第3話 視える男、連れ込まれる
毎日朝8時に1話更新します。
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「はー、旨かった! ごちそうさまでした!」
「なら、良かった」
おやつであっても、思慧は手を合わせて「ごちそうさま」をしっかりと言う。そう言えば「いただきます」も言うんだ。育ちが良い。
育ちだけじゃない、顔だっていい。
薄茶の髪を今流行りのマッシュとやらにして、穏やかに微笑む姿はさわやか好青年って感じで、ご近所のおばさん・おばあちゃんに大人気だとか。
でも本人的には身長が足りないから、僕に寄越せと言う。
僕だってやれるものなら、10㎝くらい譲りたい。
だって思慧には世話になってる。
10㎝譲った所で僕は180㎝手前だし、思慧と同じ目線になるのだから。
完全に同じものを見る事は出来ないだろうけど、思慧と視線が同じ高さになれば僕だって多少マシな人間になれるかもしれないし。
そこまで考えて、無理だなって思い直す。
この僕の根腐れを起こしてきのこが生えても驚かない程の根暗さは、思慧と目線の高さが同じになったって治ったりしないんだ。
僕は恥かしさに視線をテーブルの上の、空になったケーキの箱に視線を落とす。
10個ほど買ったケーキは全て思慧の腹に入った。
思慧の体型はどちらかと言えば細身に見える。しかし、その見かけ通りの弱さはてんでなくて、僕よりも体幹がしっかりしていて。
ぶつかられても転ぶのはいつも僕で、思慧はそんな僕に「悪い!」と謝りながら手を差し伸べてくれた。
そういうところに僕は何だかんだ救われるのに、同時に羨んでいる。
いや、いいんだ、そういうウザいのは。
淹れてもらった紅茶も、爽やかな飲み口で旨かったが、それも飲み干して空。
時刻はもう16時45分だ。あと15分で夕方の診療が始まる。
僕は急いでケーキの箱を片すと、紅茶を勝手知ったる何とかで診療室の裏手のキッチンにもっていった。自分の使ったものは片付ける。基本だ。
「気ぃ付けて帰れよ? いや、送ってこか?」
「いいよ。仕事あるだろ、しぃちゃん。それに置き針あるから、寄ってこない」
「ほなええけど……。ほんまに気ぃつけろよ?」
「うん。ありがと。じゃあ」
心配そうな思慧に後ろ手に手を振って、思慧の城から僕は踏み出す。
思慧が若干世話焼きを発動させてるのは、時間が時間だからだろう。
夕暮れ時は逢魔が時。
逢魔が時は怪異だの良くないモノが湧いてくる時間帯だ。僕があまり出歩きたくない時間帯でもある。
でも思慧が置き針を僕の身体に施してる時は、良くない物は不思議と寄ってこない。
この調子なら、夕方でも外に出ていられる。久しぶりだから買い物でもして帰ろうか?
珍しく上を向いた気分のまま、スーパーのある方向に歩き出す。
思慧の店のある辺りは小さな小売店舗が集まって、ちょっとした商店街風になっていてアーケードまであるのだ。
明るく賑やかな雰囲気は嫌いじゃない。
その雰囲気に流されてフヨフヨとクラゲのように漂っていると、不意に周りから音が消えた。
ぞくり。
首筋にチリチリとした小さな痛み。それを始まりとして、一気に全身に鳥肌が立った。
なんだと思う間もなく、背中に重いものが伸し掛かり、肺が潰れたように息ができなくなる。
「ひ…ぅ…っ!?」
喉を掻きむしるために手をそこに伸ばすと、目の前に影が差した。
羽織、着流し、山高帽子に雪駄。
人の皮の下に、赤ら顔の長い鼻が見え隠れする。
「よぅ、兄(あん)ちゃん」
「……あ、ぁ……」
それは思慧の店で見た異形、それそのもの。
男から感じる刺すような気配に気圧されて声も出せない僕に、そいつはゆるゆると寄って来た。
そして僕と親し気に肩を組むと、「お」と呟いて口の端をニヒルに上げる。そうすると、少しばかり呼吸が楽になった。
「悪ぃな兄ちゃん。お前ぇさん、今時珍しいくらいこっち側に近ぇんだな?」
「ひぃっ!?」
「取って食う訳じゃねぇから、そんなに怖がンなよ? な?」
そんなの嘘だ。
そう言いたいのに喉がひりついて言葉が出ない。
そんな僕の様子に、男は苦笑を浮かべる。そして僕の肩を抱いたまま、近くにあった喫茶店へと引きずって行くではないか。
抵抗しようにも、老人の姿であっても男の方が僕よりも力が強い。
あれよあれよという間に、さっさと喫茶店に入られた挙句、向かい合うように座らせられてしまった。
