第5話 視える男、キレる
毎日朝8時に1話更新します。
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きつね色の目と髪の男が、にこにこと僕を見て笑っている。
やっぱり頭部に狐の耳が見えるし、背後にゆらゆらと九本の尻尾。
こいつら本当に何なんだろう。
さっきの思慧との会話からこっち、少しだけ恐怖は薄らいだけども、それはほんの少しでしかない。
ピカピカの鏡面仕様に磨かれたテーブルカウンターを挟んで、男が僕の前に湯呑を置いた。
半円の中にいくつもの半円が描かれてまるで波のように連なる青海波という模様の湯呑には、緑も鮮やかな緑茶が湯気を立てている。
「本当に誓って取って食いやしないから。ちょっとお話を聞いてちょうだいな」
「…………」
僕としては応じる義理なんてないんだ。
無理やりここに連れて来られた挙句に脅されたんだから。
それでも即断らなかったのは思慧の存在があるからに他ならない。
こいつらが何の目的で思慧に近づいたのかを知りたい。
でないと警告も出せない。
もっともこいつら、僕に妙な術を掛けたみたいだけど。
だから「妙な術を解いてからだ」と睨みつけると、男は肩をすくめた。
「解ったわよォ」と男が手をひらりと振る。
「アタシはこの裏の神社を棲み処にする狐の葛城。さっきはアタシの仲間が悪かったわね」
言葉じゃ何とでも言える。
僕は葛城の言葉を流すと、じっと彼を見る。
そんな僕の様子に、男は「アイツ、後で本当に殴ってやるんだから」と零した。
「さっき、鬼一が言ったようにアタシ達は質の良くないのとやり合っちゃってね。アタシは打ち身程度で済んだけど、鬼一は気脈が狂って酷かったのよォ」
葛城は語る。
そもそも葛城と鬼一は、この辺りの神社で育った烏と狐だったそうだ。
それが村、或いは街の人間達に神使扱いされているうちに年経て今の妖怪、或いは怪異と言われる存在になった。
そんな訳だから別に人間を好きでもなければ嫌いでもない。適当に精気を貰って、化かして何かしらいい目を見させるそういう持ちつ持たれつ、付かず離れずの関係で来たそうだ。
けれど今日(こんにち)人間の信仰心や自然に対する畏怖は薄れ、怪異・妖怪を幻想と捉え、無いものとして扱おうとする。
昨今は清浄な精気を持った人間は減り、淀みを抱えたものが増え、その淀んだ精気を食らった妖怪が凶暴化するようになったとか。
そして彼と鬼一という天狗がやり合ったのも、そんな凶暴になった同族で。
「要するに縄張り争いよ。アタシや鬼一は人間から精気を奪うにしたって死ぬまではやらないわァ。仁義ってものがあんのよ。人間だって言うでしょォ? 持続可能な……なんとかって」
「SDGs?」
「それそれ。アタシ達は少しづつ色んな人間から精気を貰って、人間はアタシ達の術で一夜の夢を見る。それで良いじゃないの」
「良いか悪いかなんか解らない。僕は何もしてないのにいつも追いかけられてるんだから。オマケに怪異が見えない輩からは狂人扱いだ。正直どっちも滅べと思う」
「……それに関してはアタシはどうも言えないわァ。昔はこの街も強い守りがあって、おツレちゃんみたいに視える子でも守られてたんだけどねェ。それだって人間がやれ開発だのなんだのって、神域って言われるような場所まで壊すからなんだけど」
葛城の赤い唇が皮肉気に歪む。
それに対して僕は何も言わない。
誰かの棲み処を奪ったものは、誰かに脅かされるのが因果というモノだ。ただしなんだって僕にしわ寄せが来ているかは知らないけど。
青海波の湯呑に口を付ける。苦みの後に僅かな甘みがあって、すっきりとした飲み口だ。
「……ところで、バターチキンカレー食べるゥ?」
「は?」
「だって先生、お腹空いたらなんか食べて待っててって言ったじゃないのォ」
「いや……いい」
話の途中だし、さっきの今で天敵と一緒にいて食事ができるほど、僕は神経太くない。
そういう意味で拒否したが、どう葛城の眉が跳ね上がった。
「なァに? アタシのバターチキンカレーが食えないってェ?」
ずももと男の後ろに暗雲が立ち込める。
ピリッと背中に電流が流れたかと思うと、一瞬で全身が凍り付きそうなほど冷たくなった。
