第47話 アイリス学園の学長・英雄ゼフィリアン

「まだ生きていたんだなあ、ゼフィリアン――いや、学長と呼べばいいのか?」


「シリウス・ディンバートか……確かにお主に礼節を説いても無駄であろうな」


 ため息混じりにゼフィリアンが応じる。

 貴族社会は実に狭いものだ。公爵家の嫡男であるシリウスは、ベルモント伯爵家のゼフィリアンと顔見知りであった。


「そう、無駄だ。俺は俺のしたいようにやるから」


 そう言うと、シリウスは応接セットのソファに断りも入れずに座った。


「それでよいのか、シリウスよ。お前の噂は社交界に広まっているぞ。お前には輝かしい才能がある。誤解を招くような行動は慎むべきだ」


「ははは! 誤解も何も――本当のことだ。好きに話せばいい。ゴミどもが俺のことをどう思おうが、興味のない話だ!」


「やれやれ、お前と言う男は……実にもったいない。アイリス学園に来てくれて嬉しいぞ。その性根を叩き直してやろう。ずっとずっとそう思っていた」


「どうかな、俺などにかまっている暇はあるのか? 光の勇者を忘れていないか?」


「もちろん、忘れていない。勇者リヒトをどう導くかが、これからの王国の運命を――いや、人類の存亡を左右するのだから」


「あんたはリヒトの実力を知っているのか?」


「間違いなく、天才だ。そして、魔王を討つ男である」


 ゼフィリアンが言い切った。

 ゼフィリアンは剣技にも魔法にも長けた男である。今でこそ好々爺な雰囲気を讃えているが、若い頃は王国の切り札として多くの危機を退けた凄腕である。

 まさに天才。

 その天才が、天才と称える男が勇者リヒト。

 ゼフィリアンは安易に人を貶めたりはしないが、大袈裟に褒めることもない。その男がそこまで言うのだ。最高級の賛辞であろう。


(ははは、面白そうな男じゃないか!?)


 どうにも覇気を感じさせない優男だったので心配していたが、やはり勇者という肩書きは伊達ではないらしい。

 魔王が目覚めるとき、対立概念として現れるのが勇者だ。

 勇者が敗北すれば次の勇者が現れるまで、世界は魔族の侵攻に脅かされる。逆に勇者が勝てば魔王は封印され、長く続く平和な時代が約束される。


 すなわち、勇者リヒトは『必勝』しなければならない。


 かつての英雄であったゼフィリアンが勇者リヒトを導くのは当然でもあった。むしろ、それをやり遂げるのはゼフィリアン以外にいない。


「努力の天才とでも言うべきか……諦めない男だ。決して物覚えがいいわけではないが、剣術も魔法も不断の努力を続け、高みの先へと進もうとする。己の使命にも強い責任を持っている。まさに勇者になるべくして生まれた男だ」


「ほう、まさに『主人公』だな!」


 シリウスの嘲笑は、皮肉にも事実であった。

 そして、それを聞くたびにシリウスはリヒトへのいけ好かない感情を増していく。性根が澱み濁り切ったシリウスに、目をキラキラとさせた綺麗事野郎を好きになれるはずもなかった。


「で、用はなんなのだ、シリウス。入学の挨拶をしに来たわけではあるまい」


「用があるのはあんたじゃねえ、そのピカピカの勇者様だ」


「リヒトに?」


「俺も入学試験を受けることにした。なんでもいい。理屈をつけて、俺とリヒトを戦わせろ。あんたの権限ならできるだろう?」


 それがシリウスの手札だった。有力貴族だからこそ可能な人脈と権力のゴリ押し。

 だが、目の前に座る老いた英雄が安易に屈するはずもない。

 ――公爵家の命令だ。まさか逆らわないよなあ?

 そんな言葉を吐いたところで、仕留められないのは自明だ。


(くくく、ここからが交渉の始まりだ)


「ふぅむ……あいもかわらず無茶苦茶な男だの」


 うんざりした様子でゼフィリアンが応じる。 


「どうして戦いたい?」


「あんたが言っただろ? 強いって。人類の希望の勇者様だ。どの程度の強さなのか味わってみたいじゃねえか?」


「そんな理由で、許すと思っているのか?」


「逆に興味はないか? 光の勇者が、果たして悪童シリウス如きに負けるのかどうか?」


「お前もまた天才だ。それは認めよう」


 称賛の言葉――しかし、ゼフィリアンの言葉には、リヒトを褒め称えたときほどの喜びはなかった。


「だが、才能を正しく伸ばしていない。才能にあぐらをかいているだけだ。不断の努力を積み重ねるリヒトに追いつけるはずもない」


「くは」


 面白い、とシリウスは思った。別に努力をしたと嘯くつもりなどないが、どうやらゼフィリアンはシリウスが『以前のまま』だと思っているらしい。

 オスカーに叩きのめされる前のシリウスのままだと――


(吠え面をかかしてやりてぇなあ……)


 慌てた様子を見れば、どれほど楽しいだろうか。

 相当の使い手であるゼフィリアンの実力判断は確かなものだが、それは互いの戦力を正しく把握できている場合のみ。

 今のシリウスを正確に知らないゼフィリアンが読み間違えることはままある。


「ならば、こういう条件でどうだ? リヒトのやつが勝ったら、俺はあんたが望む『綺麗なシリウス君』になってやるよ。お目々をキラキラさせてなあ……!」


「私には勇者リヒトを守る義務がある。メリットのないことはさせられない」


「メリットがあればいいんだろ? あるさ。綺麗なシリウス君なら、リヒトの仲間になることも厭わない――探してるんだろう? 魔王を倒すためのメンバーを?」


 本来であれば、貴族の子弟を育てる教育機関であるが、勇者が現れた今年は違う。

 対魔王を目指すための勇者、選抜メンバーの養成機関の色彩が強い。脱落者も厭わない、相当のハードトレーニングとなるだろう。


「本来の俺であれば、絶対にリヒトの手伝いなどしてやらないが……俺が負ければ仲間になっても構わない。欲しいだろう……? あんたが『天才』と評した才能を?」


「…………」


 ゼフィリアンは口を閉ざし、静かにシリウスを見つめている。その目はさっきまでとは異なり、厳しい実務家のような輝きを灯している。頭の中で秤が動いているのだろう。


 ――シリウスの提案を飲む価値があるのか、ないのか?


(くくく、悩んでいる時点で、あんたの負けだ。あんたもまた強さを求めるもの。強者の匂いには敏感だからなあ……!)


 しばらくの沈黙の後、ゼフィリアンが口を開く。


「……敗北もまた、お前には価値のあることだろう……。そして、敗北したお前が約束を違えるとも思えないな……」


 ゼフィリアンは正確にシリウスの性格を分析していた。強さをヒエラルキーの基準とする人間は、それにどこまでも縛られる。


(くそったれのオスカーのせいで事実なのは確かだ!)


 ゼフィリアンが大きく息を吐きながら、結論を口にした。


「いいだろう、生涯初の敗北を噛み締めるがいい」


 ここに、リヒト対シリウスの戦いが決まった。


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