「兄ちゃん、アイスコーヒーでいいかい?」
「いや、あの、僕、コーヒーは駄目なんで」
「あん? じゃあ、好きの物頼みな」
「は、あ、え、っと、じゃあ、アイスレモンティーで……」
ゾクゾクと背筋を這いずる悪寒はそのままに、怯えつつ注文すれば、やって来た店員に男がそれ通りにオーダーを告げる。
怖い。ただひたすら怖い。
目の前にいる男から発せられる気配が怖くてたまらないのだ。ガクガクと震える身体を縮ませていると、男がひらひらと手を振った。
「兄ちゃん、あんまし怯えねぇでくんな。堅気の人間とはやり合わねぇし、悪さはしねぇって誓紙を入れてあっからよ」
「せい、し?」
動きの悪い喉を動かして、小さく言葉を紡げば、男はゆったりと頷く。
男は自らを「鬼一」と名乗った。この辺りを縄張りにしている天狗だ、とも。
「そ、それが、な、なん、なんで……っ」
「ちぃとばっかり厄介な御同輩といきあってな。ドンパチして身体を傷めたのさ。んでよ、知り合いの拝み屋に相談したら『人間に悪さはしない』って誓紙を入れる代わりに、さっきの鍼灸のセンセを紹介してもらったんだよ」
「は、はぁ……えぇっと?」
「あのセンセは若ぇが大ぇした腕前だ。狂ってた妖気の流れをほとんど元に戻しちまいやがった。治るに任せりゃ百年ほどかかったろうが、もうあと一、二回ほど鍼を打ってもらったら完治ってとこでよ」
「そ、そりゃ、しぃちゃんだからな。うん」
そうだ。思慧は世界一だ。
人間だろうが何だろうが、思慧なら治せる。
誇らしく思って頷くと、鬼一と名乗った男が驚いた顔をした。
男の姿は僕には人の皮を被ったように見えていたが、そのマスクがするりと解ける。
あっさりと赤ら顔に長い鼻、修験者姿になった男に、僕は出かけた悲鳴を飲み込んだ。
「ふん、やっぱ視えてんだなぁ」
「……っ……」
「いや、うん。どうも視える奴が傍にいるらしいとは言われていたが、視えるじゃなく視え過ぎるってやつだな」
くっと天狗は口の端をもう一度歪めると、行儀悪くテーブルに肘を突いた。
「俺ぁ、こう見えても齢(よわい)千は超える大天狗よ。人前に出るときゃ人間に見えるように術を使ってる。高僧でもなければその術は見破れまいよ。それを、お前ぇさんはあっさりと見破った。ただ視えるだけじゃねぇな」
「そ、そん、そんなこと、い、いわ、いわれ……っ……し、しらなっ!」」
「ふぅん? まあ、いいさ。俺ぁお前ぇさんに用はねぇからな」
それなら何で、こんなとこに連れ込んだ?
叫びかけて、喉がまたひりつく。
じっと鬼一が僕の方を見ているのに気が付いたからだ。
迂闊な事を言えば、殺される。これは予感でも予想でもなんでもなく、まぎれもない真実だ。
それが判る程に男の目には温度がない。
びりびりと緊張が肌を刺す。
怖い。
もう嫌だ。
なんでただ生きてるだけで、こんな怖い目に遭わないといけないんだろう。
これだからこの世は嫌いだ。
ただ視えるとういだけのことなのに、どうしてこうも生き辛いんだ。
ジワリと、前髪が掛かる視界が水の幕を張る。
それが目から溢れる寸前、ぱしんっと軽い音がして、そのすぐ後に「痛ぇっ!?」と鬼一に悲鳴が聞こえた。
鬼一の圧に負けて床を見ていた目を上げれば、ウエイターがアイスコーヒーとアイスティーを乗せたお盆を右手に立っていた。
しかしその左手は、やたら重厚な造りのメニュー表で鬼一の頭を叩き伏せている。
「あー、ごめんなさいねェ? 怖がらせるつもりはなかったのよォ?」
「へ?」
「この天狗にもよォく言って聞かせるから、そんなに怯えないでちょうだいな」
「あ、あれ?」
何が起こったか知らないけど、息苦しさや圧力は消えて僕は首を僅かに捻る。するとウエイターが鬼一をお尻で押しのけて、僕の前へと座った。
その頭にはうっすらと狐の耳が透けて見える。
こいつもか!?
びくっとした僕が何を見たか、視線の角度で解ったんだろう。
ウエイターがにこっとその白皙の美貌に相応しい、艶やかな唇を吊り上げた
「あ、アタシ、葛城(かつらぎ)っていうのォ。よろしくねェ?」
「は、はあ、あの……」
「種族は狐の物の怪で一番有名どころのア・レ」
ふさっとしたモフモフの尾っぽが九本。
ふつっと僕の中の何かが切れた。
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