「アタシ、料理にはちょっとこだわりがあんのよォ? それを食べないってェ?」
「……って、しぃちゃん仕事してるし! そんなんで一人だけ飯食って寛いでられるか!」
寒さに堪りかねて叫べば、瞬時に冷気が消える。
こいつら、本当に何なんだ。今度は反対に僕が叫んだ。
「いい加減にしろよ!? 僕はお前らになんかしたか!? してないよな!? さっき会ったばっかだし、強引に連れ込まれて僕に関係ない事を聞かされて、挙句に脅されて気絶して! それで飯食え!? 頭おかしいのか!? 僕に用事があって、何かしら頼みたいことがあるなら、理性的かつ物柔らかに僕を扱えよ!? それともお前らの交渉ってのは脅すことか!? あ!? 獣から進化しても獣だってんなら、人間と交渉しようとか思うな、クソが!? 」
ダンっと勢いつけてカウンターの木目を拳で殴りつける。めっちゃ痛い。
僕の剣幕に驚いたのか、葛城の尻尾がたわしのように膨らんで、そしてしぼむ。
でも可愛いとか一切思わない。
がんっともう一度、拳でテーブルを殴りつけた。
それだけじゃなく、カウンターから身を乗り出して来た葛城の襟首を掴んで引き寄せる。
「だいたいお前ら理不尽なんだよ! 視えるだけで僕はお前らに危害を加えたか!? なにもしてない僕にいつも襲い掛かって来るのはお前らじゃないか! 今だって、脅したり透かしたり! ふざけんな! 本当にふざけんな! 俺がお前らの何を脅かしたって言うんだ!? 言ってみろ!?」
「え? あ、なんか、ごめんネ? 本当にごめんなさい。今のはアタシが悪かった! 悪かったから、落ち着いて? ネ?」
両手で僕を制止しようとする葛城は、でも押し返したりはしなかった。
ぜぇぜぇと喉が鳴るほど声を荒らげた僕に驚いたようで、その顔は驚愕が浮かんでる。
彼の目に映る僕は、今にも彼を殺しそうな目をしていた。
ちくしょう、なんでこんなにみっともないんだ僕は……。
葛城の襟首を掴んでいた手を離すと、スツールに座り直して「悪かった」と彼に詫びた。
「うぅん、いいの。こっちが悪かったのよォ。お話したいって言っといて、脅したり怯えさせたのはこっちだもの。おツレちゃんの言う通りよ。交渉って言ったくせに、アタシ達は力づくで貴方に迫った。まさしく獣だったわァ」
顔を見られないように両手で覆う。
嫌悪感が酷い。怒鳴った時点で、それはもう大人としてどうなんだって話だ。
昂った気を落ち着かせるために、お茶を一口含む。冷めてしまっても風味が良くて、凄くほっとする。
「それで」と僕は腹の底から声を絞り出した。
「それで、本題は……?」
「あ、ああ、そう。そうなのよ、それでね。アタシ達この街に住んでる腕のいい本物の拝み屋とちょっとつながりがあって、腕のいいあの先生を紹介してもらったよのォ」
「それはさっき聞いた」
「その紹介してくれた拝み屋との約束で、先生には絶対に手出ししないし、人間に悪さもしないって誓紙を入れて。あともう一つ絶対に身バレするなとも言われててェ」
「身バレ……」
「それで拝み屋からも、先生の友達がどうも視える人っぽいって聞いてて。先回りして口封じしなきゃって思ってたら、鬼一がさっき貴方と出会ったもんだからァ……」
つまり、僕に余計な事を思慧に話すなと言いたかったらしい。
合点が行った。
カウンターから目を外して改めて葛城を見れば、所在なさそうに縮こまっている。
そう言えばこの男は、僕と思慧の中間位の背の高さのようだ。
ぼりぼりと頭を掻く。
「絶対に街の人間に悪さはしないんだな?」
「ええ、誓って」
「ならしぃちゃんには何も言わない」
「!?」
困ってる相手の足元を見るのは気分が良くない。ただそれだけだ。
ちゃんと料金を払ってるんなら、わざわざ彼らの正体を告げて、思慧の仕事を減らすこともないだろう。
眉間を揉むと、温くなったお茶を今度は飲み干す。
するとすかさず、今度は温かい紅茶が白磁に青い染付のカップ&ソーサ―で出て来た。
「綺麗だな」
「ブルーオニオンなのよォ」
「は!?」
滅茶苦茶お高いやつだろ、それは。
ぐふっとむせた所に「まいど!」と能天気なほど明るい思慧の声が響いた。
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