第10話 視える男、首を捻る

毎日朝8時に1話更新します。

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 フワフワと視界の端に透明なのに、青みがかったり紫がかったりピンクだったりする何かが浮いている。

 丸い傘からがこれまた透明で長い足なのか手なのか、そのどれとも違う物か。兎も角そんなものが出てて、ゆらゆらと中空を漂う。


 時折プルンプルンと、器に乗せたプリンのように全身が揺れた。

 なんと言ったか、たしかジェリーフィッシュ。和名にすると海月(クラゲ)だ。

 どうしてそれが空に浮いてるかと言えば、思慧のお師匠さんの心遣いなのだけれど。


 


 思慧の誘いに乗った僕は、あの話から数日後の日曜日、隣町の神社にやって来ていた。

 そこは古くからある神社で、ご祭神は龍なのだとか。

 しかし何だか妙な感じがして、僕は落ち着かない。


 清浄な気配の溢れる神社だから、悪いモノの気配は当然ないんだけれど、そういうことでなくちょっとした既視感のようなものがあった。

 僕はこの神社の存在を、思慧に連れて来られる前まで知らなかったというのに。


 神社自体は僕が知らないだけで、結構な賑わいで。

 社務所にはお守りや開運グッズを買い求める人がちらほらしていた。

「賑わってる」と呟けば、思慧がにかっと笑う。


「ここ、パワースポットなんやて」

「……そう、なんだ」


 綺麗に掃除された境内、植えられた木々の青葉に白い玉砂利、聞こえる神楽の音。

 たしかにどこを取っても清い。


 思慧のキラキラが街中よりももっとキラキラなんだから、パワースポットというのも然もありなんだ。

 そんな賑わう神社の一番奥の社殿に向かって、思慧はドンドン進む。


「さっき手水舎(ちょうずしゃ)で手ぇも口も洗ったし、お賽銭準備してる?」

「え? お師匠さんの家に行くんじゃないの?」

「うん? いや、家に来るときは先にお参りしてから来い言われてんねん」

「ああ、なるほど……?」


 納得いくようないかないような言葉に、でも連れて行ってもらう側なので従う。

 一番奥の大きな社につけば、思慧が賽銭箱にお金を入れた。それに僕も倣うと、次は天井から下がってる綱を引いて鈴を鳴らす。


「神社やから二拝・二拍・一拝な」

「お作法が色々あるんだな」

「ああ。さっきの手水もそやで。だいたい右で柄杓(ひしゃく)もって左手に水かけて、次に左に持ち替えて右手あらって、また持ち替えて口を濯いで……みたいな?」

「はあ」


 いかなる宗教も祈りにも作法はある、そういう事なんだろう。

 思慧の教えてくれた方法で神社を詣でると、さっと風が吹き抜けた。

 穏やかな温かみのある、それでいて清涼感のある爽やかなそれは、心の澱を吹き飛ばしてくれる。


 幾分か普段より身体も軽いように感じて思慧の方を見れば、いつにもましてキラキラが酷い。

 強化されている感じがするけれど、それでも普段より彼の顔が見やすく感じる。

 それは僕自身が普段より心が凪いでいるからだろう。


「あっち」と思慧の指差す方を見れば、目立たない場所に時代劇の武家屋敷のような佇まいの家が見えた。

 あれが思慧の師匠の家らしい。

 しかし不思議な事に、神社を訪れる人は皆その建物をスルーしていた。

 

