第1話 視える男、愚痴る
昨日の事だ。
僕、末那識 晴人は嫌々ながら、とあるお化け屋敷にいた。取材のために担当さんに引っ張り出されたのだ。
僕は「視える」人間で、だけど視ることしか出来ないから、そういうのがいそうな場所には極力近寄らない。
それどころか生きてる人間の多い場所にも近付かない、出来る事なら引き籠って孤独死上等の生活を送りたい人間で。
でも社会って言うのはそういう人間を放っておいてはくれない。
引き籠る生活は身体に悪いからと、取材という名目で僕を外に連れ出そうと、あれやこれやと担当さんが話を持ってくるのだ。
なにせ僕、ホラー小説家だから。
僕の怨霊に襲われる描写が生生しいっていってくれる人がいるお蔭で、年に食べていけるほどの本を出させてもらってる。
出版社と担当さんと読者さんにはそういう恩義がある訳だから、僕だってもっと面白い物を書きたいとは思う。その材料を自ら集めに行くことは吝かじゃない。
だけどな、誰もお化け屋敷。それも出るって噂の所に行きたいとは言ってないんだ、これが。
だから当然嫌がった。
出るなんて噂のある所は、十中八九は出るんだ。
それは何も本当に怨霊とか妖怪とかそういうことでなく、人間の負の思念のようなものが集まりやすくなるということで、その負の思念を敏感な人間が拾って、体調不良を起こしたり変なモノを見た気分になる。
「出る」なんて噂は、人の不幸が蜜の味に感じられる人間がばら撒くものだ。
面白おかしく他人の不幸を脚色して、楽しんでいるのだから。
そしてその負に惹かれて、本当に良くないモノが寄って来て、怪異が現実に起こり始める。
気付いた時には単なる噂は噂ではなくなり、やがて本物の恐怖を呼ぶことになるのだ。
そのお化け屋敷もそうだった。
お化け屋敷が作られた場所は、昔そこそこの規模の病院だったとか。
その病院である日、一人の女性が病を苦にして自殺した。
それからその女性が使っていた病室には、夜になると白い人影が見えるようになったらしい。
それだけじゃなく、その病室に入院した人は、皆病気ではなく事故や自殺で亡くなったそうだ。
そんなことが続くうちに、病院の周りには「最初に自殺した女性の祟りで、後の人たちは亡くなったんだ」という噂が立って。
そりゃ病院の人も否定した。しかし、その噂は止むどころか段々と大きくなり、結果病院は潰れたという。
そんな曰く付きの場所のお化け屋敷だ。
ホラー愛好家に随分人気なのだとか。
「ほー、そらまた……」
「凄かったよ。建物全体がどす黒い靄で覆われててね。よくあれで死人とか出てないなって思うくらい」
「聞いてるだけでエグいな」
ちくっと感じるのは一瞬で、その後に来るのは筋肉を捩じられる痛気持ちよさ。
ぐりぐりと針が中に押し込まれているのを感じて、大きく息を吐けば「痛いか?」と背中から聞かれる。
「痛くはない……気持ちいいけど、なんかこう、微妙に……」
「ツボからズレてる感じか?」
「うん、浮き上がってるというか、移動してるというか」
「なるほどな」
ほな、置き針しとこかな。
呟くと思慧は僕の身体に鋭いけれど小さな痛みを与えた後、ペトリと何か……多分テープを張り付けた。
皮内鍼(ひないしん)とかいうらしい。
東洋医術と一括りにしていいものかは解らないけれど、ツボ或いは経絡というものは足にあっても首に影響を及ぼしたり、耳への刺激なのに内臓に作用したりと、本当にそれを学んだものにしか解らない飛び方をするんだそうだ。
思慧は僕と同い年で、彼は鍼灸の専門学校を出てまだ三年も経たないうちに師匠から独立を許された程の腕の持ち主で。
現に彼に針や灸をしてもらうと、がちがちに固まっていた背中から疲れと緊張が立ちどころに良くなる気がする。
僕にとっては最高の鍼灸師だ。
ただ、それは針や灸の腕だけの話ではなく。
僕と思慧……しぃちゃんの出会いは幼稚園時代まで遡る。
