第70話 ヌガルベルクの扉
「ええとですねぇ……私、クララ・グリムと申します」
まるで、今日の天気は気持ちがいいですね、と言わんばかりの調子で言葉を続けてくる。
「シリウス様の仲間にしていただきたいのですが?」
――きたか。
どうやら、俺が仕掛けた『クララ・グリムをお引き取りください作戦』は失敗に終わってしまったようだ。
だけど、問題ない。まだ、問題ない。
ここに俺が門番として存在するから。
「ありがとうございます、クララ様」
にっこりと執事スマイルを浮かべてクララの言葉を受け止める。だが、
「残念ながら、すでに仲間にしたい候補を絞り込んでおります。すでに枠はありません」
容赦なく突っぱねる。
クララの目がわずかに細まる。
「本当にそうですかぁ? ヌガルベルクの扉から溢れる運命線とは異なるようですが?」
なんだよ、ヌガルベルクの扉って。
いや、知っているんだけど。ゲーム内でもたびたびクララが口にする言葉であり、どうやら彼女が信奉する闇の神に関係する言葉らしい。ただ、原作ではそれ以上の説明はないのだけど。
「申し訳ありませんが、仰っていることが理解しかねます。話は終わりました。お引き取りください」
きっぱりと、容赦なく――
己の固い意志を示すかのように背を向けて歩き出す。その背中を追うように、クララの独白が聞こえてきた。
「ヌガルベルクから溢れる運命に立ち塞がることはできませんよ、執事様――」
だけど、続く言葉は、残念ながら俺の耳には届かなかった。
「あるいは、執事様の混ざり物さん?」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その日、ルシアはシリウスに連れられて寮内にあるサロンにやってきた。
高級貴族にだけ退出が許可される特別な個室だ。2人だけではなく、オリアナ、ベラ、オスカー――パーティーを組む5人のメンバーが顔を見せている。
万事につれないシリウスが、この会の発起人ではない。
オリアナだ。
ルシア視点においても、オリアナのシリウスに対する恋慕は明らかで、何かとシリウスと一緒にいようとする。
最近の手口はパーティーメンバーで集まろう、のようだ。
そんなわけで、オリアナはシリウスの真横に座っている。それもシリウスに体を密着させて。まるで愛情を肌から伝えるかのように密着して。
(……ちょ、ちょっと、すごすぎる……)
男女の仲において堅物なルシアには、見ているだけで目のやり場に困る。
そのオリアナが楽しげな声を上げた。
「へえ、本当にすごいじゃない、シリウス!」
キラキラした彼女の目が見ているのは、シリウスが操作しているチェス盤だ。
彼は指を動かすことなく、盤上に流した微弱な魔法の電流を操って、その電気の力でチェスの駒を動かしている。また、相手のチェスの駒を倒すときは、微弱な雷撃を弾けさせて、駒を盤の外まで吹っ飛ばしている。
「お前がくだらないことに俺を巻き込むからなぁ……暇つぶしだよ」
ちっと舌打ちしながらシリウスは魔力を操作し続ける。こうやって、魔力操作の訓練をしているわけだ。
「いいじゃない。私と一緒にいられてシリウスも嬉しいでしょう?」
「別に」
好意100%のオリアナに対して、ずっとシリウスは生返事を返すばかり。
(ああいう人だけど、もしも私が同じような好意を向けて、あんなふうに返されたら辛すぎる……)
だから、そんなことはできない。
オリアナに言わせると、あの冷たい感じがたまらなくシリウスでいい! らしいのだけど。
「……ふむ、さて、困ったな」
口を開いたのは、シリウスの前に座る対戦相手――ベラ・ナハトだ。銀髪のベラは静かな目でチェス盤を見下ろしている。
「どんな手で行こうか……」
「好きにしろ、お前の負けだけは決まっているからな」
「ふふ、そういう強気な態度、そそるね」
そんなことを言いつつ、ベラはテーブルのグラスを手に取ると、中に入っているドリンクをあおった。
「おい、お前。それは俺の飲み物だぞ?」
「君のものが欲しかったんだ。ダメか?」
ベラは首を突き出し、甘めいた視線でシリウスの双眸を見つめる。
「そこのオリアナと同じく、私は君に好意を持っている。強い男は好きだよ」
(ぐおっ!?)
