第6話 視える男、駄弁(だべ)る

毎日朝8時に1話更新します。

*****


「だって器は器だものォ。大事に飾られるより、お茶のお供に使われる方がいいじゃない?」


 人間と妖怪は価値観が違うという事なのか、おっかなびっくり触っていると笑われた。

 カウンターのスツールに座った思慧が、ブルーオニオンのカップをしげしげとみる。


「いうか、そんなお高いモンや何て気ぃ付かへんかったわ」

「そ、そう……」


 物書きって言うのは世の中の人より雑学が溜まるんだ。

 僕はホラーが得意だと世間には思われているようだけど、デビュー作は日常系ミステリーだし、別名義でライトノベルだって書いている。

 デビュー作の日常系ミステリーで番町皿屋敷をオマージュしたエピソードを書くために、色々アンティークの器を調べたんだ。


 そこでブルーオニオンのカップも出て来たんだけど、巷では趣味人でもなければ、そういうモノに興味が薄いのかも。

 思慧は鎧とか刀とか、RPGに出て来そうな剣だのは少し興味があるらしいけど、それだけだった気がする。


「……ほな、バターチキンカレーでええな?」

「へ?」


 唐突に掛かった思慧の声に、びくっと身体が跳ねた。どうやらぼんやりしてたみたいだ。

 大袈裟な反応をした僕に、思慧が「だからオーダーはバターチキンカレーでええかって聞いとるんやけど?」と、不思議そうな顔をする。


「あ、うん……」

「倒れた後やし、やっぱり別のんにするか?」

「や、それは大丈夫……」

「ほうか? 無理したらあかんで?」

「うん。本当に大丈夫だから」


 ひらひらと手のひらを振って見せると、納得はしてないみたいだけどそれで思慧は納得してくれた。

 だって約束した以上、狐と天狗にビビッて気絶しましたとは言えない。

 僕の様子に何か感じるところがあったのか、狐が笑う。


「おツレちゃんたら健気なのよォ。先生が働いてるのに、自分だけご飯食べるわけにはいかないって。お友達想いなんだからァ。その紅茶はアタシの奢りね?」

「え? そうなん? 気にしやんでええのに」

「……一緒に食べる方が気兼ねしないし」


 ぶっきらぼうに返せば、思慧がつんつんと脇腹を突いて来る。その顔はなんか苦笑いというのかはにかむというのか、そんな顔。

「さよか」と呟いた思慧の前に、ことりと皿が置かれた。


「ん? 足が、丸一本?」

「そう。ここのバターチキンカレー、鶏の骨付きモモ一本丸々入ってんねん」

「そうよォ。その分少しお高めだけど、価値は何倍もあるわよォ」


 平たく大きな皿の上にはこんもりよそわれた白米。上にはちょっとパセリか何かがかかってる。

 赤みが濃いルーはとろりと粘度が高くて具がほとんど見えず、生クリームが渦巻き模様を描いていて。

 圧巻なのは鎮座したる骨付き鶏もも一本だ。


 食欲を刺激する良い匂いだったけど、どうやって食うんだこれ?

 戸惑っていると、思慧が僕の皿に乗った骨付き肉にスプーンを突き立てた。

 ほろっと肉が崩れる。


「あ、外れた」

「うん。この肉、むっちゃ柔(やら)かいねん。崩したるし、食べ?」

「ああ、うん、ありがとう」


 礼を言えば、思慧は「どういたしまして」と言いつつ肉を骨から器用に外す。

 僕はこういう、骨が付いた肉とかを食べるのが驚異的に下手だ。けど思慧は人体を扱う仕事だからか、結構そう言うのが得意だ。

「ここが大腿二頭筋だいたいにとうきん~。骨にそってスプーン入れたらイチコロや~」とか、歌うように解体していく。


「大腿二頭筋ってなんだっけ?」

「膝曲げる時に使う筋肉やで。これと半腱様筋(はんけんようきん)と半膜様筋(はんまくようきん)を併せてハムストリングスっていうねん」

「ああ、なんか、それは聞いたことある」


 聞いたことがあるだけで、明確には浮かんでこない。思慧の手が骨を綺麗に裸にしていくから、多分その辺なんだろうってことは解る。

 すっかり僕の分を綺麗に肉と骨に分離してしまうと、思慧の手は自身の肉に伸びた。


「仲良しねェ?」

「うん? 俺と晴人は幼稚園からの付き合いやから」

「そうなのォ? 随分と長く続いてるのねェ」

「まあ、それなりに」


 口にしてから、言わなきゃよかったかと思う。

 僕や思慧の個人情報からどんな繋がりを引っ張って来るか解らない相手だ。

 誓紙を入れていると言ったけど、その範囲がどこまでか解らない以上、余計ななれ合いをすべきじゃない。


「それなりにも何も、幼稚園から高校卒業まで一緒やし、それから後も一週間に一回は飯一緒に食うてるやん。それに名前もお揃いなんやし、もうこれは前世から繋がってるヤツやろ」