僕は生まれつき人ならざるモノが見えた。
恨みや憎悪が凝り固まった人の思念、所謂生霊っていうモノから、死んで尚何かに固執して他人に害を及ぼす怨霊、幽霊、それから本物の人ならざる怪(モノ)と。
虚空を見つめて話をしたりする我が子は、さぞや親からしたら気味が悪かったろう。
けれど僕の両親は、なんというか、暢気だった。
子どもには大人に見えないモノが見えるという謎理論を信じ、僕のそんなありようを「親に見えないだけで、この子には見えてるんだなぁ」くらいで受け止めて、かと思えば「そう言うのは明るいとこには現れないっていうし」と幼稚園に僕を放り込んだのだ。
多分これは悪くなかった。だって、そこにしぃちゃんが転園してきたから。
しぃちゃんは関西で暮らしていたのを、ご両親が離婚するのに、お父さんにくっついてこっちにやって来た。
当時、父親が親権をとるって珍しかったらしく、個人情報の取り扱いが緩かった時世もあって、その話は転園してきた翌日には殆どの保護者達に伝わっていた。
子どもというのは残酷で本能に忠実だから、経験も浅く未熟な自分達のコミュニティにおける狭い常識の範囲から逸脱する家庭の事情、加えて彼の口から零れる関西独特の訛りを揶揄って、仲間外れにするだけなら兎も角、いじめの標的にしたらしい。
なんで「らしい」なのかって言うと、僕は彼が転園してきた日、園に通っていなかったのだ。
例によって訳の分からないモノに伸し掛かられて、体調が悪く幼稚園をお休みしたから。
次の日にその重さを引きずりながら幼稚園に行くと、物凄くキラキラした、でも見た事のない男の子が園にいた。
そして驚いたことに、その知らない男の子が僕を見た瞬間、じゅっと何かが焼ける音がして僕に伸し掛かっていた怖いものが消えてしまったのだ。
「おまえ、だれや?」
「ぼく? ぼくは『まなしき はると』っていうの」
「まなしきはると? おれは『せおりつ しえ』や」
「せおりつくん?」
「おう」
「せおりつくんは、はなしか?」
「はなしか? なんやそれ? おれははなやでもしかでもないで?」
「そう?」
これがファーストコンタクト。
何で「はなしか」なんて聞いたかって言えば、僕はその頃上方落語にハマってたんだ。しぃちゃんの話し方が、僕の好きな落語家さんのそれっぽかったからだな。
僕は彼の関西弁が気に入ったし、何より彼といれば怖いものが寄ってこない。
何せしぃちゃんがその場にいるだけで、怪異は去っていくのだ。どんな悪霊も怨霊も、彼と同じ空間に踏み込んだが最後、何も出来ずに消滅する。
そういう僕の一方的な依存を、しぃちゃんは嫌がらない。
彼は何と言うか、凄く世話焼きなのだ。
今日だって僕の家に来たのは、二日に一回音信不通だと見に来るって言う約束が僕と彼の間に結ばれているから。正確に言えば、僕の両親がしぃちゃんに頼んだんだけど。
僕はこんな性格と性質の自分が嫌いだけど、それ以上に怪異は僕が嫌いらしい。
独り暮らしを始めてから、僕はもう何度も怪異に殺されかかっている。その度起こる奇妙な事件を気にして、優しくも世話焼きな幼馴染に僕の様子を見てもらうように声をかけたのだ。
「……る? …は…る……?」
「……」
「晴!」
「──っ!?」
大きな思慧の声に、身体がびくっと跳ねる。
陸に打ち上げられた魚のような僕に、思慧は二ッと笑った。
というか、天井が見える当たり、僕は考え事をしているうちに仰向けにされたのだろう。
「え、っと?」
「いや、目ぇも疲れてるやろから、針しとこかって聞いとんの」
「あ……はい。おねしゃす」
大人しく思慧の言葉に従って、僕はゆっくりと目を閉じる。
瞼、眉、眉間。
思慧の指先が、柔く、皮膚の上を辿っていく。
彼の指も手もいつも温かい。僕はいつでもこの温もりに救われている。
*****
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