第16話 視える男、持ちかけられる

毎日朝8時に1話更新します。

*****


 オレンジリキュールの入ったコーヒーの上にホイップクリームを浮かべ、砕いたキャンディーを散らしたものを「マリア・テレジア」と呼ぶらしい。

 変わったメニューがあるのがこのカフェの売りのようだ。


 吉野さんが頼んだそれが彼女の前に置かれ、僕の前には季節のフルーツを沢山いれたアイスフルーツティー。

 切り出したのは、吉野さんだった。


「……末那識先生、花野先生とお付き合いがあったんですね」

「ネット上で、ですけど」


 吉野さんのいう事には、僕と花野先生が話した翌々日に、花野先生のご家族から吉野さんに連絡があったそうだ。

 仕事が早い。


 娘の日記が見つかって、そこに「ラストまでの構想を話してあるし、何かあったら末那識先生に続きを書いてもらう約束をした」と書いてある。

 ご家族は「これはどういう事か」と思ったそうだ。


「ちょっとした描写の話で、僕はどう書いてるのか聞かれただけなんですけど。意気投合したというか。僕ら不規則な生活してるし、冗談でお互いが作品を書いてる途中で斃れたら、後を引き継ごうって。冗談というか、軽いのりだったんですけど」


 人と話すのが苦手だけど、必要とあればこの位の嘘は吐ける。

 それでも事前に花野先生から話を聞いていて良かった。作り話に信ぴょう性を持たせる言葉をチョイス出来たから。


 後は僕の言葉を聞いて吉野さんがどう判断するかだけど、彼女は「なるほど」と呟いて黙る。

 ややあって、目を伏せつつ引き結んでいた唇を解いた。


「花野先生のご家族から『もしここに書かれているように、末那識先生が引き受けてくれるなら、娘の原稿をお渡ししたい』というお話がありまして」

「ご家族から……」

「はい。花野先生は常々『書き始めたら終わらせるのが作家だ』と仰ってらして、それをご両親も御存じだったからか『終わらせられないのは、娘も不本意で無念だろうから』と」