直球の発言にルシアはよろけそうになった。
いきなり現れたベラの存在もルシアを困惑させた。いきなりやってきて、ルシアの順番を飛ばすかのように、シリウスへの好意を隠そうともしない。オリアナ顔負けの一次接触を試みるのもザラだ。
「返せ」
「私の飲んだものでよければ」
差し出したグラスを、ひょいとオリアナが奪い取る。
「ずるい。私も混ぜてよ」
そう言って、グラスに口をつける。
(……今、魔法を使った……)
興味深いのは、オリアナが魔法を使ったことだ。それが『水の安全性を確認する魔法』だとルシアは知らなかったが、警戒の表明くらいは理解している。
オリアナほどの使い手であれば、その程度の魔法ならば使ったことを隠すことくらい簡単だろう。だけど、そうしなかった。つまり、牽制。
オリアナはオリアナで、新参であるベラに気を許していない――
そういうことだ。
「くだらん連中だ! 俺の飲み物を勝手に飲んだ罰をくれてやる!」
直後――
オリアナとベラが呻き声をあげて体をくの字に折った。シリウスが二人に向けて雷撃を放ったのだ。
「馬鹿な犬には躾が必要だな」
「うふふふ、さ、最高……!」
オリアナの表情に歪んだ愉悦が混じる。そして、そのままシリウスに体を寄せた。シリウスはそんなもの興味がないとばかりに鼻を慣らす。
(ああ、なんてひどい人なんだ……)
そんなふうに思う。他人を傷つけることに躊躇のない言動、容赦のない性格、ほんの一瞬で不機嫌になる面倒さ――ただの暴力と暴言の塊。
彼は、ルシアが子供の頃に認識した通り、変わりなく最低で最悪な男だ。
だけど、どうしてだろうか。
ああやって二人の女たちと話している姿を見て、心苦しいものを感じる。
あの中に入りたい、ああやって自分自身を近づけたい――そんな気持ちが湧いてしまうのを無視できない。そして、そんなことすら実行できないお固い自分に嫌な気持ちが湧く。
(わ、私は……)
あんな酷い男なのに、どうしてこうも興味を持ってしまうのだろうか。危ない魅力を感じてしまうのだろうか。
「――大丈夫ですか、ルシア様?」
ふと声に気がつくと、さっきまで壁際で息を潜めていたオスカーが肩に手を置いていた。
「……ちょっと気分がすぐれないかな……」
そう言ってから、シリウスに視線を向けた。
「今日は部屋に戻って休みます」
「好きにしろ」
シリウスは一瞥すらくれず、そんなことを言う。
ルシアは一礼すると部屋を出て自分の部屋へと向かって歩き出した。正直、どう歩こうかという意識はない。足が運んでくれるままに歩いていた。なぜなら、それができないほどに心が乱れていたから。
最低最悪なことなどわかっているのに――
なぜ、こんな気持ちに……?
2人の美女が接近していて、私はどうすればいい?
そんなことがグルグルと頭の中を回っていたときだった。
「――――」
何者かが、声をかけてきた。
当初、ルシアは気付けなかった。足を止めることなく歩き去ろうとする。だから、今度その何者かはルシアの右手を掴んだ。
「……え?」
「ルシア様、お待ちください」
そこに立っていたのは、紫色の癖毛が目立つ背の低い少女だった。
「ええと、確か、クラスメイトの――」
「クララ・グリムですぅ」
にっこりと微笑んでから、言葉を続けた。
「ヌガルベルクの扉を求める迷える子羊ちゃんのように見えました。私に相談してみませんか?」
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