい』ってことやな?」

「へ? え?」

「マスター、聞いたやんな? よし、決まりや。準備できたら引っ越すわ!」

「ちょ!? え!? 言ってないよ!?」


 僕の叫び声は一切無視で、思慧は運ばれてきたアイスティーをじゅっと吸い上げた。

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