第2話 視える男、出かける
毎日朝8時に1話更新します。
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作家には手書き派と、打ち込み派がある。
何がって原稿の書き方。
僕は断然打ち込み派で、ノートパソコンが僕のペンと原稿用紙。
だってパソコンだとデータをメールしたら入稿迄完璧に出来てしまうし、出かける必要が一切ない。
僕の出不精は加速して、最近じゃ買い物すら行きたくなくって、ネットスーパーやらを利用してるくらいだ。引き籠りに優しい世界になったと思う。
でも人体ってものは不便だ。陽光に当たらないとあちこちに不調をきたす。
それに背中を丸めながら執筆してるものだから、無駄に長い首や背骨や腕が痛むんだ。
「一日一回は外に出ろ、太陽に当たれ、ストレッチしろ」って、耳にタコができるくらい思慧から言われてる。
死にたい訳じゃない。でも長生きしたい訳でもないんだ、僕は。
人に見えないモノが視えて、さりとてその誘いを払い除けるほどの力はない。中途半端な僕は、ついぞ世の中に馴染めないでいる。
僕の片手にはゲラと財布とノートパソコンの入ったトート。
出版社が出力して送ってきたそれに、僕が手書きで足りない文章や訂正された誤字脱字のチェックを入れたものだ。
これを出版社に送り返すために、宅配サービスの受付代行をしているコンビニに行く。その道すがら。
この時ばかりは物臭の僕も外に出ざるを得ない。
取りに来てもらえばいいと思わないでもないけど、これくらいの事が無いと僕はきっと外に出ないから。
流石にサイン本の返送は業者に取りに来てもらうけど。
燦燦と太陽の光が陰気な僕の上に降り注ぐ。
たしかもう半年ほど髪を切りに行っていない。
僕や思慧の住む街は、田舎と都会がまじりあった不思議な雰囲気の街だ。長屋と言っていいような古い家やアパートが今もあるし、かと思えば高層マンションもある。
スナックや飲み屋のような場所があるかと思えば、ファミレスやお洒落なカフェも同居して賑やかしい。
そういえば思慧の治療院の三軒隣にケーキ屋が出来たと聞いたのは、いつの話だったろう?
僕は思い立って思慧の治療院に足を延ばす。
若くして一国一城の主になった思慧は、けれどその苦労を僕に嘆くことはない。どっちか言うと僕のがグチグチとウザい事を口にしている。
強いのだ、思慧は。
知らずため息を吐く。
思慧は強い男で、幼稚園の時からずっと年上だろうがなんだろうが、理不尽には抗ってきたし、言いたいことははっきりと口にしていた。
その間中、あいつは僕の視界でキラキラと星のように輝いていて。
仮令(たとえ)朝日だろうと真夏の真昼の太陽だろうとも、思慧より眩しく煌めくものはなにもない。
それに引き換え、僕はと言えば陰気が人間の形を取ればこうなるっていい見本だ。
もさっとした前髪で目は隠され、無駄に伸びた身長を嫌って曲げるから猫背だし、雰囲気と言えば身体からきのこでも生えそうなほどジメジメしてるし、中身はそれに輪をかけて人が嫌いで社会に馴染めない。おまけに人見知りが激しく、口を開けば鬱々とした皮肉か愚痴ばかりだ。
仮に思慧のような人間ならば人生楽しいだろうな、なんて。
助けてくれる幼馴染の事も妬(ねた)む、どうしようもないクソ野郎だ。
人通りの激しい駅前大通りの角を曲がれば、思慧の店に続く路地に入る。
その角のビルの窓に、僕の顔が映り込む。
陰気で、ダサくて、モサい。
本当になんで生きてるんだろう?