 吉野さんの言葉尻が涙に震える。

 そんな様子の背景に、花野先生がふよふよと浮かんで『パパ、ママ、ありがとう! ナイス、パス!』とか、ガッツポーズなのがシュール。


 ともあれ、花野先生とスミシー氏は僕の出した条件──自身が作家・花野蜜である証を立ててみせた訳だ。

 吉野さんが目元を拭う。


「末那識先生。弊社は花野先生の御遺志と、花野先生の御家族の意向を尊重したいです。どうか、お力を貸していただけませんか?」


 土下座せんばかりの勢いで、吉野さんの頭が下げられた。

 僕は天を仰ぐ。

 それをどう思ったのか、吉野さんが早口になる。


「勿論先生にも締め切りがあるのは重々承知しております。だからすぐに引きう」

「やります」

「へ?」


 吉野さんの言葉を途中で遮って返事すれば、彼女はぱちぱちと数度瞬く。

 まさに鳩が豆鉄砲を食ったようなっていうに相応しい表情に、僕は少しだけ苦笑いを浮かべた。


「ま、なしき、せんせい?」

「引き受けます。そういう約束だし、花野先生の無念は解るから」


 なによりその約束をした人の幽霊がふよふよと漂いつつ、貴方の後ろでこちらを「お願い」って拝んでるんだから。

 シュール。


 でもそれを口にするのは不謹慎だし、信じてもらえないだろう。

 緊張で乾いた口の中を潤すために、お茶を一口。

 吉野さんもコーヒーカップを持ち上げたけど、動揺が酷いのか指が震えていた。


「あの……本当に?」

「はい、約束ですし。ただちょっと時間はいつもよりかかるでしょうけど」

「文体などの問題もありますよね……。いえ、それより、お引き受けくださってありがとうございます!」

「いいえ、こちらこそ。花野先生の名を穢さないように微力を尽くします」

「本当にありがとうございます!」


 何度もお礼を言われるのもむず痒い。

 というか、僕がこれからやるのは口述筆記だから、花野先生の話したことを打つだけ。

 そんな大変な事でもない。


 そう言おうかと思った矢先、吉野さんが「実は」と切り出した。

 花野先生は吉野さんが初めて単独で担当した作家だったらしい。

 そして初めて10を超える巻数を出せたシリーズものでもあるとか。


「色々やり取りして、大事に育てたシリーズだったんです。吉野先生は『私の小説は、存在証明だから』ってずっと仰ってて……」

「存在証明……?」

「『私がいたという証明を遺して置きたくて』と。小説を書かない自分なんて自分じゃないって言う事なのかなって、私はずっと思ってたんです。でも読者さんは花野先生のお話は『ここにいて見守ってるよ』って言ってるような印象があると感じた方が多いみたいで……」

「そうなんですね」


 どうしても彼女の書きかけの話を完結させたかったのは、花野先生がいた証をこの世に残したいと、誰より吉野さんが思ったからだそうだ。

 たとえ、代筆だったにせよ。


 とは言え花野先生の遺稿を預かって、その遺作を出すにあたっては諸々手続きが必要。

 僕が引き受けなければ事は前に進まなかったけれど、引き受けたからってすぐに話は纏まったりしないんだ。


 これから吉野さんが出版社に帰って、僕が引き受けたことをご家族に伝えたり、遺稿をこちらに渡してもらうことや、報酬・契約の準備に法的なアレソレの確認があるとか。

 その辺りの事は解らないから、是非とも頑張ってほしい。


「さて、そういう事なんですが……」

『ありがとうございます! 報酬等は末那識先生の良い感じにしてもらえれば!』

「ああ、そこは、まあ、話し合いですね」


 この間は3分の1は自分って言ってた気がする。

 それを聞いてみれば、彼女はあっさりと「アランが要らないっていうから、じゃあ良いかなって」と告げた。


「いらないって……?」

『私、死んじゃったじゃないですか? だからこれからアランに血をくれる人を探さないといけないんですけど、その間お金があればツナギになるかと思って。でも今までに渡したお金で間に合ってるっていうから』

「今まで渡したお金って……?」


 それ、ヒモって言いません?

 うっかり言葉にしそうになった言葉を飲み込んでいると、花野先生が何か察したのか『やだー!』と笑う。


『情報提供料とボディーガード代ですよ』

「情報提供とボディーガード?」

『はい。小説書いたのは私ですけど、アランの経験や知識が下敷きになってるのはたしかですし。それに彼、毎月たった一滴の血で、命がけで何度も私のために戦ってくれたんです』


 花野先生も僕と同じで、視えるが故に悪いモノに追い掛け回される人生だったそうだ。

 お蔭で夏休みに友達に縁日に誘われたって行けやしない、昼間だって遊園地やショッピングモールなんて人が多い所には出向けない。


 だけど女の子ってのは、遊びに行く=買い物だったりする訳で。

 そういうトコに一緒に行けなければ、自然遊び仲間に入れてもらえなかったりで、花野先生は孤独だったそうな。


 でもスミシー氏と知り合ってからは、彼が遠巻きに守ってくれた。

 そのお蔭で彼女は行きたいところに行けたし、やりたいことも出来た。

 ただの血の一滴で、だ。


『恩義に報いるって難しいんだ。血の一滴で返せるわけないし、だから私がいなくなった後を考えて、お金とか遺しておこうって思ったんだけど。まさかこんな早く死ぬとか、計算外』

「それは……」


 何て言ってもおかしい気がして、僕は何も言えなくなる。

 そういう時の僕は、ついつい要らんことを言ってしまうんだ。


「で、その肝心のスミシー氏のご飯係は見つかりそうなんですか?」

『よくぞ聞いてくれました! まったく、進んでません! なので先生、ちょっとどうですか!? 同じアレなのに狙われ仲間として、アラン、頼りになりますよ!』

「んん?」


 ……この人、小説家じゃなく、押し売りの人だったんだろうか?

 ついつい白けた視線を花野先生に送ったけど、僕は絶対悪くない。

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