第7話 視える男、困惑する
毎日朝8時に1話更新します。
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狐と天狗と出会った日から三日後、僕は商店街にあるカフェの前に立っていた。
「うせやん……」
長くお世話になってる担当さんから連絡があって、それから待ち合わせ場所を決めた。
そこは思慧の治療院の近くで、最近できた話題のカフェだという。
バターチキンカレーが評判と聞いた辺りで、ちょっと嫌な予感はしてたんだ。
でも、解んないし。
そう思って指定された場所に来たわけだけど、どう見ても狐の、葛城の店だった。
帰りたい。 だってここ、妖怪の根城じゃないか。
こんなところに来て、わざわざ怖い思いをしてどうする。
「よし、帰ろう」
担当の吉野さんには申し訳ないけど、来る途中に体調が悪くなったと連絡を入れよう。
スマホを操作するついでに、ディスプレに映る時刻を見れば15分前だ。まだ吉野さんも来てないだろう。
画面をタップしていると、不意に「末那識先生!」と声がかかった。
万事休す。
こんな風に僕を呼ぶなんて、そんなにいやしない。
違っててくれと祈りながらスマホから顔を上げると、そこには満面の笑みで吉野さんが手を振っていた。
アウトー!
がくっと内心で肩を落とす僕に、その人はにこやかに近づいてくる。
ひらひらと桜色のスカートの裾と、焦げ茶のセミロングを翻して颯爽と。
「末那識先生、お久しぶりです。お元気でしたか?」
「ああ、はい……あの、お久しぶりです」
「このお店、最近出来たらしいですよ。初めて来ました!」
たどたどしく話す僕を気にした様子もなく、彼女は店の扉に手をかけた。
そして止める暇もなくずんずんと中に入ると「二人なんですけどー!」と、来店をアピールしてくれる。
彼女を一人にする訳にはいかない。何せここには九尾の狐がいるんだ。
追いかけて中に入ると、丁度接客に出て来た葛城と目が合う。
背筋がぞっとしたけれど、葛城も驚いたらしくきょとんとした顔をした。
「あらァ、お元気ィ?」
「……ああ。二人、だけど」
「はいはい、奥の席どうぞォ」
案内されて奥に移動すると、カウンターのスツールには天狗だと言った鬼一という男がコーヒーを飲んでいた。
やつも驚いているようで、こちらに視線を寄越すのを丸っと無視。
そう、無視だ。僕は仕事のためにここにいる。
「先生、ここ初めてじゃないんです?」
「前にちょっと……」
「バターチキンカレー食べてくれたわよねェ」
「……あれは、いけると思う」
席に座った吉野さんはさっきの会話に食いついて来た。
それを水とお手拭きを出した葛城が流す。
客と店主。ただそれだけの関係という事を印象付けると、吉野さんはそれで納得してくれたらしい。
「何にします? もうお昼食べちゃったから、私はケーキセットにしようかな?」
「僕はアイスのストレートティーで」
メニュー表を閉じた吉野さんが、しばらく僕の顔を見たかと思うと眉を寄せる。
何かあったっけ?
