第59話 悪役貴族シリウスが決めたこと
俺の眼前で、シリウスはリヒトを退けた。
途中、何度か危ないところはあったが、最大出力の黒雷でペースを掴んでからの逆転劇はシリウスの大火力を遺憾なく発揮している感じで、らしさがあった。
だいたいは俺の思い描いたシナリオ通りにことは運んだ。正直、スタン・グレネードには焦った――
全く想定していなかったからな。
理由としては、ゲーム内のリヒトはそれを覚えないからだ。ただ、作中でそういう光魔法があることは仄めかされている。設定上は存在する、未実装の魔法なのだ。ひょっとすると、今後に発売されたかもしれないアペンドディスクで公開になるものなのかも知れないが。
まさか、そんな魔法まで使ってくるとは……。
ただ、それも大きな問題ではなかった。結局、ガードブレイクからのハメ技への移行が問題であり、それに対しても対策は施しておいたから。
まあ……全ては対策通りなのだけど、それを誇るつもりはない。
リヒトの強さは本物で、戦力的には負けていてもおかしくはない相手だった。それでも勝ったのは、さまざまなイレギュラーをゴキブリのようなバイタリティで潜り抜けたのはシリウス・ディンバートという男の凄みだろう。
ここまで己を練り上げた悪役貴族の強さを素直に賞賛したいと思う。
一方、シリウスに吹っ飛ばされたリヒトは死んではいないようだ。だが、聖女セリーナの回復魔法を持ってしても意識を取り戻すには至らず、教師たちの手によって医務室へと運ばれていった。
聖女セリーナもそれについて行こうとしたが、ゼフィリアンに呼び止められた。
「セリーナ、すまぬがシリウスも癒してやってくれ」
「……は?」
王国の英雄である偉大なる学長の頼みだが、セリーナはぶしつけな返事を返した。普通ならば、すぐに言い直すべき失言だが、不快げな表情と合わせて、言い繕うつもりはないようだ。
「……なぜですか?」
「あの男も負傷しているからな」
「命に別状はありません。放っておけば治るのでは?」
「それもそうだが、リヒトを退けるほどの使い手だ。治せるものは治しておいたほうがよかろう」
唇をかみしめて屈辱に満ちた表情は、嫌です! と声高に叫んでいたが、いかに気の強いセリーナでも、英雄であるゼフィリアンにそう頼まれては無碍にもできない。そして、言っていることは間違いでもなかった。
セリーナは嫌そうな表情のまま、シリウスへと近づく。
「回復魔法なんていらないですよね? もう歩けますよね? 元気ですよね? ほら、ゼフィリアン様にそう言ってくださいよ」
「嫌だね」
本当に楽しそうな様子で、腹黒そうな笑顔でシリウスが応じる。
「ぜひ俺に回復魔法をかけてくださいよ、聖女様?」
「ぐっ……」
奥歯を噛み締めたセリーナの右手に黄金の輝きが灯る。聖女が操る回復の魔力だ。
その手をシリウスに差し向けて――プルプルと震えている。
残念ながら、回復魔法は遠距離から発動できない。癒したい人間の体に触れて、魔力を放出しなければならない。
シリウスがニヤニヤとしている。
「おい、聖女。何をお高く止まっている? 勇者以外の下賎な生き物には回復魔法をかけたくないのか? ほらほら、早く回復してくれよ。あー、痛い痛い。死にそうだわー」
「こっ、こっ、こっ、この外道……!」
顔を真っ赤にしたセリーナが吐き出すように呪いの言葉を吐き出す。
当然だ、触りたくないのは『勇者以外の下賎な生き物』ではなくて、単純に『下賎なシリウス・ディンバート単体』なのだから。
「これは聖女としての宿命……聖女としての仕事……セリーナ、これは試練です……きっとこれを乗り越えれば、あなたの力は増します……リヒトの役に立つ……リヒトの役に立つ……がんばれ、がんばれ、セリーナ……!」
自分への励ましをボソボソと呟きながら、セリーナは大嫌いな飲み物を一気飲みするような表情で右手をシリウスに押し付けた。
「ごめんなさい、私の右手!」
黄金の輝きがシリウスの全身へと広がっていく。十分に浸透したのを確認するや否や、セリーナは急いで手を引っ込めた。
「はい、おしまいです! おしまい!」
「もう少し時間をかけて回復するべきでは? 脇腹が痛いかもなあ? いたたたた」
「……それ以上はいりません! ないです! ありません! 神の加護は売り切れ!」
