第4話 視える男、涙目になる
毎日朝8時に1話更新します。
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暗闇は僕に恐怖と、それと反する安心を齎す。
そこに潜む恐ろしいものに追い回される恐怖。そこから逃れ、何物にも脅かされない眠りの世界に身を委ねられる安心と。
起きればまた怖いものに追い掛け回される日常に戻らないといけない。だからこのまま目が覚めなければいいのにとすら思うこともあった。
常人に視えないものが視えたり、その声が聞こえたり。
ただ生まれつきそうなだけなのに、奴らは何故か僕を目の敵にして追い回す。
そんな視えないモノに怯える僕を、人はまるで狂人か何かを見るように嗤って爪弾きにするんだ。或いはいない者のように扱う。それだって立派な攻撃だというのに。
ここまでされれば如何な愚者でも解る。
僕は「世界」に嫌われているんだって。
それならサクッと殺せばいいのに「世界」って奴は、そうしない。僕だってさっさとこんなクソみたいな世界とはおさらばしたいのに。
でも自死はしない。だって親が泣く。
僕の幸運は所謂親ガチャと友ガチャって奴でSSRを引いちゃったことだ。でも不運でもあるな。
だって両親はこんな僕に愛想も尽かさず見守ってくれてる。
思慧だってそうだ。
助けられる度に「思慧のような人間だったら、どんなに世界は素晴らしかったろう」なんて、夢見がちで筋違いな羨みを抱くようなクソな僕なのに。
嗚呼、消えたい。
暗闇の中僕は無駄に長い手足を折りたたんで蹲る。
胎児のように膝を抱えて丸くなっていると、いつも思慧が迎えに来てくれた。
──────……る!
────は……!
──はる!
「!?」
聞き覚えのある声にハッとすれば、微妙に眩しく見覚えのない天井が視界に広がった。
豪奢なシャンデリア、天井の壁紙は何処かの神社で見たような格子状の枠に一つ一つ別の草花が描かれ玄妙。
何でだ?
眩しさに目を手で覆うと、呼吸がやけに詰まってる気がして、それを緩めるために大きく息を吐く。
「……
長安にいる一人のとある男、その心は二十歳にしてもう朽ちてしまっていた。
目覚めに思い浮かべるには景気の悪い詩だと思う。
目を覆った手を眉間にやる。
そこを揉むと多少目がすっきりするだろうから。
けれど伸ばした手は温かい手に阻まれて、代りに僕じゃない手が僕の眉間を撫でさする。
「……晴、大丈夫か?」
「しぃ、ちゃん?」
名を呼べば、ひょこッと頭上に逆さまの思慧の顔。
驚いて起き上がろうとしたけれど、眉間を押さえられていると何もできない。
大人しくされるがままになっていると、思慧が「びっくりしたで?」とほろ苦く笑った。
「喫茶店のマスターが血相変えて店に来た思たら、『おツレちゃんが倒れたのよォ』言うから。訳解らんけど来たら晴が倒れとるやん?」
「……ぁ、え……?」
「さっきまで鬼一さんがおったんやけどな。店の前で貧血起こしとったお前を運んでくれたんやて。マスターにお前が俺のツレ言うたんも鬼一さんやて」
思慧の言葉に、起き抜けで回らない思考の回転数が一気に上がる。
そう言えば、あの鬼一という男が天狗で、葛城とかいうウエイターが九尾の狐で……!