頭に疑問符を浮かべていると、吉野さんの眉が少し上がった。
「先生、ご飯食べてます? ちゃんと寝てます? 運動してます?」
「え? あ? えぇっと……」
寝たのは丑三つ時、起きたのは朝のニュースの占いが始まる頃。魚肉ソーセージを齧って今ここ、だ。勿論運動なんて、家からこのカフェまで歩いて来たくらい。
そっと目を逸らすと、吉野さんががっくり肩を落とした。
「先生。経費で落としますから、何か食べて下さい」
「や、あの、悪いですから……」
「悪いと思うなら余計食べて下さい。花野(はなの)蜜(みつ)先生のこと、覚えておられるでしょう?」
吉野さんの悲しそうな顔と、その口からでた名前に息を呑む。
「花野 蜜」先生とは、僕とデビューが同期のロマンス小説家だった。
友人と言えるほどの付き合いはないけど、SNSで何度か遣り取りをしたことがあって。
新進気鋭という呼び声に相応しく、かの先生の物語は緻密に設定され、生き生きしたキャラクターの描写が、読む人の気持ちをジェットコースター並みに揺さぶる。そういう文を書く人だった。
「若い人、でしたよね」
「はい。末那識先生と同じくらいでしたよ。それなのに……」
僕はその人の死因は解らないけど、突然の病というか発作みたいなものだと聞いたことはある。
なんでも昼夜逆転した生活の上に、食事もきちんと摂れない、運動もあまり……というような生活だったらしいけど……とも。
小説家の諸先輩方が「なんでこんな若い子が……」と嘆いていたのも、勿論覚えている。
「……末那識先生も筆は早い方だし、時々真夜中にSNSが更新されてたりするし……」
たしかに僕も不摂生な生活はしてるけども、思慧がいる。
彼が僕以上に気遣ってメンテナンスしてくれてるうちは、多分死なない。
けど、そういう問題じゃないんだろうな。
どんな顔を吉野さんに向ければ解らなくなっていると、彼女が手を上げた。
吉野さんの「注文いいですかー!?」というこえに、さっと葛城がやって来る。
「はい、ご注文は?」と、メモを持つ姿はたしかに様になっていた。
「えっと、ケーキセット一つ。カフェオレで。それから、アイスのストレートティーと……このお店で一番栄養ある物ってなんです?」
「そうねェ……日替わりセットは如何かしらァ?」
「日替わりですか? 今日ってなんです?」
「今日はおにぎりとお漬物と
「じゃあ、それを」
「紅茶はセットについて来るから、それにしておくわねェ」
「お願いしますね~」
「え!? ちょ!?」
はきはきした吉野さんに全て注文されてしまって。
葛城を止めようとして手を上げたけれども遅かったようで、するりと彼はカウンターに行ってしまった。
心配されてることは有難いし嬉しい。けどもなんだか申し訳なくもあって、僕はそっと彼女から視線を逸らす。
そんな僕に気付いたか気付かなかったか解らないけど、彼女は柔く唇を綻ばせた。
「先生はうちから文庫を出すんです。元気でいてもらわなきゃ」
「……そうですね。なるべく、健康を心がけます」
「是非!」
明るく言い切られて、思わず笑ってしまった。
そうだ、ここに呼ばれた理由は仕事のことだった。
たしか文庫と言うと、持ち歩きやすいサイズのあれか。
ジャンルはホラーだろうか?
尋ねると彼女はゆっくりと首を振った。
「たしかに先生と言えばホラーですけど、違う名義でラノベも書かれておられますよね」
「ええ、はい」
「今回はその方面、キャラ文芸的なものは如何かと」
「キャラ文芸?」
口に出して「はて?」となる。
そもそもキャラ文芸というジャンルが僕には解らない。
どういう感じの話がそれにあたるんだろうか?
疑問を口に出すと、吉野さんも「私もはっきりとこれって言えないんですけど」と言いつつ教えてくれた。
曰く、「キャラが立っている事」が大事で「ちょっと変わった場所」が舞台なんだとか。
「加えてSFですよ!」
「エス、エフ?」
そう言われて僕が思いついたのは、宇宙船の出てくるような映画なのに光の剣で斬り結ぶチャンバラ的な要素のあるヤツで。
あれはたしか宇宙空間で爆発音がするわけがないって指摘に、監督が「俺の宇宙じゃ音が鳴るんだ」って答えたんじゃなかったか?
でも吉野さんはその「SF」ではないとはっきりきっぱり言う。
「サイエンス・フィクションのSFじゃなく『少し不思議』のSFです」
「すこしふしぎ……」
「ヤだ、先生。お顔が宇宙猫みたいですよ」
「宇宙猫」
「宇宙猫」
きょとんとしてしまった顔が似ていたんだろう、ころころ吉野さんが笑う。
いや、宇宙猫でも犬でも良いんだけど、少し不思議ってなんだ?
いよいよ解らなくなって来たのを察したんだろう。
吉野さんが「先生の得意分野のちょっとした応用ですよ」なんて言う。
「応用?」
「はい。時代は今求めてるんです」
「何を、です?」
「ほっこり、まったり、日本古来の妖怪たちとのほのぼの生活を!」
うせやん……。
本日二度目の呟きは、情熱溢れる吉野さんの耳には届かなかったようだ。
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