あの日僕に憑いた怨霊は、実に図星を突いてくれた。
死んだからって惜しまれるほどの何物も、僕は持ち合わせていない。
はあっと大きなため息が口から飛び出した。
やっぱり帰ろう。
僕みたいな陰気でどうしようもない人間に尋ねて来られたって、思慧も迷惑だ。
いや、アイツは良い奴だから、迷惑とは言わないだろう。でも客の方が鬱陶しく思うかもしれない。
そう思って踵を返しかけた瞬間、濡れ光る鮮やかな赤が目に飛び込んで来る。
その艶やかな色に惹かれて近付いた先は、ケーキ屋のショーケースだった。
僕の袖を引いた赤はタルトやショートケーキに乗った苺で、他に太陽のような果肉のマンゴーがたっぷり使われたタルト、宝石のように果物がちりばめられたゼリーもある。クラシカルな硬めのプリンには、さくらんぼうが誘うように揺れていた。
「あの、フルーツが乗ってるケーキ、全種類……」
「あ、はい。ありがとうございます」
飛び込んで一直線に告げた僕に、店員のお嬢さんの顔がやや強張る。
思慧は、果物の乗ったケーキが好きなんだ。
日頃世話になってるお礼にこれもっていくなら、僕だって彼の城に顔をだして許されるだろう。
そんな訳で丁寧に詰めてもらった箱を二つ下げて、僕は思慧の治療院の前にやって来た。
「ごめんください……」
ピンポーンと、僕が扉を開けるのと同時に来客を知らせる音が、治療院の中に響く。
受付と待合で一部屋、治療のために一部屋、物置に使う一部屋と、思慧のお城は意外に広い。
思慧は施術をしていない時は、受付カウンターで事務をしている。しかしその姿が今はなくて、治療室に続く扉は閉ざされていた。おまけに何だか笑い声が治療室から聞こえてくる。
客がいるなら帰った方がいいか。でもケーキ……。
どうしようかと迷っているうちに、からりと軽い音をさせて治療室の扉が開いた。
「はい、おまたせ……って、晴やん? どないした?」
「いや、その、原稿出して、近くまで来たし、ケーキ買ったし……」
「ケーキ?」
思慧の色素の薄い瞳が僕の持つ箱に吸い寄せられる。
人の視線を受けると居心地が悪い。それは思慧の目線であってもそうだ。
僕が視えるものを口にすれば、他人は気味悪そうな、嫌な感じの視線を投げてよこす。
思慧はそんなことしない。
そう解っていても、僕はどうしても身体が竦むのだ。そしてそんな弱い僕に気が付いて、思慧は「悪い」と小さく呟く。
思慧は悪くない。
視線ごときに怯える僕が悪いんだ。
そんな事を言えば、思慧は僕に気を遣うから、黙って彼にケーキの箱を差し出す。
「フルーツが沢山乗ってるやつ。しぃちゃんの好きな……」
「おう、ありがとうな。もうちょい待っとて。施術が終わったら一緒に食お」
「え? いや、僕は……」
「ええ紅茶もろてん!」
断ることを阻止するように、カパッと思慧が笑う。
なら、待たせてもらおうか。
そう言って待合の椅子に腰かけると、思慧は即座に玄関にかけてある「営業中」の札を「休憩中」に架け替えた。
時間は14時。普段なら休憩時間だから構わないって事だろう。
そうして思慧は治療室に戻る。僕は持ってたノートパソコンを広げた。
それから半時間程して「お疲れ様でした」という誰かの声に、ふっと液晶から目を上げる。
刹那、僕の身体に緊張が走った。
目の前にいたお爺さんと目が合う。羽織、着流し、黒足袋、それから山高帽子。
中学あたりの国語便覧でなんとか言う文豪と紹介されていそうな姿のその人は、けれど背中に黒々とした翼を背負っているように見える。
それだけじゃない、鼻だって鷲鼻に被って非常に長いそれが視えるし、何より顔色が尋常じゃなく赤い。
「──ッ!?」
およそ人間とは思えない、何なら天狗って言えばそんな感じと言われて思い浮かぶような容貌の老人に、僕は悲鳴を飲み込む。
なんでそんな怪異も怪異が思慧の店にいる!?
恐怖に顔を引き攣らせた僕に、その天狗のような老人がにたりとシワの多い口元を吊り上げた。
「おう、お前ぇさん……」
ゴクリとひりついた喉が息を呑む。
蛇に睨まれた蛙もこんなに怖いんだろうか?
毛穴が開いて冷たい汗が吹き出して、皮膚という皮膚が粟立つ。もう悲鳴も出ない。
老人の手が、僕の方に延ばされる。
しかし、それは僕に触れる事はなかった。
「鬼一(きいち)さん、次の予約ですけど……ん?」
「お? そうさな、一週間後でどうでぇ?」
「はい、一週間後……。って、晴?」
「この兄(あん)ちゃん、センセの連れかい?」
「そうですけど? どうかされました?」
「いや、カタカタやってっから、働きモンだと思ってよ」
にかっと人の好さそうな笑顔に、思慧は「小説家なんです、ツレ」と穏やかに返す。
僕の心臓は煩く波打っているけど、怖さに何一つ言葉が出てこない。
一体、何が起こったんだ!?
僕は結局思慧に紅茶を飲まされるまで、処理落ちで固まっていた。
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