DVDを倍速で巻き戻すように、暗闇に沈む前の事を思い出すと、どっと冷や汗が湧く。さっと血の気が引いたのを、僕より先に思慧が気付いて。
「なんかおったんか!?」
いたも何も、大物が。
言いかけて、思慧の背後からこちらを覗く気配に僕は言葉を飲み込んだ。
ぐっと詰まる喉。
僕の視線の行先が自身の背後にあることに気が付いた思慧が、後ろを振り返る。
そこには自分自身を九尾の狐と宣った葛城が立っていた。
「おツレちゃん、気が付いたかしらァ? お水飲むゥ?」
「ああ、マスター。おおきに。お願いします」
「はァい、ちょっと待っててねェ?」
今時アイドルでもやらないようなウインクを飛ばして、葛城という男はパタパタと店の奥に消えていく。
倒れる前の事を話そうとして、身体が震えていないことに気付いた。
現金なものだ。思慧がいると、僕は怖さをあまり感じなくなる。それを依存というんだ。恥ずかしいヤツ。
いや、そうやって自虐祭りしてる場合じゃない。
此処は鬼と狐の巣窟で、思慧の店に通っている鬼一という老人は怪異中の大怪異なんだ。
それを話そうと口を開くと、でも喉がひりついて言葉が出ない。
身体の異変に気付いて思慧に訴えようとすると、再びパタパタと軽妙な足音で葛城がやって来た。
「はァい、お水~」
「おおきに。晴、お水飲めるか?」
問いかける言葉に頷くと、思慧があからさまにほっとした。ゆっくりと背中を支えて、皮張りのソファーから僕を起き上がらせてくれる。
渡された青い切子ガラスに注がれた水からは清浄な気配がして、それを一口飲めばすっと喉から全身に爽やかな息吹が染入る。
浄められた。
そんな気がして葛城をみれば、「あら、解るゥ?」と何故か嬉しそうだ。
「ここのお水、どっかの神社のありがたいお水なんやて」
「そ、そう……なんだ?」
「ええ、毎日早起きして汲みに行ってるのよォ」
狐が神社。いや、狐は神使として祀られることもあるからおかしくはないだろう。
混乱してる。頭が重い。
訳の解らない状況に自然押し黙ると、目線もドンドン下がる。
そう言えば道で僕が倒れたと、ここのマスターが思慧を呼んだと言っていた。
思慧は葛城をマスターと呼んでいるから、葛城が思慧を呼んだという事だろう。
何と無しに腕を見れば、手首に巻いた細い時計が17時30分を指していた。
「しぃちゃん、お店は!?」
「あ? 今日は予約がなかったさかい、休業や」
「ぁ……僕のせいで……」
「違う。そもそも今日は暇な日やったんや」
にかっと笑う思慧が眩しくて、僕は目を逸らした。
本心から良い奴だと思うのに、だからこそ迷惑をかける自分が情けない。
僕のそんな内面の鬱々を知らないだろう思慧が、さっと立ち上がって「ほな帰ろか?」という。
けれど僕は首を横に振った。
「しぃちゃんはまだ仕事の時間だろ? 僕一人で大丈夫だから」
「そやけど、お前倒れたやん。ちゃんとその具合も見た方がええと思うし」
「悪いよ。これ以上迷惑「迷惑なんか掛けられてへん」」
被せるように思慧が言う。その端正な顔は、不機嫌さが滲んでもなお甘い。
明るく快活で頼りになって、日向を胸を張って歩くことの出来る優しい男だ。
羨ましい。
僕は思慧にはなれない。
それでも彼のような男ならと、何度も思う。
彼の有名なオペラ座の怪人(ファントム)は言った。
「この醜い怪物は、地獄の業火に焼かれながらも天国に憧れる」と。
「あらあらァ、じゃあ、お二人さん、こうしましょうよォ」
暢気な声が、僅かに緊張感を漂わせた僕と思慧の間に割って入る。
思慧が、葛城に視線を向けると、彼はくふりと赤い唇を三日月の形に歪めた。
「先生のおツレちゃんは、先生のお仕事が終わるまでアタシがこのお店で見てるから、先生は時間まで働く。おツレちゃんは先生をここでご飯食べながらイイ子にして待ってる。アタシは何か注文してくれたら儲かる。八方丸く収まるでしょォ?」
「ああ、それなら!」
「え!?」
嫌に決まってんだろ!?
何が悲しくて天敵みたいな大妖怪がいる場所に放置されなきゃなんないんだ!
叫ぼうとした喉は、しかしちっとも動いてくれない。
そんな僕に葛城が怪しく視線を送って来るのだから、この状況が誰のせいなのかは推して知るべし。
「ほな、マスターよろしゅう! 晴はしんどなったら遠慮なく俺を呼ぶんやで?」
「ええ、任せてちょうだい」
「え、あ、あぁ、うん」
「それとな、このお店はバターチキンカレーが絶品やし、それ食べれそうなら食べり?」
「お、あ、はい」
「じゃあ、また!」
明るい笑顔を振りまいて、親友が去って行った。
「さァて、おツレちゃんはアタシとちょっとお喋りしましょうねェ?」
僕と天敵の大妖怪を残して。
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