第58話 勇者リヒトが決めたこと

 勇者リヒトは目を覚ますと、見覚えがない部屋のベッドで寝ていることに気づいた。


(ええと……?)


 どうにも記憶が混乱しているせいで、状況が掴めない。だけど、それほど深く思い出す必要もなかった。

 黒雷を纏う悪魔のような男の姿が脳裏に甦ったから。


 あとは芋蔓式だった。

 あっという間にシリウスとの激闘、そして、敗北の事実を思い出す。


 敗北。

 それはリヒトの人生で初めてのことだった。


 今までリヒトは決して負けないように生きていた。それは負けず嫌いな性格というよりは、勇者としての責務だと思っていたから。

 相手がなんであれ、人類の希望が『敗北』を喫すれば、多くの人間が落胆するだろう。

 そのような弱いものに、希望を託すことなどできようか。

 だから、リヒトは決して負けまい、と誓い、今まで修練を重ねてきた。だけど、


「……僕は負けてしまったのか……」


 負けた悔しさというよりも、人々の期待に応えられなかった苦味が胸に広がる。

 それを静かに噛み締めるのは楽しいことではなかったが、幸い、それをしている時間はなかった。


「ああ、よかった! リヒト、目を覚ましたのですね!」


 かたわらに座っていた聖女セリーナが、横たわるリヒトに身を寄せてくる。リヒトの復活が嬉しかったのだろう、涙ぐみながらシーツ越しにリヒトの体をさすった。


「ごめん、セリーナ。心配かけちゃって……」


 セリーナの頭を撫でてやる。さらさらとした髪の手触りが気持ちよくて、ザラついた気持ちが少しだけマシになった。


「本当ですよ! 心配したんですよ! やっぱり、あんな最悪な男を相手にするべきではなかったのです!」


 ――大丈夫、僕は負けないよ。必ず勝つ。僕を信じてくれないかい?

 そんなことを言ったのに、リヒトは負けてしまったのだ。


「ごめん……調子に乗りすぎていたよ」


(本当に、調子に乗っていたんだろうな……)


 勇者として生を受けて、負けない戦いを続けて、勝利を積み上げて、難敵である吸血鬼ニコライアも撃破して――

 謙虚な男のつもりだったけれど、きっと心のどこかで慢心していたのだろう。

 必ず勝つ――根拠もなく、そんな言葉を吐いたのがその証拠だ。


(実に傲慢な勇者だ。シリウスを笑えない……)


 反省しきりだ。

 だが、これはこれでよかったとリヒトはポジティブに考える。傲慢になっていた自分に気づけたこと、そして、己の未熟を知れたこと。それは悪いことではない。

 それがこの一戦で良かった。

 負けても命までは取られない戦いで。魔王を倒すまで全勝が理想的だが、世の中はそううまくはいかない。魔王軍との戦いで負ければ命を失っていただろう。


(そうか、ならば、僕は運がいいんだな)


 これを糧として己を磨くことができるのだから。

 今度こそ、誰にも負けない、全ての人間に希望を託してもらえる、最高の勇者になってみせる――

 それがリヒトの覚悟だ。


「リヒト様、私がどんなめに合わされたと思っていますか!?」


「え……? 何か酷いことをさせられたのかい?」


「とっても酷いことです! 屈辱的で、自分の記憶から消し去りたいほどの! 私はですね、シリウスに回復魔法をかけることになったんですよ!?」


「……? なんの問題が?」


 シリウスも相当に傷ついていたのだから、別に不思議ではないのでは? 聖女であるセリーナの回復魔法は格別で、リヒトのへし折れた肋骨も傷ついた内臓も痛みがないレベルにまで回復しているのだから。

 そんな、リヒトのデリカシーにかける言葉を聞いた瞬間、セリーナのまなじりがクワッとなった。


(鬼の形相だ……)


 そんなことを思うリヒトにセリーナがまくし立てる。


「あんな男に回復魔法をかけるなんて! 回復魔法の無駄遣い! 神への背徳行為! 汚物を素手で掴むかのような屈辱! 聖女の看板についた大きな傷! いずれの言葉でも足りません! どれほど歯噛みしたことかわからないでしょう! しかも、嫌そうにしている私を見て、あの男はずっとニヤニヤしていたんですよ! 私の怒りのほどがわかりますか!?」 


「あ、ああ……」


 セリーナは心底からシリウスを嫌っているのだから、当然の反応だった。そして、相対したリヒトもまた、彼女の怒りに正当性を与えてしまう。


(うん、確かにシリウスは酷い男だ)


 本当にどうしようもなく酷い男だ。だが、リヒトは別のこともまた思うのだ。


(才能は本物だ。彼を仲間にできれば、魔王討伐もかなり楽になるだろう)


 とても尊敬できる男ではないが、そんな私情をリヒトは無視できる。目的のためなら手段を選ばず、という側面があるのも事実だが、根本的に彼はおおらかで人がいい人物なので、不快な相手でも長所を評価するのだ。

 リヒトの中で、シリウスを仲間に入れる展開は、かなり現実味を帯びていた。


(なんとかして彼を仲間に引き込もう。人類の未来のためにもそうするべきだ)


 言うではないか――

 毒薬変じて薬となる、と。


(もっと僕はシリウスのことを知りたい)


 そんなふうに思う。


「リヒト様!? 聞いているんですか!? あの男は本当にクズなんですから! あんな男に絶対に近づいちゃダメですからね!」


「わかった、わかったよ」


 激怒しまくるセリーナには、とても本心は打ち明けられなかったけど。


(入学後が楽しみだ)

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