第15話 視える男、待つ

毎日朝8時に1話更新します。

*****


 夜にそびえるスクリーンの中。

 広大な砂漠、白いカンドゥーラを着てラクダに乗った男が、軍勢を率いて駆けていく。

 往年の歴史大作、上映時間207分。


 クラゲのシェリーは僕の腕に触手を絡みつかせて、眠っているのか空間をフヨフヨ浮いている。

 思慧はじっと画面を見つめていて、僕はその思慧の横顔を盗み見ていた。

 花野先生は今、地上に未練を残した幽霊として、スミシー氏にとり憑いている状態なんだそうな。


 代筆をするのはスミシー氏でも良さそうなもんだけど、残念なことにそれは無理だという。

 スミシー氏は人間を遠ざけて生きていたから、彼の存在を花野先生以外誰も知らない。

 知らない人間がいきなり「花野先生から託されました」と言って、誰が信じるのか。


 それなら僕だって同じだろうけど、彼女とやり取りした形跡は電子の海に残っている。

 そして何より小説家としての実績があるのだ。

 素人よりは、僕に遺稿が託される可能性は十分にある。


「……悩み事か?」

「え?」

「見たかった映画に集中出来ひんって、そういう事やろ」


 いつの間にか思慧がスクリーンじゃなく、僕を見ていた。

 画面に目をやってないだけで、そこまで気づかれるほど僕は解り易いんだろうか?

 少しショックを受けつつ、思慧から目を逸らした。


 スクリーンの白いカンドゥーラの男は実在の人物。

 自身とは生まれも育ちも価値観も、国すら違う人間達と共に戦った人で、現代社会では悲運の英雄とみなされている。

 勿論、毀誉褒貶はある。


「僕は、書き始めた物語を終わらせるのは作家の義務みたいなもんだと思ってる」

「おう」

「それを心ならずも全うできなかった作家さんの無念はいかばかりかと思うと、辛い」


 彼女はきちんと終わらせるために、その準備もちゃんとやってた。

 それなのに、他者に命を奪われる形で、無理に諦めさせられたのだ。

 その無念は、明日の僕が抱えることになるものかもしれない。


 僕だったら、どうするだろう?

