第66話 女暗殺者ベラ・ナハト

「面白いことを言うな、だが、不快だな」


 心の底から興味すらない、という視線をシリウスがベラに向ける。


「今の俺なら、泣いて仲間になってくれと懇願するとでも?」


 その目は笑っていない。返答次第では、教室であることなどお構いなく、シリウスはベラを殴り飛ばすだろう。そういう男で――それほどの気配を漂わせている。

 ほとんどの生徒たちが、無関係にも関わらず背中を震わせているほどに。

 しかし――

 目の前の女の表情に恐怖はない。さすがは、歴戦の暗殺者といったところか。

 ……殺す対象にビビっていては仕事になるまい。


「私は使える人間よ」


「はっ! 面白い! 俺にそれを言うか!? この俺に!? なかなかの自信だ! 名前くらいは聞いてやろう!」


「ベラ・ナハト」


「……ナハト……? 知らないな」


「当然よ。辺境の小さな小さな男爵家だから。でも、家の格なんてどうでもいいでしょう? 大事なことは、目の前に立つ私が、あなたのメガネに叶うかどうか」


「ふん」


「……? あら?」



「……なんだ?」


「そこは、俺はメガネをしていない、と返すべきでは?」


「はあ? ふざけているのか? ただの言い回しだろうが!」



「そうなの?」


 そうだった。ベラはこんなやつだった。暗殺修行が長すぎて、情緒や言葉遣いが少し変なのだ。


「それより、どうかしら。私を仲間にする気は?」


「言っただろう? お前のことなど、何も知らないと。今すぐ返事をするのなら、答えはノーだ。俺の仲間にゴミ入らない」


 容赦のない返答。しかし、ベラは微動だにせず、その冷たい目でシリウスを見据える。


「なら、明日の昼休み、模擬戦をするのはどうかしら?」


「ほぅ」


「私の実力が見たいのでしょう?」


 ベラの提案にシリウスが目を細める。間違いなく興味を示している。自分という存在を知ってなお、勝負を挑んでくる相手に。

 その心を容赦なくへし折ってやろうと目を輝かせている。


「面白い! その挑戦、受けてやろう!」


 ああ……受けちゃったかあ……。

 ベラとしては千載一遇のチャンスだろう。シリウスの命を狙っているのだから。間違いなく、模擬戦での暗殺を狙ってくる。

 仕方がない。

 その日の学校が終わった後、寮に戻り次第、俺はシリウスに告げた。


「シリウス様、あのベラ・ナハトですが、暗殺者です」


 より細かいことを俺は知っているが。

 シリウスは眉をひそめたが、俺の言葉に特に驚いた様子もなく、ただ興味深げに俺を見つめた。


「……なぜ、お前がそれを知っている?」


「執事ですから。調査済みです」


 もちろん、嘘八百だが。ゲームの知識です、とは言えないだろう?


「模擬戦に紛れて、暗殺を狙ってくるでしょう」


 シリウスに狼狽はなく、何も変わらない様子で言葉を返してきた。


「それを告げて……俺にどうしろと?」


「明日の模擬戦を中止にするのが良いかと存じます」


「はっはっはっは!」


 大笑いしてから、シリウスが続ける。


「今さらやめてくれ、とこの俺が言うとでも?」


 ……はい、言いませんよね。

 己を最強だと謳うシリウス・ディンバートが挑戦状を受け取ったのだ。破り捨てるはずなどなく、それを正面から打ち砕くことを望むだろう。

 シリウスはヘラヘラと笑う。


「むしろ、面白い。つまり、それほどの使い手なのだろう? この俺が力の差を叩き込んで、心の底まで手駒にしてやる」


 ……やはり、そうなるか。

 模擬戦をうまく撃退しても、シリウスが技量を認めれば仲間になる――

 どうやら避けられない未来のようだ。

 ゲームだと、シリウスの死亡ルートのいくつかはベラによる暗殺だ。できれば距離を置いておきたいのだけど。


「オスカー、あいつが暗殺者だと言ったな。雇ったのは、誰だ?」


 もちろん、ゲームの知識のおかげで俺は知っている。

 それはシリウスの実家であるディンバート公爵家に反感を持つ一部の貴族たちだ。やりたい放題の公爵家だけでも頭が痛いのに、いずれ家を継ぐであろう長男は傍若無人を擬人化したような人物――この辺で粛清してやろうとなったわけだ。ナハト男爵家は存在するが、大昔に血筋が途絶えている家だったはず。


 などという事実を、口にするつもりはない。


 シリウスの目に輝いているあやしい光。それを告げれば、間違いなくゲームのタイトルが『アイリス学園クロニクル』から『シリウス滅殺ジェノサイド』に変わってしまうだろうから。

 ……情報には公開するタイミングがある。今はまだ、そのカードを切るタイミングではない。


「調査中です」


「そうか、わかったら教えろ。俺に」


「代わりに、ベラを相手にする場合に気をつけて欲しいことをお伝えします。彼女は――」


「黙れ」


「…………」


 言葉を理解したというよりは、唐突な威圧感に体が反応した。


「オスカー、お前の助言はいらない。俺自身の力であの女をねじ伏せる」


「……ですが、彼女は凄腕の暗殺者です。何か間違いがあれば――」


「黙れ、と言ったはずだが?」


「…………」


「お前の情報などなくても、俺は勝ってみせる。お前は黙って見ておけ。わかったな?」


「……はい」


 傲慢なる王が言い出したのだ。止めることなどできるはずもない。

 しかし……もともと従順からほど遠い性格とはいえ、勇者リヒトを倒してから、俺への反抗が増えている気がする。何かしらの焦燥でもあるのだろうか。勇者リヒトを倒した以上、勇者への嫉妬は発生していないはずなのだが。

 最強生徒会長マティアルの存在が気がかりなのだろうか。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 翌日の昼休み――

 宣言していた通り、ベラ・ナハトとシリウス・ディンバートが校庭の端にある闘技場で相対する。


 矩形に囲まれた石畳の周りを、暇な生徒たちが取り囲んでいた。


 ベラは無名だが、一方はあの・・シリウス・ディンバートなのだ。あっという間に口から口へと噂が流れていったのだろう。

 勇者リヒトや聖女セリーナの姿もある。

 シリウスとベラの間には、審判を務める教師の姿がある。アイリス学園では、生徒たちが自主的に模擬戦をする場合、教師の立ち合いが必要になるのだ。


「互いの武器を確認する」


 模擬戦で使える武器は、刃を落としたもののみだ。シリウスはブロードソードを、ベラはショートソードとダガーを渡す。


「うむ、問題ない」


 確認を終えた教師が武器を返却する。


「これ以外の武器、ならびに魔法の使用は許可しない。また、これは殺し合いではない。決して『やりすぎ』ないように。反則、あるいは事故があった場合、故意性が認められれば退学処分もあり得る」


 退学――

 そんな言葉は、しかし、この二人には意味がない。

 相手を砕くことにしか興味がない最凶最悪の悪役貴族と、そいつさえ殺せば任務完了で自主退学するつもりの暗殺者には。

 ……さて、どうなることやら……。

 教師が手を振り下ろした。


「それでは、はじめ!」

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