「!?」


 ケラケラと思慧が笑うのに、狐がそっと目を細めた。

 僕は反対に口を引き結んだけど、そんな事はお構いなしで上機嫌に思慧は続ける。


「俺の名前の『思慧』と、晴の苗字の『末那識』って、仏教用語なんやて」

「あらァ、そうなの?」

「そう。そんで『末那識』って言うんは簡単に言うたら煩悩を生み出す源泉で、『思慧』は思惟・観察することで得られる知恵の一種なんやて。両方とも思う・考えることから出てるもんやからお揃い」

「Cogito(コギト) Ergo(エルゴ) Sum(スム)だな。我思う故に我あり。考えるから煩悩が生まれもすれば、知恵が得られることもある」

「なるほど」


 興味を持ったのか、狐の目が光った気がする。

 僕としては名前なんか欠片も教えたくはなかったけど、言ってしまったものは仕方ない。

 余計な関りを持たなければ、こいつらも僕に関わることはないだろう。


 思慧の事は気にかかるけど、思慧はその気になればこんな怪異中の怪異だって散らせるはずだ。

 鍼灸というのは気の巡りをその指先や鍼先で整える。

 狂ってたモノを元に戻せるなら、逆もまた然り。


 僕は思慧が知らずに悪いモノに憑かれていた人を、針一つで解放してやる現場に何度も立ち会っている。

 そしてそれが判っているからこそ、彼らも治療の代わりに思慧に手出しをしない事を約束したはずだ。

 大きく息を吐くと、僕はスプーンでルーとご飯を一緒に掬う。


「うっま!」

「……ああ、たしかに。辛いけど甘くていいな」

「せやし、鶏肉もほろほろや」


 とろっとしたルーは辛さの中に、溶けだした野菜の甘みや生クリームのまろやかさがあって、喉越しも良い。

 鶏肉だってタンドリーチキンだったのか、スパイシーな香りを纏っていて、ほろほろと柔らかく口の中で解れる。


 なるほど、これを「食えない」と言われればいい気はしないだろう。

 だからって理不尽は許さないけどな。僕は解るだろうけどジメジメした根暗なタイプだし、執念深さもそれなりなので。


「いやぁ、旨いわ。最高!」

「あら、嬉しいわァ。おツレちゃんは?」

「……いける、と思う」

「晴の『いける』はめっちゃ旨いやもんな!」

「そうなの? お口にあって良かったわァ」


 葛城が嬉しそうに笑う。

 妖怪にだって喜怒哀楽はあるんだろうけど、僕にはそれだって怖いことだ。

 思慧がいるから辛うじて、何とかなってるってだけ。


 でもまあ、怖くなくなってくればそれなりに好奇心てのが湧いて来る。

 食事中に行儀が悪いかも知れないが、ぐるりと辺りを見回してみれば色々と目に入って来た。

 赤絵の大皿やら、青磁の花瓶、きのこのような形状だけどその傘の部分は鮮やかな色ガラスを配して花や草が描かれたランプ……。


 室内は皮張りの一人がけや複数人で使えるソファーが数個置かれ、それぞれに鏡のように美しく磨かれたテーブルが間にあった。

 これももしかしてお高いんだろうか?

 妖気とかそういうモノのせいじゃなく、背筋が寒い。


 内心で震える僕とは対照的に、思慧はもう食事を済ませたようで上機嫌で茶を啜る。

 そこに、スマホの呼び出し音がけたたましく響いた。

 僕のだ。

 思慧や葛城に断ってから出ると、馴染みの担当さんから。


「もしもし」

『末那識先生、お世話になっております』

「ああ、はい。こちらこそ」

『先生、突然で本当に申し訳ないんですが、近いうちにお時間いただけます?』

「え、ええ、はい。あの?」

『先生にうちから文庫を……という事で』

「あ、了解です」


 日程は出先だから後日って事で、電話を切る。

「お仕事か?」と思慧がニヤニヤするのに頷く。


「お前が大先生になったら専属契約結んでもらおかな?」

「今でも修羅場には頼りにしてるよ」

「往診、予定通りでかまへんか?」

「勿論」


 細やかなお祝いに、この日の払いは思慧が持ってくれた。

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