 僕なら……周りに僕の無念を察して、残りを書いてくれるかも知れない人がいたら、土下座してでも書いてもらう。


 答えは、決まり切っていた。

 僕以外に誰も出来ないのであれば、それは僕の使命なんだろう。

 思慧がそっとため息を吐く。


「お前はそうやって、いつも一人で結論をだす」

「え……?」

「悩みがあるんやったら話してみたらいいやん? そやのに、俺の顔を見てるだけで、一人で解決しよる」

「それは……」

「怒っとるわけやない」


 ムスッとした顔で、怒ってないって言われても困る。

 もそもそと両手の指を擦って、僕は思慧の言葉に意味を考えた。

 スクリーンの中も、何やら男が悩んでいる。


 軍規を犯した兵士を処刑せねばならない。

 それは悩むことじゃないけれど、軍規を犯した兵士の顔を見れば、ソイツは過去主役が命がけで助けた男だった。


 これこそ人生のアイロニー。

 自身のしたことの意味の無さと虚しさが、主役の男の顔を曇らせる。

 でもこれが思慧だったなら「俺は間違うとらん」と、凛と前を向くんだろうな。


「……相談しないんじゃなくて。これくらい自分で決められなきゃ、僕はしぃちゃんの隣に立てない気がするから」

「は?」

「強くいたいんだ。せめて、自分の事くらい、自分で決められるくらいには」


 思慧が目を見開く。

 そして薄茶の髪の毛を両手で混ぜ返したと思うと、顔を手で覆った。

「ちくしょう、やられた……」と、呟く耳は真っ赤。


「どうした?」

「びっくりしたんやがな。お前、そんな風に思てたんかって!」


 一応映画を見ているのは忘れていなかったのか、思慧の声は小さい。

 けどもちょっと叫ぶような勢いがあったのだろう、後ろの席から咳払いが聞こえて、二人押し黙る。


 この話は映画が終わった後だ。

 二人で顔を見合わせて頷くと、僕は意識を映画に向ける。

 そこから映画が終わるまで、僕らは一切話をしなかった。


「……亡くなった先生の代筆、ねぇ」

「ああ。回って来ない可能性のが高いけど、それはちょっと解らない」

「でも、回って来たら引き受けるって?」

「うん」


 思慧に今日あった出来事を、葛城や鬼一の事を伏せて少しだけ話す。

 僕が害意は無いけども吸血鬼と遭遇したって事に、思慧は驚き、「危ないことすんなや」と怒った。

 けれど最後まで口を挟まず、静かに聞いてくれて。


「お前自身の仕事はどうすんねん?」

「それは、大丈夫。僕は元々筆が早いほうだから、1日20,000字くらいなら何とかなる」

「お前のそれは、寝食疎かにしての話やろが」


 たしかに僕はパソコンに向かっていると、食事は魚肉ソーセージで十分だし、睡眠時間も短くなる。

 でも、別にどうという事は無い……と思う。


 しかし、そう言えば思慧が怒るのは目に見えているし、彼はこんな僕の健康面のサポートをしてくれている。

 そんな人に「健康は犠牲にするものです」なんて言うのは無神経だ。思ってたとしても。


「俺はな、お前が自分を削るのが嫌なんや。お前自身じゃなく、他人のためにお前が削られるのは、もっと我慢ならん」

「それは……」


 真剣な顔の思慧に気圧される。

 でも、ここでもし花野先生の無念を無視してしまえば、それは僕の信念を自身で否定するような気がする。


 何とも言えない気持ちがそのまま顔に現れたのか、思慧が大きくため息を吐いた。

 浮き出た眉間のしわが凄い。

 それに手をやろうとすると、思慧が口を開いた。


「でも、その先生の願いを無視することも出来へんのやろ……。俺の知ってるお前はそういう奴や。好きにせぇ。お前の身体は俺が面倒見たる」

「うん。サポートお願いします」

「おう。その仕事が決まったら、俺に教えろ」

「解った」


 結局のところ、こうやって思慧は僕を理解して、その手助けをしてくれる。

 そのかわりと言っては安いだろうけれど、この話し合いをしたファミレスの代金は僕がコッソリ支払った。


 それから数日後、僕のスマホに吉野さんから連絡が入った。

 用件は、なんと「花野蜜先生の遺稿について」だという。

 僕は待ち合わせに指定された店──葛城のいるカフェへと赴いた。


 待ち合わせにはまだ時間があって、店の中に入れば葛城だけでなく、フードをすっぽり被ったスミシー氏と、フヨフヨ空中に浮かぶ花野先生がいる。

 僕の入店に気が付いた葛城に奥まった席に通されると、花野先生が近づいて来た。


『吉野さんから連絡あったみたいですね?』

「はい。というか、ご存じで?」

『吉野さんは私の担当さんでもあったので。私の日記にアランの手で、「末那識先生にホラー描写に関して相談する。ついでにラストまでの構想を聞いてもらった。なので何かあったら、末那識先生に続き書いてもらおうかな?って言ったら、『代りに僕に何かあった時はよろしくって言われた』」って書き加えてもらって、それを家族に見つけやすい場所に置いてもらったんです』

「え? 筆跡とか大丈夫なんです?」

『そこはほら、アランの妖力でなんとか』


 ぺろっと舌を出した花野先生に、僕は肩をすくめる。

 ともあれ、吉野さんから僕に連絡が来たって事は、その手が成功したって事だ。

 それなら約束通り、代筆をする。


 僕のその言葉に、花野先生の顔が輝く。

 そして握手でもしようとしたのか、僕の手に自身の手を重ねようとしてすり抜けた。

 その瞬間の顔が、何だかとても寂しそうでいたたまれなくなる。


『やだ。すり抜けちゃった』


 此方の困惑が解ったのだろう、花野先生がほろ苦く笑った。

 僕と花野先生の間に沈黙が降る。

 僕と花野先生がお互いに何を言って良いか解らなくなっている中、カフェの扉が開く気配が。


 朗らかに明るい吉野さんの声がした。

 葛城が「いらっしゃい」と返しているのが聞こえた少し後、軽やかな足音が近づく。

 ゆっくり顔をあげれば、やっぱり吉野さんがソファーに案内されてきた。


「こんにちは」


 告げる顔には、少しだけ緊張感が漂っていた。

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