 何となくそれに違和感を抱きつつ、思慧の背を追う。

 そしてその建物に近づく度、違和感が大きくなっていった。

 まるで、その屋敷は神社とは薄皮一枚隔てた違う場所にいるような……。


「晴?」

「え?」

「いや、なんか一点凝視してるから、どうかしたんかと思て……」

「あ、いや、何でもない……」


 と、思う。

 そう言いかけた所で、思慧が呼び鈴を押す前に玄関が開いた。



「まぁ、きらきらしてると思ったら、思慧ちゃんだった」

「お師匠さん、こんにちは。行くいうて電話しましたやん」

「そうだったわねぇ」


 玄関の内側にいたのは小さなお婆さんだった。

 和服をきっちり綺麗に着こなして、背筋もしゃんと伸びていて、朗らかに笑っている。

 でもその背後には何やら異様な……怖いとか何とかいうよりも、逆らわない方が良いと感じるモノがあって。


 固まる僕にお婆さんが視線をやったのに気が付いて、思慧が「これが俺の幼馴染の晴やで」と紹介してくれた。

 だけど僕はお婆さんの背中に感じるナニカの圧のせいで、固まってしまって声が出せない。

 そんな僕の様子に思慧が慌てる。


「どないした、晴?」


 どうもなにも、声が出せない。圧力が喉を潰しに来る。

「かひゅっ」と口から変な息が漏れた時、お婆さんが僕の手を握った。


「ああ、貴方感じやすい子なのねぇ。ごめんなさいね」


 苦しさに目が潤んだけど、その言葉が耳に届いた瞬間、喉を潰していた圧力が消える。

 代りに、お婆さんの背中から金色のトカゲのような生き物が顔を覗かせた。

 お婆さんがもう一度「ごめんなさいねぇ」と、僕の手の甲を擦る。


「あ、い、いえ。あの。末那識 晴人です。初めまして、あの、これ、お菓子です。お近づきに」

「まあまあ、ご丁寧にありがとう。何もない所ですけど、どうぞおあがりになって?」

「はぁい。じゃあ、俺、お茶淹れるし。お師匠さんは晴みたって?」

「はいはい。お茶はいつもの所に紅茶がありますからね。それを使ってちょうだい」

「え? えぇ? ちょっと、しぃちゃん……?」


 思慧はなんとおばあちゃんの手からそっとお土産のお菓子を受け取ると、勝手知ったる何とかで家に上がり込むと奥に消えていく。

 お婆ちゃんはお婆ちゃんで「こちらにいらしてくださいな」とおっとりと僕を家の中へと促す。

 おろおろと思慧の靴も自分の靴と一緒に揃えると、お婆ちゃんの背中に付いて行く。


 家の中は板張りの廊下や土壁の純和風の造りだけれど、応接室は大正ロマンもかくやという感じ。

 広くて丸い猫脚のテーブルに、木目も美しいロッキングチェア、ゆったり座れるクッションの良い飴色の一人がけソファーに、天鵞絨のカウチソファー。

 どれ一つお安くない雰囲気に、僕はがちがちに固まってしまった。


「そう緊張しなくても大丈夫ですよ。私の背中にいるのは、貴方に何かしたりするようなモノとは違いますからね」

「は、はい。あの、えぇっと……」

「貴方が思慧ちゃんのいう『晴』くんね? 私は安心院(あじむ)艶子(つやこ)といいます。よろしくねぇ」

「はい、その……よろしくお願いします」


 ぺこっと頭を下げると、仄かに桃の香りが匂う。

 甘くて、柔らかいそれを胸一杯に吸い込むと、少しだけ落ち着いた。

 思慧が来ないと、僕は肝心の話も切り出せない。


 安心院さんに進められるままに天鵞絨のカウチソファーに座ると、腰がほんの少し違和感を訴える。

 痛くはないけれど、姿勢の悪さがそこにツケを回しているらしい。

 安心院さんが目を細める。


「あの子、腰は触らないの?」

「え? や、ちゃんと診てくれてますけど、それを無為にするぐらい姿勢が悪い上に座る時間が長くて」

「ああ、小説家さんですってねぇ?」

「はい。ホラーとかを普段は書いてるんですけど、その、今回はあやかしものを書かないといけなくなって、ですね」


 するっと言葉が出て来て少し驚く。

 僕は自分でもどうかと思うくらい人と話すのが苦手だ。コンビニの店員さんと「温めますか?」ってやり取りにすらしどろもどろになるんだから。

 それなのに、思慧の師匠と言うだけの安心院さんとは話せている。


 安心院さんはあの謎の圧さえなければ、凄く穏やかで安心できる雰囲気の人だからか。

 彼女の方も、仏像のような不思議な笑みを浮かべて「思慧ちゃんから聞いてますよ」と頷いてくれた。

 そしてこてんと首を傾げる。


「思慧ちゃんのお店に、今、そのお話の種になりそうな人たちが通っている筈なんだけれども……。ご紹介しましょうか?」


 そう言われて僕は思い出す。

 思慧はたしか鬼一を「師匠から紹介された」と言った。

 そしてそれは初対面の時の鬼一と葛城の態度まで、しっかり見事に思い出させてくれて。


「あの、それって?」

「そうねぇ。狐と天狗なんだけれど……」

「もう会いました」

「あら? あらあら?」


 僕の口調が少し尖ったのに、何かしら感じることがあったのか安心院さんが口を手で隠す。

 それから少し心配そうな顔をして「あの二人、生きてるのかしら?」と小さく呟いた。


「え?」

「あら、だって。思慧ちゃんの大事なお友達に正体がバレたら『殺されちゃうわよ』って忠告しておいたのに、あの二人に会っちゃったんでしょう?」

「ん? んん? どういうことです?」

「あら? どういうことかしら?」


 僕と安心院さんが同時に首を傾げたタイミングで、思慧がお茶とお菓子を運んできたのだった。

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