一方的に言い捨てると、セリーナは背中を向けると、リヒトが運んでいかれた医務室へと歩いていった。シリウスはそんな背中を見送りながら、闘技場でゲラゲラと大笑いをしていた。
……最後の最後まで、シリウスはシリウス・ディンバートであった。
かくしてアイリス学園の受験は終わった。
シリウスもルシアもアイリス学園への入学が決まった――この世界に転生してそれなりの時間が経つ。別に俺も鬼ではないので、彼らの成功は嬉しい気持ちもある。
だが、それ以上に嬉しいのは、シリウスがリヒトとの初戦を制したことだ。
あの戦いを見るに、明らかにシリウスにはゲームにおけるチュートリアル戦と同じ種類のデバフがかかっていた。
つまり、あれはチュートリアルと同じ扱いということだ。
チュートリアル戦は非常に大きな分岐で、そこでシリウスが勝つと、シリウス優位の展開に持っていけるので、今後の展開が楽になる。
その点で俺はとてもホッとしている。
シリウスと一蓮托生の執事オスカーのサバイバル物語として、最も重要な部分で『勝ち』を得られたのだから。
少なくとも、今後の展開は大きく見通しが明るくなった。
逆に、リヒトが勝利していた場合はとても悲惨だ。展開ルートは全体的にシリウスにとってネガティブなものが多く、死亡エンドになりやすくなる。おまけに、シリウスがラスボスになるルートもチュートリアルでの敗北が必須のフラグとなる。
リヒトに負けたことが、シリウスの心に嫉妬の炎として燃え続け、それがラスボス化への始まりとなるのだ。
ゆえに、もうこのルート――最悪のラスボス化を考える必要はない。
リヒトに勝ったシリウスが嫉妬に駆られることはないのだから。
悪役貴族を導いてきた甲斐があるというものだ――
まだまだ途中ではあるが、大きな節目である。そこを乗り越えられたことに、俺は安堵の息を漏らすのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
受験が終わり、ディンバート公爵家に戻った日の夜――
「本日はお疲れ様でした。ゆっくりとお休みください。それでは失礼いたします」
そう言って、無愛想な能面執事はシリウスの部屋を辞していった。
特に返事をすることもなく、視線すら送らず、部屋の主シリウス・ディンバートは一人静かに椅子に腰掛けていた。
その思考は己の内面だけに向いている。
首席で合格を果たし、勇者リヒトを撃破した。
天上天下唯我独尊、傲慢極まりない男シリウスにとって、今日は己の才能の全てを世に顕現できためでたい日だ。
その心は有頂天であり、圧倒的な自己肯定感が広がっていた――
などということはなかった。
シリウスの心を支配していたのは、いつにも増しての『憤怒』である。
(気に食わない……!)
何が気に食わないのか。
(オスカー、あいつの存在が腹立たしい!)
本来であれば、シリウスは己を誇りたかった。勇者リヒトを圧倒したのだから、それは当然の権利だ。
だが、素直にそれができない。
――オスカーの助言がなければ、お前はリヒトに勝てたのか?
シリウスのほとんどを形成する、お気楽ではないシリウスが冷たく言い放つ。結局はオスカーのおかげじゃないか。
そして、それに反論できないのだ。
全てを知り尽くす謎めいた万能執事――
(あいつはいつだって俺の先を言っている。それは事実だ。そして、当たり前のように成功へのルートを編み出す。ある面において、俺よりも優れている……)
その優秀さは、シリウスに複雑な感情がもたらす。
見事だ、ありがとう! という愉快な気持ちにはならなかった。シリウスの本質は傲慢であり、己より優秀な人間を認めようとは決してしないから。
己より上の人間は、越えるべき対象であり、等しく敵なのだ。
勇者であろうと、執事であろうと――誰であっても能力の面においてシリウスの上に立つことを許すわけにはいかない。
シリウスは顔を上げて、オスカーが出て行ったドアをじっと見つめる。
「今は訳知り顔で高説を唱えておけ。いつかお前を超えて、全てを踏み躙ってやる。もうリヒトなどどうでもいい。次はお前だ、オスカー」
射殺すような殺意の視線が、無言のドアを差し貫いた。
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